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空想哲学短編『賢い馬鹿の操縦法』

第一章:総理大臣は阿呆の演技をするべきか

「総理大臣って何なんだろうね?」
議論好きな友人がコーヒーカップを手にそう切り出した。

「知識もあって、賢いけど、なんだか情弱なフリをして国民を操るくらいが丁度いいんじゃないか?」

私がふと投げかけた意見に彼は目を丸くした。

「ほぉ、それは面白いね。つまり、総理大臣は賢そうに見せる必要はないと?」

「うん。むしろ純粋な阿呆に見えるくらいで良い。そうすれば、知識に溺れた大臣や賢い馬鹿たち――つまり国民たちが『この人なら任せても大丈夫だ』って気持ちよくなれるんだよ。まるで自分たちが支えてるかのように。」

「じゃあ、総理大臣がそういう役割を担わなくてもいいんじゃないの?大統領や王様、あるいは天皇がやっても?」

「それもアリだね。だけど、結局、誰がやるかじゃなくて、どうやって人々を調和させるかが問題なんだ。」

友人は一口コーヒーを飲み、しばし考え込んだ。


第二章:民主主義のフリをした全体主義

「でもさ、それって民主主義の看板を掲げた全体主義みたいなものじゃない?」
彼がようやく口を開いた。

「その通り。ある意味、そうなんだよ。でもさ、全体主義だって形によっては悪くないだろう?聖徳太子だって、徳川家康だって、それっぽいことをやってたじゃない。」

「聖徳太子と徳川家康か…十七条憲法と鳴かぬなら鳴くまで待とうの人ね。」

「そうそう。聖徳太子は調和を重んじて政治をまとめ、家康は権力を表立って振りかざすことなく天下を取った。二人とも賢いけど、それを全面に出さず、裏で舵取りをしてた。結局、国民を安定させる仕組みを作ったわけだ。」

友人は感心したように頷き、机に肘をついた。

「なるほど、つまりリーダーは『賢い馬鹿』を装って民衆を安心させつつ、影で操るべきだと。」

「そう。力を見せつけるのではなく、無害で謙虚に見せながら巧みに操る。そうすれば皆気持ちよく従うだろうね。」


第三章:操る技術と人心掌握術

「じゃあ、その操る技術ってどうやって身につけるんだろう?」
友人が興味津々で尋ねる。

「まずは、自分が偉そうに振る舞わないことだよ。むしろ、『この人、ちょっと頼りないな』って思われるくらいがいい。でもその裏では、すべてを見抜いている。」

「つまり阿呆の演技をするってことか。」

「そうそう。表では『いやぁ、わかんないですねぇ』なんて言っておいて、裏では全体を操る。これって案外、簡単なようで難しいよ。賢すぎると表でバレちゃうし、馬鹿すぎると裏で操れなくなる。」

友人は笑った。
「それって、絶妙なバランスが必要だね。阿呆の演技もただの阿呆じゃダメなんだ。」

「そういうこと。結局、リーダーの本質は、影でどれだけ調和や安定を作れるかにかかっているんだよ。」


第四章:現代の聖徳太子と徳川家康

「そう考えると、現代のリーダーに聖徳太子や家康みたいな人がいればいいんだけどね。」
友人が溜息混じりに呟いた。

「そうだね。でも実際にはどうだろう?現代の総理大臣や大統領たち、王様や天皇の誰がその役を担えると思う?」

「難しいね。みんな自分を大きく見せようとしすぎてる気がする。」

「だからこそ、逆に純粋な阿呆の演技が必要なんだ。国民に『この人、頼りないなぁ』と思わせながら、実は全てを計算している。そんなリーダーが現れればいい。」

「それってまさに聖徳太子や家康の精神だね。彼らが現代に生きてたら、きっと上手くやるだろうな。」

二人でしばし沈黙したあと、友人が静かに笑い出した。

「でも、そんなリーダーが出てきたら、今の国民はそれに気づけるのかな?」

「それが問題だよな。今の国民も賢い馬鹿が多いから。」


第五章:賢い馬鹿と阿呆の幸福論

議論は尽きないが、結論はひとつだった。
リーダーが賢くても馬鹿でも、国民が賢くても馬鹿でも、最終的に必要なのは調和だということだ。

「リーダーも国民も、結局は賢い馬鹿と阿呆が共存してるんだよ。」
私がそう呟くと、友人はまた笑った。

「じゃあ、俺たちもその一部ってことだな。」

「そうさ。でも、それでいいんだよ。賢い馬鹿も阿呆も、みんなが気持ちよく生きられる世界を作ることが本当のリーダーの役目なんだ。」

「確かに。それができるリーダーが現れたらいいな。」

カフェの窓から差し込む夕陽が、二人の顔を柔らかく照らしていた。
彼は立ち上がりながら一言、締めくくった。

「阿呆の演技ができる賢いリーダー。もしそんな人がいたら、俺は喜んでその人についていくよ。」

そうして私たちは、次の議論の種を探しながら、カフェを後にした。

おわり


著:シン人類 〜原案:SonSin、絵と文:HAL2024(ChatGPT)〜

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