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あだ名と仮説~ジブリ私記(7)

 前回はぼくが宮崎さんにつけられた「あだな=逸材くん」の去就について書いた。
 それにしても、ひとりの青年がある会社に新入社員として入社したら、期待の意味をこめてあだ名をつけられる。
 まあよくあることだろうけど、ジブリファンからしたら、「あれれ?」とか思ったり、はしなかったでしょうか?
 そう『風立ちぬ』とまったく同じシチュエーションですよね。
 青年堀越二郎が飛行機製造会社に入社したとき、そのあだ名が「俊秀くん」だったわけです。
 ぼくがジブリに入社したときに「逸材くん」と名づけられたのとよくよく似ている。
「これ、俺のことじゃないか?」と『風立ちぬ』を観ながら思ったぼくは不遜でしょうかね?
「『俊秀くん』、なんてさらにゴロの悪いあだ名を考案するより、さっさと『逸材くん』って、呼んじゃえばよかったのに」
 「俊秀くん」は入社してさっそく、飛行機の部品の設計をまかされて、見事な手際を見せるのですが、ぼくも映画のこの箇所を観ながら、
「そういえば、ぼくも宮崎さんから直接、図面を引く作業の指示を受けて、でもぼくの場合失敗したんだよなあ」と思い出すのでした。

 それは『もののけ姫』の後半部、シシ神がデイダラボッチへ変身して、森からうっそりと身を起こす大判セルのカットのことで、ぼくは宮崎さんから、何コマ目でどの辺りまでフレームをアップさせていくかの目盛りをつけるよう指示されたのでした。
 すでに原画からあがっていた大判のラフ原をぼくは手にして、ふだんは宮崎さんが昼寝するブースに入って、そこの大テーブルにラフ原を広げて目盛りをつけていったのでした。
 入社してまだ数ヶ月、そんな作業をしたこともなかったのでした。昼寝ルームで必死の思いで頭をしぼり、なんとか目盛りをつけたのでした。
 宮崎さんの席に行って「できました」と告げ、昼寝ルームにふたりで行き、宮崎さんが目盛りをつけたラフ原を見ると、一瞬動きをとめてまじまじと見つめはじめたあげく、
「なんだ、こりゃ。全然ダメだぞ。何のことか、さっぱりわからん」
 そう言われて、ぼくはさーっと全身から血が引きましたね。
 やっちまった、というやつです。いま思い返すと、せめて先輩演出助手にやり方のアドバイスを聞くべきでしたね。チェックされる作業だったから早い段階でおとがめをもらったけど、それがなければ「不祥事」に至ってしまうケースだったのです。わからなければ周りのスタッフに聞く、そういう当たり前のことができない、本当に世間知らずの、社会人としてはぺーぺーだったわけですね。
 宮崎さんはぼくのこの様子をどう見ていたのか、急に笑いだして、
「やっぱり考え方が人とは違うやつがやると、発想も違うな。ハハハ。ご苦労さん」
 そう言って宮崎さんはラフ原を手にとって昼寝ブースから出ていったのでした。
 いまこれを書いていても、生きた心地がしません。この30年、この失敗のことを何度となく思い出してきたのに、文章として書き出すとなると、そのいたたまれなさは30年前そのままによみがえってくるものなのですね。いやあ、失敗した。
 こんな赤っ恥、あえて書いたのも、「逸材くん」と「俊秀くん」の違いを提示したからだったんですね。
 逸材くんと俊秀くん、どこか似ている。

 いまでもぼくは、「俊秀くん」のモデルのひとりはぼくだったと思っています。
 それは堀越二郎だったり、堀辰雄だったり、あるいは庵野秀明氏だったり、そしてぼくの知らない誰彼の新人くんといった、様々なモデルが寄せ集まってあの主人公になっている。その「主人公のかけら」の一片としてぼくがいる。

 ぼくは、『風立ちぬ』の構想が宮崎さんの頭の中でまだちゃんと確定しないときに、その構想を聞いた当事者でもあるという事情もあります。
 というのも、ジブリを辞めてから久しぶりにジブリを訪れて、二馬力の社屋にも訪れて、宮崎さんの歓待を受けたのでした。手ずからドリップコーヒーを淹れてもらい、しゃべるのはいつも宮崎さん担当。聞き役に徹したぼくはそのとき、宮崎さんの口から堀越二郎のことを聞き、堀辰雄を読んでいることを耳にしました。
 しかしあのとき、まだ宮崎さんのなかで堀越二郎と堀辰雄のふたつの話のブリッジが出来ていなかったことは、鮮烈に覚えています。
 「話がなんか、飛躍しているなあ」という違和感だけがありました。「なんで、この話のあとにこの話がつづくんだ?」という不可解があったのでした。
 後に完成した『風立ちぬ』を観たとき、「ああ、そういう風にやりたかったわけね」とはじめて納得したのでした。

 で、ここでもう一度、ぼくは独断的に言ってしまうのですが、「堀越二郎」と「堀辰雄」というふたつの存在が、くっついていないまま生煮えのアイデアだったのを、「ブリッジ」したのが「逸材くん≒俊秀くん」という設定だったという仮説です。
 宮崎さんはあのとき、まだ分断したままの2つの存在の話を「逸材くん=ぼく」の前で披露しながら、即興的に「ブリッジ=俊秀くん」を思いついたのではないか、という仮説です。
 もっと具体的に言えば、主人公が会社に新入社員として配属されるエピソードを本編のなかに入れる、そのアイデアをもたらしたのが「逸材くん」だった、それがぼくの見立てです。
 宮崎さんの中で生煮えだった「堀越二郎≒堀辰雄」のアイデアを「ぼく=逸材くん」に披露したとき、宮崎さんの頭のなかで「堀越二郎=【逸材くん≒俊秀くん】=堀辰雄」とつながったのではないか。そしてその主人公の声を庵野秀明氏という「もうひとりの逸材くん」にまかせた。
 どうでしょうか。無理がありますかね。
 ぼくが「逸材くん」として生きていたからこそ生み出した、独自の仮説。すごく極私的な仮説。
 まあ、墓場にまで持っていくとします。

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