小説「義妹生活」12巻および7巻 感想と解題・「恋愛結婚という病」の治療法①
令和六年十一月某日。
どうせネタバレ半分ですんでここに「僕の心のヤバいやつ」11巻の初見感想書きますね。
前半→なぜ市川が「陰キャ・モテない」認定なのか分からん、むしろ自称?
中盤(きっかけあり)→そう、そうだよなやっぱりこうなるよな市川
終盤→諏訪さん若い!そして老獪!大人はこうでなくっちゃね!
で、小説「義妹生活」12巻の感想というか、ここまでの積み重ねもあって考えたことを書いていきます。
題して
「恋愛結婚症候群」とは
『夫婦になる二人は恋人同士でなければならない症候群』
正式名、といいますか、学術的な呼び方は「ロマンティック・マリッジ・イデオロギー」といいます。
この前段階に「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」というものがまずあります。これは「愛と性と生殖とが結婚を媒介とすることによって一体化されたもの」と説明される考え方、信条、観念形態です。
「恋愛と性交渉が一体である」という信条(考え方)、観念もこれに含まれています。
そしてこれが結婚観とくっつき、「結婚が恋愛のあるなしによって正当かどうかを判定されるようになった」場合には「ロマンティック・マリッジ・イデオロギー」である、とする論文があります( 谷本・渡邉,2016,以下のURL)。
私は特に、この中でも病的に進展してしまった、つまり強迫観念になって人生を狂わせたり、日常生活を営めなくなるほどの苦痛を感じるまでになることを指して「ロマンティック・マリッジ・シンドローム」および「ロマンティック・ラブ・シンドローム」と名付けています。シンドロームとは「症候群」のことです。
「恋愛結婚症候群」とは、それを訳した言葉として作りました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjams/31/1/31_55/_pdf/-char/ja
現在の「恋愛結婚」に関係のあるワードや観念はほぼ「恋愛結婚観」すなわち「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」およびその変形「ロマンティック・マリッジ・イデオロギー」の産物だと思っていいかもしれないほど、この信条・固定観念・観念形態は深く広まってしまっています。
しかしそれらは日本では明治以降の輸入品です。決して「太古の昔からの文化・道徳」ではないのです。
性交渉を断られてキレたり身体的・精神的暴力によってそれを強制する「恋人」は、単なるDVの加害者です。それは恋愛の十分条件でも必要条件でもありません。セックスは恋愛を成立させるための何らの条件でもないのです。
このようなことがある場合は、すぐに警察の生活安全課(#9110)などに相談しましょう。
メリッサのライフスタイルの名前「ポリアモリー」
小説「義妹生活」には、また一風変わったパートナーの在り方を描いた部分があります。小説第7巻で登場したメリッサ・ウーのパートナーシップです。引用すると長くなりますのでここでは控えます。かわりに、このパートナーシップの名前につい最近になってエンカウントしました。
「ポリアモリー」といいます。
この「ポリアモリー」については、私自身何だかよくわかっていないし、批判的に見ている自分もいれば「でも待てよ」とそれに反論する自分もいる状態で、詳しく論じることはできませんでした。
何より私の「パートナー」は「唯一で」「実在しないオールマイティな(「妖精」のような)イマジナリーコンパニオン」であって「実在する誰か」ではない、という特異な状態にあるため、現実的に論じるのは困難です。
まあ、人間関係を「きちんと」論じることができる資格は誰しも持っていないとも言えるし、そんなこと知ったことではないとばかりに考え続ける学者もいます(工藤秋葉准教授のように)。ただ私は、このことを考えると頭から煙が出て焦げ付くので、他の方に託したいです。
私が理解した限りでこの人々の在り方を説明すると、『恋や愛のパートナーについて「たこ足配線」であることを(特に話し合いなどのすり合わせによって)それぞれの相手が容認している共同体に属する在り方、およびそこに属する人』です。
「共同体に属する」というのは私の勝手な印象による説明です。「何らかの緊密な関係(Bond)で結びついた共同体を形成している人々」のように受け取ったため、こう説明しています。
……で、Bondという単語を使ったところで思い出したのは「METAPHOR Re Fantasio」というゲームでFollowerとの絆を英語ではBondと呼んでいるんですね。Bondを結ぶことを隠さずに「たこ足配線」的に結び強固にしていくゲーム……?そういえば「ペルソナ3」「ペルソナ4」「ペルソナ5」でも「コミュ」で絆を結んで強化して「たこ足配線」になったような。
疫学・感染症学でいえば、不特定多数との性交渉は全くいただけませんですが、ポリアモリーではそういうことやっているのかというと、そうではないようです。中には性交渉無しのポリアモリー共同体もあるようです……当然ですが。
「恋にセックスは付きもの」と思ってしまった方は「ロマンティック・ラブ・シンドローム」の症状が出てます。
そういえば、「友人」は多ければ多い方がいいっていうのが「常識」ですよね。では人間関係の「深さ」「居心地」においては「一人の恋人」よりも「複数いる親友」の方が上だと思っている人は「不貞な輩」なんですかね?ところで友達関係でも独占欲以下略
まあ駄文はさておき。
ポリアモリーを紹介している文章としては、以下のものがあります①。
さらに深くツッコむなら、やはり論文クラスの文章が必要になります。上記リンクの筆者が書いたものがこれです。論文ではなく「シンポジウム報告」ですが、まとまっていて読みやすく、「ポリアモリー」の(現時点での)ある種の弱点も記されていると私は読み取りました②。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/afs/49/0/49_5/_pdf/-char/ja
ポリアモリーの弱点として上記のアーティクルから読み取れるのは、「自分はポリアモリーに生きる」ことを決め実行するなら、現在のところ「ポリアモリー」のコミュニティに属さなければならないということが挙げられるでしょうか。そうでなければ理解も得られず、むしろ排除されてしまうこともあり得るから…現状では。
また「自分で選択した生き方だ」と本人が語っていても、その選択の決定には彼らを取り巻く環境因(人間関係など)が結構大きな部分を占めており、「このコミュニティに追い込まれた」「このコミュニティに逃げ込むしかなかった」という見方もできる、ということが挙げられます。
ともすれば「ロマンティック・マリッジ・シンドローム」をこじらせたようにも見えなくもない。
ただし閉塞状況においてブレイクスルーを起こし未踏の地に適応できる種(しゅ)は、大概の場合「追い出されて限界・境界近傍に暮らさざるを得なくなった『弱者』」である、という生物界の法則みたいなものもあるので、これを「弱点」と呼ぶのが適当かどうか判断できません。
ただ、①の記述にこうあるのは注目です。
つまり、「関係(共同体)維持のために、定期的に『すり合わせ』を積極的に行う」ということです。
これが何を意味するか、「義妹生活」読者、視聴者であれば分かるかと思います。
ちなみに、「義妹生活」でメリッサ・ウーのこととしてポリアモリーが取り上げられていますが、それに対する意見の一つとして奈良坂真綾さんが考えを述べてます。(小説「義妹生活」7巻「2月18日(土曜日)修学旅行2日目 綾瀬沙季)ご参考までに。
長くなりすぎましたので、投稿を区切ります。
続きます。