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新聞記事の感想途切れず

今月の13日に

「書くことで収入を得よう!」

そう心に決めてから、ありがたいことに

今日までずっと、新聞記事の反応が私のところに届いている。

その新聞記事とは、今年の4月から連載が始まったもので、私が書かせてもらっている、地元の史跡や伝承を伝えるものだ。

地元の史跡や伝承を伝えるということは、地域への貢献と、親近感を深めるということ。そして、小さなお子様からシニア世代まで、流行に左右されることのない普遍的な共通の話題ともなりうるものである。

何より、この地域はヤマトタケルに代表されるように、皇族に関わる史跡や伝承が多く残されている土地柄なのだから、それをほかっておく手は無い。

皇族とは深い縁があった土地であるため、ここに住んでいる人たちは皇族の血が濃い、皇族の末裔かもしれないのである。

もっとも、人は誰でも先祖をたどっていくと、必ず王様とホームレスがいると言われているぐらいであるから、ご先祖に皇族がいると言ってもあながち嘘ではない。天皇の直系が長く長く住まい、関わった土地である。不可解なミステリーもロマンも、残された伝承や史跡以上に多いのである。

学生時代は全く歴史というものに興味がなかった私であるが、時代や国、人種にかかわらず人間関係が織りなすドラマを見るのが好きであったため、社会人となってから改めて歴史というものにハマってしまった。

私の所属する歴史クラブは、主に古代を中心に取材している。

土地の高低や川の流れが変わろうとも、できる限りその場へ行き、景色を眺め、できる限り、その時代のその人の気持ちになりきる、というのが我々歴史クラブのモットーである。

行けば、机の上ではわからない息遣いがその土地にはある。

目からウロコが落ちることも度々だ。


(私だったら、この時どうしただろう)


遠く空を眺めながら、そのように思いにふけることが、何よりの贅沢なのである。

そんな数年間の取材をまとめたものが、私が現在執筆している記事だ。

下書きは、記事の内容に登場する関係者や、歴史クラブの会長にチェックしてもらっている。訂正した方が良い部分があれば、何度も訂正をし、お互いに納得できるまで話し合いながら文章を整えていく。

そうして出来上がったものは、一番に会長と関係者の方に見てもらう。その時の感想は、私を奮い立たせるためなのか、毎度毎度すこぶる良い。

自分が書いた文章を自分で読むのは、もともと大好きな性分である。

時には、幼すぎる文章に赤面することもあるが、自分好みのセンスを爆発させて書いているのだから、何度読んでも自分が楽しめるのは間違いないのである。

そして、スカウトしてくださった新聞社の社長はどう思っているのだろうか、と心配していたら、なんと。私のいないところで「あれは面白い」と太鼓判を押してくださっていたそうである。

文章のプロがそう言ってくれるなら、本当に面白いのかもしれない。

しかし、私が伝えたい人とは、私たちのことを知らない人たちである。

文章のプロではない人たちである。

私のように、歴史の授業が好きではなかった人たちである。

その人たちはどう思うだろうか。

書き出せば、文章の森に入り込み、面白くてたまらないのだが、どこか不安な部分も持っていた。

そして、新聞に載り始めてから今月で7ヶ月目。

ようやく、私が知らない人たちの声が、私の耳まで毎日届くようになったのだ。

しかも、いつも概ね明るく前向きな意見ばかり。

楽しみにされている様子が、ありありと伺えるような言葉ばかりだ。

なんと、ありがたいことだろう。

私の熱意が印刷された文字を通し、読む人に伝わっているのだ。

これは面白い。

ここまでが本当に長かった。

途中で放り出さなくてよかった。

自分を信じていてよかった。

やってきたことは間違いではなかった。

私のことを褒めてくれる人たちのことを、散々疑ったりして申し訳なかった。

ここにきて、ようやく実感が掴めたのだーーー

教科書に載っている、たった一行の説明文には、いったいどれだけの時間とドラマが潜んでいるのだろう。とても、一言では済まされないようなことばかりである。

それを、掘り下げる能力が「想像力」であり、

「想像力」とは、人間が持つ最大の宝である。

私は歴史を伝えたいためだけに書いているのではない。



山は動いた。

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