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エピソード:井の中の蛙から見る広い空(『自己啓発から人類啓発へ』より)

「世間は集団と個人の戦いだが、個人も集団を作らねば戦えず、集団も個人に目が届かない。」
この言葉が胸に響いたのは、ある静かな午後、井戸の縁に腰をかけて空を見上げていたときのことだった。私はその井戸を、自分が生きる社会、あるいは日本そのものの象徴のように感じていた。

井戸の中にいる蛙。それは外の広い世界を知らない存在でありながら、目に映る空を信じ、そこに広がる世界を想像する。外に出られないからこそ、その狭い世界の中で何かを見つけ、何かを生み出そうとする姿。それが今の私の姿にも重なるようだった。

集団と個人の狭間で

世間を見渡せば、集団と個人の対立が至るところにある。集団の中で生きる個人は、仲間を作りながら戦うことを求められる。それでも、集団が大きくなると、一人ひとりの声が届かなくなる。個人は集団の中で埋もれ、孤独を感じる。

「自分を守るためには集団が必要。でも集団は自分を守りきれない。」
この矛盾に気づいたとき、私は思った。「じゃあ、自分はどうすればいいのか?」と。

他人を尊び、自分を信じる

答えは意外とシンプルだった。「他人を尊び、自分を信じる」。
集団に頼りすぎず、孤独に怯えることもない。その両方を超えて、他者を大切にしながら、自分の信念を守り抜くこと。それが、井の中の蛙である私が見つけた答えだった。

たとえば、他人を尊ぶとは、自分が知らない世界や価値観を素直に受け入れることだ。井戸の中から見える空が狭いと感じたとき、その空を広げるのは、自分と違う視点を持つ他者との対話だ。彼らが見ている景色を知ることで、自分の空も広がる。

一方で、自分を信じるとは、自分だけの空を否定しないことだ。たとえ井の中の蛙でも、その井戸から見える空を美しいと思う心を疑わない。それが、自分だけの価値を築く土台になる。

井の中の蛙が世界を見るとき

「井の中の蛙大海を知らず」とは、外の世界を知らないことを嘆く言葉だ。しかし、蛙が見ている狭い空を全否定する必要はない。蛙には蛙の視点があり、その空の中で何かを掴むことができる。それは他者を尊ぶことでさらに広がり、自分を信じることで深みを増す。

この視点を持ったとき、私は思った。「井の中の蛙であることは悪くない」と。外の世界を夢見るのも良いし、その夢を自分の井戸の中で実現しても良い。重要なのは、自分が見ている空の価値を見失わず、それを他者と共有し、広げていくことだ。

シン人類への誘い

このエピソードを通じて伝えたいのは、「井の中の蛙」であることを恐れないということ。シン人類とは、狭い空を見つめながらも、その空の先に広がる世界を想像し、他者と手を取り合ってその世界を作り上げる存在だ。

自己啓発が自分の井戸を広げる作業だとすれば、人類啓発はその井戸の中にいる他者と共に広い空を描く作業と言える。私たち一人ひとりが「蛙」として見ている空を大切にしながら、それを繋げていくことで、全体の世界が広がるのだ。

さあ、あなたも井戸の縁に腰をかけて、今見える空をじっくりと眺めてみてほしい。その空の先にある何かを見つける旅が、あなた自身をシン人類の一員へと誘う最初の一歩になるだろう。

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