
シン人類コラム『認知バイアスと自己証明—神に近づく人間の可能性』
序章:私とは何か—アイデンティティの揺らぎ
「我思う、故に我あり」とデカルトは言った。この言葉は自己の存在を疑い得ない唯一の証明として歴史に刻まれている。しかし、脳が揺らぎ、自己認識が変容する瞬間、私たちはこの言葉の限界を感じざるを得ない。脳卒中、高次脳機能障害、あるいは認知症の中で、自分が「私であり私でない」感覚に陥る。この矛盾は、私たちの自己認識がいかに脳の働きに依存しているかを示している。
マイナンバーカードのように、社会が個人を識別する「記号」を与えるが、それすら信じてもらえない現実の中で、自己証明の困難さが浮き彫りになる。では、自分とは何か?そして、私を私とするものを、どう他者に伝えるのか?
第一章:揺らぐ自己と認知バイアス
人間の脳は、認知バイアスというフィルターを通じて世界を理解する。認知バイアスとは、過去の経験や感情、文化的背景などに基づいて情報を偏って解釈する傾向のことである。例えば、脳卒中や認知症の患者が発する言葉や行動が、一見「普通」とは違うものに見えるのも、その人の脳の状態によるバイアスが表面化しているからだ。
認知バイアスを自覚することは、自分自身の限界を知る第一歩である。同時に、そのバイアスを上手く活用することで、自己制御を可能にし、さらには他者とのコミュニケーションを制御する方法へと発展させることができる。
第二章:他者との共通基盤—バイアスを超える視点
人間が「私」を証明するためには他者の存在が欠かせない。しかし、他者もまた認知バイアスに囚われており、完全な理解は困難である。例えば、老人の言葉や行動が周囲に奇妙だと見られるのは、社会が期待する「普通」に照らし合わせて判断しているに過ぎない。
ここで重要なのは、他者との間に共通の基盤を築くことである。それは絶対的な真実ではなく、「お互いのバイアスを理解し合うこと」で成り立つ。そして、そうした基盤が、個人と社会を繋ぐ鍵となる。
第三章:自己を制御し、他者を調和させる
認知バイアスを克服することは不可能だが、それを上手く「使う」ことはできる。自分の行動や思考を観察し、意識的にバイアスに気づくことで、感情や衝動を制御する能力が向上する。さらに、そのスキルを他者との関係に応用すれば、対話や協調がよりスムーズになる。
これは単なる自己啓発ではなく、哲学的・心理学的な基盤を持つアプローチである。神経科学の研究では、自己制御の能力が脳の前頭前皮質と密接に関係していることが示されている。また、共感能力もまた脳の特定の領域によって支えられている。つまり、脳の働きを理解し、それを利用することで、人間は自己と他者を超えた「調和」を目指すことができる。
第四章:神に近づく人間—バイアスの先にあるもの
「神に近づく」とは、全知全能の存在になることではなく、多様な視点を理解し、偏りを超えて世界と調和する存在になることである。認知バイアスを理解し、活用することで、私たちは自己認識を深め、他者との関係を調整し、最終的には社会全体の調和を目指すことができる。
このプロセスは、自己中心的な「私」から、他者や社会と繋がる「私」への進化を意味する。そしてそれは、個人が「神」のように振る舞うのではなく、神が象徴する調和と共感の境地に近づく行為である。
結論:人間の可能性—バイアスと共存し進化する
人間は認知バイアスの塊であり、自己を完全に証明することはできない。しかし、その限界を受け入れ、バイアスを利用することで、自己制御と他者との調和を実現する道が開ける。この過程で、人間は「神に近づく」存在となる可能性を秘めている。
脳卒中や高次脳機能障害、認知症といった「揺らぎ」を経験することで、人間の自己認識の流動性に気づくことができる。その気づきこそが、新たな自己理解と社会の進化を導く鍵となる。人間がこのプロセスを受け入れたとき、私たちは単なる生物としての存在を超えた新しい次元に到達するだろう。