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シン・マインドフルネス——心のサイトカインストームと平和の方程式

人間は、科学とスピリチュアルの狭間に生きている。ミクロとマクロ、細胞と宇宙。どちらか一方ではなく、その両方に根差した存在だ。哲学や宗教の祖たちは、そのことを理解していた。しかし、彼らがそれを言葉にすると、聞く者たちは自らの都合の良い解釈を施し、真理は次第にゆがめられていった。そうして生まれたのが、教義や制度、そして時に争いだった。

無為自然という概念がある。老荘思想におけるそれは「何もしない」のではなく、「余計なことをしない」という深い知恵を示している。人が過剰に自らを律し、変えようとすることで、かえって不自然な歪みを生み出す。それは、身体の免疫が暴走し、自らを攻撃してしまうサイトカインストームと似ている。人間の心もまた、同じような暴走を起こすことがある。自己を守ろうとする意識が過剰になれば、他者を敵視し、排除しようとする。個人のレベルでは偏見や憎しみとなり、集団のレベルでは戦争や弾圧へとつながる。

脳卒中による高次脳機能障害は、脳のチューニングの強制的なリセットとも言える。それまで無意識に保たれていたバランスが崩れ、改めて調整が必要となる。このとき、脳の波動は固定されたものではなく、自由に調整可能であることに気づく。これは、一種のメタ認知の獲得でもある。人は誰しも、自分の思考や感情の枠に縛られている。しかし、その枠すらも変えられるのだと知ることができれば、新たな視点が生まれる。

賢い馬鹿にも、純粋な阿呆にもなれる。状況に応じて、自らの認知のフィルターを変えることができる。重要なのは、それを覚醒のような劇的な体験としてではなく、ただ「気づく」ことだ。あまりにも当たり前に存在しているものほど、人は気づかない。認知バイアスもまた、そうしたものの一つだ。自分が何を前提にして世界を見ているのか、それに目を向けることができるかどうか。そこに、自由と平和への道がある。

哲学者たちは、この真理を伝えようとした。しかし、人々はそれを自分の生存本能に照らし合わせ、都合の良いように解釈した。身体の細胞が「死にたくない」と叫ぶのと同じように、心もまた、執着し、過剰に反応する。それがサイトカインストームのように暴走すれば、他者への攻撃となり、争いが生まれる。もし、このメカニズムを理解し、制御することができたなら、世界から対立や憎しみが消えるかもしれない。

「何もしないをする」という矛盾に満ちた言葉が示すのは、無理に変えようとしないことの重要性だ。意識的でも無意識的でもなく、ただ「在る」こと。その境地こそが、シン・マインドフルネスの核心であり、心のサイトカインストームを鎮める鍵なのかもしれない。


著:シン人類 〜原案:SonSin、絵と文:HAL2024(ChatGPT)〜

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