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小説 義妹生活12巻 感想・解題・考察その3 沙季のFormer Fatherの人物像など(ネタバレ全開)

ネタバレ全開の「義妹生活」12巻の解題ですが、その前にワンクッション入れましょう。

映画「きみの色」作永きみ役の声の出演、高石あかりさんが、2025年秋からの連続テレビ小説「ばけばけ」の主役、ヒロインを演じると決まったとのこと。

おめでとうございます。

「安心、安全」な場所

まず、「きみの色」でも話題にした「安心、安全な場所」があるかどうかという話です。

令和6年10月27日に行われた選挙においても、この「安全安心な暮らしを約束する」という文言を叫んでいた候補者もいたように思いますが、果たしてそれは政治家が用意できるものなのでしょうか。
彼らにデザインの才があればできるかも知れませんが。

「きみの色」に登場したトツ子、きみ、ルイには、自ら作った場所ではありませんでしたが「シェルター」のような場所を得ることができ、その延長線上でバンドを結成して、曲を発表できた、ということが描かれました。

彼らが得た、学校における「保健室」や「マリア様がみてる」シリーズにおける「薔薇の館」や「温室」、一般社会における「開かれた教会」「開かれた寺院」「開かれたシェルター」のような「少しズレた場所」「この世ならざる場所」は、「義妹生活」にはほとんど用意されていません。

だからこそ、常に気を張って周囲を近づけさせない方法を使って生活している沙季は、悠太から見てもある種のつらさを抱えているように感じられているようです。

家庭も学校もバイト先も、そのいずれも綾瀬さんにとっては緊張を強いられる場所なのだと改めて強く思う。
……
そういう場所から抜け出したいまこの瞬間の彼女は、緊張が解けたような柔らかい笑みを浮かべている。

小説 義妹生活12 文庫版p.154

ポイントはこの抜粋における後半の部分で、沙季にとっての「安全、安心な場所」とは具体的な「ホーム」ではなく「悠太の側」だということ、そこが心理的な「ホーム」があることが示唆されています。母、亜季子さんも「ホーム」として存在しているのでしょうが、悠太とはまた別の役割を持っているようにも思います。

この状態になるまでにどれだけの時間がかかったか。まず、悠太が沙季のことを「好きだ」と自覚させる程度には、沙季が「武装解除した姿形と振る舞い」を彼に見せていたくらいの時間が必要でしょう。目次を参考にすると、かかった時間は少なくとも3ヶ月程度(出会い~夏休みのプール)だとわかります。そしてそれからさらに1年以上かかって12巻での状態になっているわけです。
ここに至るまでにはそれなりに時間がかかるし、コミュニケーションも充分にとっている必要があります。

また、具体的に話し合ったり、すり合わせたりすることが、悠太と沙季の「ホーム」作りに重要だったこともわかります。

「伊東文也」の人物像・「タンク」ではない「リーダー」

沙季のFormer fatherである伊東文也という人を分析、解析してみます。

悠太は伊東氏の外見の特徴を見て取り、「自信あり気なエリートにしか見えない」とまとめています。ついでに「ネクタイが赤」「声を張り上げる。無駄に声がでかい」といった情報を受け取っています。
その後、伊東氏は相手の話し出しを待たずしゃべり続けてしまいます。それを悠太は「これは会話ではない」と独り言ちています。

その後も伊東氏は(おそらく)一方的に「華々しい」近況を報告します。新しく立ち上げた企業が軌道に乗っている、年収が増え新しい大きな家を購入した、借金は全て返済した、など。

それ以上に伊東氏に自信を与えているのは、「新しい妻を迎え、その妻との間に子どもを授かった/新しい家族もできてしあわせだ/娘が生まれる」ことでしょう。ただ、ここまでの文脈が文脈なだけに、これを自分の娘である沙季に自慢気に、あるいははしゃいだ様子で報告しているようにも読めます。

それを聞きながら悠太は合宿中の自分を思い浮かべていますが、私にはそれとはどこか違っているように感じられました。悠太は焦りから視野狭窄を起こし、「追いついていない自分」という考えから抜け出せなくなる「うつ状態」に陥っていたと私は推測しています。
それを共に合宿に参加していた藤波さんが見つけて彼の状態を見抜くことができたこと、そしてタイミング良く沙季からの贈り物があったことが実に幸いでした。一方で、たとえそんな状況になっても藤波さんや沙季の「言葉」「心遣い」が届くという悠太のコミュニケーションのポテンシャルも高いのではないかと思います。

伊東氏について、あとのことは小説に書いてある通りですね。

「自分の弱さを話せない。自分が強い立場のときだけ饒舌になる」
これを言い換えると、「リスクは自分で抱えて解決を目指し、チャンスがあれば見逃さずに強気の勝負を仕掛けられる」ということになるでしょうか。このようなことであれば、伊東氏は優秀な「リーダーとしての社長」「起業家」でしょう。経営がうまかったかどうかまではなかなか想像できませんが。

リーダーではない社長もいる

ところが、小説「義妹生活」の1巻で、読売栞さんがこんな指摘をしています。

世の中の会社で、有能な部下より優秀な社長はほとんどいないよ
・・・
金持ちの社長は意外と助けられ上手だったりするわけだよ、少年

小説「義妹生活」 第1巻 「6月9日(火曜日)」より 抜粋

全ての社長に当てはまるのではありませんが、結構あり得ることです。
周囲に優秀な人材を集められる能力を持ち、彼らに援助や援護を的確かつ円滑に求められることが、社長として企業を支えるには重要なスキルであろうことは想像できます。
他にも、「的確なタイミングで的確な場合に、部下をかばうことができる」などの能力も必要かと思います。いざというときには「タンク」になれなければ、社長は勤まらないのでしょう。

多分、伊東さんはかつて「問題を全て自分が抱えて解決を目指そうとしてしまう=会社の抱えている問題を部下と共有しなかった」「危機において部下とすり合わせができなかった」せいで、沙季・亜季子と共にいた頃に「部下の裏切り」により社長の座を追われたのでしょう。

ここが修正されていない限り、また同じ轍を踏んでしまうかも知れません。その部分は、真に優秀な部下がいたり、また別の方法で彼を支える新しい家族がいることを祈るしかないでしょう。

コミュニケーションという行為

コミュニケーションをとる、ということは、具体的な行為です。特に言語でコミュニケーションをとることは、「問題の分析と言語化」を行い、互いの主張や理解を具体的かつ明確に言葉にしてすり合わせ、合意形成をしたり、妥協点を探ったりするような、とても理論的かつ直感的で、具体的な「行為」です。

そのためには、コミュニケーションをとろうとする相手と「会話」しなければなりません。当然、相手の話を聞けなければなりません。

ところが伊東文也は「自分のことを話す」「感想を言う」だけで、「待つ」ことも「応える」ことも「聞く」こともしていません。沙季の話を聞かず、自分が話したいメッセージを送ることに終始してしまいます。

このような一方的な態度をとると、コミュニケーションは絶たれます。

これではビジネスもうまく行かないようにも思うのですが、場によっては彼は「会話できる」のだと思われます。彼は家庭をうまく営めないだけかもしれません。

続きます……

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佐分利敏晴
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