烙印41~ルパンの物語が始まる(2019年の総括)

 11月の最終週、僕は会社を一週間休んだ。上司や家族には持病の精神病の調子が悪かったからだと言い訳したが、それは本当だったのだろうか。確かに僕はその一週間、布団の中で身動きできなかった。自分の身中にあふれるようにこみあげてくるものと、闘っていた。金曜日が陽を落としたころ、僕はのそりと起き上がり、パソコンの電源を入れ、原稿を書き始めた。あふれそうなものを慎重に、そろりそろりと言葉にしていった。そして土曜日、日曜日。僕は書き続けた。明日は月曜日だ、また労働の日々に復活しなければ。堰をふさぐに丁度よい頃合いの部分まで書き上げ僕はパソコンの電源を落とした。原稿用紙110枚ほどの文章が出来ていた。


 ルパンの話だ。ジブリで働いていたころに思いついた物語だから、もう25年も経って、ようやく弾けた。いやまだ完成はしていない。3分の1が出来たに過ぎない。主人公がルパンとの血統を知り、ようやく立ち上がったばかりだ。彼は残りの3分の2で、血の命ずるままに犯罪を行い、そしてどうなるというのだろう。


 ルパンとは僕にとって「カリオストロの城」のルパンしか眼中にない。テレビシリーズもその他の劇場版も眼中にない。あの爽快なアクションと起伏に満ちたストーリー進行に、巧みに織り込まれていくリリシズムと細部まで練り込まれた世界観。そう、あの世界。思春期という、どこまでも深く魅せられた対象に呑み込まれていくことに、従順な年代。そののめり込みは、あの世界が現実にはない!という絶望感へとなめらかに反転したあの頃。


 僕は20歳を境に、あの甘美で非現実な世界観と袂をわかとうと苦しんだ。そんなとき偶然が僕をジブリと引き合わせ、まさかあの作品をつくった当の宮崎駿が僕の存在を認めたのだった。宮崎的ファンタジーに反旗を翻すべく批判的な映像理念をきりきりと磨いていたその僕の営みは、ただ個人的な事情でやむにやまれず行った、ごくプライベートな克服の業だったはずだ。しかしジブリという空間に現実に引き込まれ、僕の思考は高畑勲という鏡面にぶつかり合うようにして試された。僕が磨いていたジブリ批判つまり宮崎駿批判は、ジブリのスタッフたちに肯定的に受け入れられるという、奇妙な経緯をたどり、ジブリに入社して対面した宮崎駿は、この僕という小僧っ子を逸材と名付け、継承者として育てようとした。僕はジブリ批判の思弁が評価されてジブリに入った。だから自分はジブリをどこまでも批判的にまなざすことを忘れまいとした。それが自分に課された使命だと思った。当然それは居心地の悪い労働体験だった。ジブリを批判した若者をジブリが雇用し、ジブリで働いていることを批判的にまなざすことを奨励され、その成果をいつかアニメ作品として結実させる。それがジブリに僕がいる意味だった。この目論見はどこか捻れている。二重に、三重に。


 しかし実際のところ、ジブリ的ファンタジーを破砕するための物語をジブリで働きながら紡ぎ始めたのは確かなのだった。ジブリ的ファンタジーを壊す。僕は狙いを「ルパン三世カリオストロの城」に狙いを定めた。ルパン三世の盛名がとどろくこの世界で、ルパンの血統を捻れた形で継ぐ男がそのファンタジーをどす黒く染め直す。ルパンの血を捩れた形で継ぐ男とは、宮崎駿の血を捩れた形で継ごうとしたこの僕とどこか似てしまうのも仕方ないことだろう。


 そんな不敬ですらある目論見は、アニメの世界を去って学究の道を選び直し、それもまた捨てていくなかで、脳裏の片隅に追いやられていた。そのはずの物語が、いま不思議な形で実現しようとしている。


 不思議な縁だ。すべての試みを頓挫させてしまったのはこの精神病という持病であり、それゆえ選り好みの出来ない形でいまの職場に障害者雇用枠で採用されている。


 十数年にわたる息子の振幅のはげしい人生航路を遠くから見ていた父親がある日、ちょうど一昨年の夏に、新聞で読んだという記事を差し出した。芥川賞作家を輩出した東京のカルチャーセンターの小説教室に関わる記事だった。父は言った。行く気があるなら、交通費は俺が出す。お前は受講料を出せ。折半なら俺はお前の背中を押す。こうして父との経済的二人三脚で僕は月に一度小説教室に通い始めた。そうやって一年強、僕はふたつの小説を書き、950枚の原稿を叩き出した。アニメの論文も完成を見た。


 アニメの論文のことはこの記事の余所道になるのでこの際あまり書くべきではないが、宮崎駿批判から出発した自分がなぜまた宮崎駿絶賛の論文を書くことになったのか。ただひとつ確かに言えるのは、その絶賛は誰もしたことのない種類のものだということ。誰も観たことのない形で宮崎アニメを観直すこと。それは自分にしか成し遂げ得ない成果であった。確かに僕は、宮崎駿の、誰も予想し得なかった継承者になったとは言えるだろう。こんな大胆不敵な宣言がするりと出るほどに、僕はこのアニメの論文という仕事に誇りを持っている。


 小説教室のことだ。大学は文学部に進み、サークル活動に文学や映画を選んだというのに、そこには自分だけの物語をかかえている人が意想外に少ないことに驚いた。だから、小説教室に通って、生徒のそれぞれがそれぞれなりの物語の成果を毎月持ち寄る営みに、いまようやっと出会えたという思いである。


 そして11月がやってきた。いったい何が起きたのだろう。僕は四半世紀抱きかかえていたルパンの物語を試したくなっていた。物語の骨子だけのまま放置されていたそれを、必要とする犯罪の専門的知識、警察機構の仕組みも調べないまま、書いてみようと思った。その試みが許されるものか、気心の知れ始めた小説教室の面々に試したいと思った。そう決意したとき、25年間堰き止められていたものが静かにあふれだそうとした。僕はそれが絶好の一瞬に始められるのを待って、もがき苦しみ、会社を休んだ。それが真相なのではないか。いや自宅でもがいていたときそうとは自覚していなかった。一週間布団のなかで訳もわからずあがき続けたあげくにパソコンを開いた瞬間、そうか、これが始めたかったのだなとようやく気付いたのだ。


 まだ完成していないルパンの物語がいつか、皆さんの前にお披露目できる機会はくるのだろうか。






2019年の総括。


ここに書いたことに尽きる。

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