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それは偶然か必然か

地球上の生物を含めた全ての物質に目を向けてみる。 

どこかで台風が発生し、どこかでは日照りが続いている。アマゾンの奥地では今も原始の生活を送っている人達もいれば、スマホでゲームをして暇をつぶしている人達もいる。 

地球上では数え切れない出来ごと、現象が起きている。今も起きている。 

そのような世界の中で、もし、私とあなたが出会ったとする。 

それは偶然だろうか?それとも必然だろうか? 

まずあなたと出会う前の行動を考えてみる。例えば私は買い物をしていた。荷物が重くて歩くのが少し遅くなった。そして信号の手前で赤になり、立ち止まった。そしてそこであなたとすれ違った。 

これは偶然だろうか?必然だろうか? 

あなたに合わないためには買い物に行かなければ、買い過ぎなければ、信号が赤にならなければ、あるいは誰かが私に声を掛けてくれれば… 

考えればいくらでも出てくる。
でもそれらはの出来ごとは起こらず、私達は出会った。 

(ちなみに私は今、結論を持たずにこれを書いています) 

そもそも偶然とはどういうことだろうか。
因果関係が明確でなく予期せず起こったことを言うようだ。 

では必然とは。
必ずそうなるに違いなく、それ以外にありえないことらしい。 

ということは、因果関係があれば必然で、なければ偶然ということになる。 

ちなみに因果関係とは、ある事実から他の事実が引き起こされたという関係とのこと。 

であるならば、あなたと出会ったのは、買い物に行こうと決めて、多く買いすぎて、重くなったために歩くのが遅く、赤信号で止まったから、である。 

事実から事実が引き起こされているから必然? 

いや、でも買い物に行こうと決めたのは私だ。私が気まぐれで行かなかったら会えないから偶然では? 

では私はどうやって買い物に行くと決めたのだろう。 

そろそろ食べる物が無くなってきた。1週間分を買いに行こう。明日は忙しいから今日行こう。雨も降りそうだから14時くらいに家を出よう。 

こんな具合いだろうか。
買い物に行かないという選択肢は無かったのだろうか。 

まだもう少しあるから今日はいいかな。今日は雨が降りそうだから外に出たくないな。明日は忙しいけどコンビニに寄ればいいか。 

ちょっとしたことであなたと出会わなかったはず。やはり偶然か。 

もう少し考えてみる。
脳の中は何が起きている?
過去の記憶を参照して判断をする。前に同じような状況があって、忙しすぎてコンビニにすら行けず丸一日ご飯を食べれなかった記憶によって、買い物を決意したとしたら? 

ではもっと不利な条件、私が記憶喪失だったら?
私には買い物の概念がないだろう。
では記憶喪失の状態で第三者に買い物に行ったらどう?と言われてどうしようか迷っているとしたら?
何をもって行くか行かないかを決める? 

言われたからとりあえず従うか。あるいはしんどいからやめるか。 

そもそも記憶がない状態で判断が出来るのか?
全く無くなったらできないだろう。
大体の人が過去の一部の記憶を喪失するのであって、言葉なんかは覚えている。 

その人が行けと言うから行く。体が痛くてしんどいから行かない。
これらは従っている状態。その人の言葉に従い、痛みに従っている。なので判断ではない。
やはり何らかの記憶が無いと判断できないと思う。 

ということは、私の記憶によって買い物に行くことに決めたということだ。ではその記憶はどうやってできた?生まれてから毎日、入力して比較して判断し、また記憶した結果である。 

今この時の私の脳が判断したのだ。 

そう考えると同じ脳は二度とない。判断した瞬間に記憶を書き込むからだ。 

もう少し考えてみる。
今、この瞬間に右手を上げるか、左手を上げるかを無意識に決めることは出来るだろうか?
無意識ということは過去の記憶を一切使わないということだ。 

何度か試みたが無理であった。
つまり必ず判断する。そして脳は書き換えられる。 

生まれてから書き換え続けた脳。
それは世界でたった一つ。
そして今も書き変わっている。 

我々は自分で判断している思っているが、それは過去の記憶が判断している。
ということは、そこに意思はない。 

つまり、私という物質が生まれてから積み上げた記憶という情報があるだけ。そしてその情報は周りの影響を受けて書き変わる。 

そう考えると地球上の全ての物質が影響し合って、波のように出来事、現象、事実が因果関係を持ちながら発生している。 

そうなるともう必然としか言いようがない。

今はこんな気分。。

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