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型に捉われない自由な生き方【生き方のコツ】

人は何かひとつくらい誇れるものを持っている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら運動がある両方駄目だったら君には優しさがある
夢をもて目的をもて、やれば出来る
こんな言葉に騙されるな
何もなくていいんだ人は生まれて生きて死ぬ
これだけでたいしたもんだ!
騙されるな
出典:ビートたけし「詩集 僕は馬鹿になった。」

生き方って?

生き方として考えについて印象的なのは、アルピニストである野口健氏の対談でのエピソードが印象的だ。

それで、その時親父が言ってたのが、「まあ、これから先、学歴社会ではない。俺は、東大に行って、外務省に入って、今は大使になった。だけど、たかだか今からあと十何年もしたら退官する。退官したら、肩書きが何にも残らない。元大使。元、だよ。この大使っていう肩書きは、あくまでも外務省のポストの肩書きであって、俺個人のものじゃない。引退したら、俺は寂しいんだろうなあ」って言うわけですよね。
「どうせ生きるなら、野口健っていうお前の名前がひとつの肩書きになるような生き方をした方が楽しいと思うんだ。ただ、たとえばそのためにこういうことがやりたいというのがあって、それで学校に行かないのならまだわかるけど、こういうことをやりたいんだっていうのがないのに、学校が辛いから辞めるっていうのは、それは逃げでしかなくてね、まあ、意味がないと思うけど、所詮はお前の人生だからね」って言われましてね。
出典:「野口健」という名前が肩書きになる生き方を

☟以下の2ちゃんねるでの書き込みが個人的に的を射ているように思えた

高齢独身でも楽しそうな奴と辛そうな奴がいる
趣味たーのしーの奴は楽しそうだけど
この年で独身とか俺終わってる……な奴はマジで不幸に見える
規範に沿った生き方は出来ないのに
規範に沿った価値観を内面化してる奴が一番不幸なんだろう
出典:【悲報】30歳目前なんだが人生終わった感が半端ない・・・

人生は長い?短い?

―――ジャネーの法則

人生の長さをどう計るかのような以下の考え方がある。

「人生72年、それが丸一日だ」と聞いたことがある。
 つまり、七十二歳=一日=二十四時間
 そして、七十二際÷二十四時間=三歳
 ということは、一時間=三歳にあたることになる。
 こうやって年齢を一日の時間に置きかえてみると、自分の一将を直感的にイメージする事ができる。
出典:「志村けん」の名言に学ぶライフハック

■ジャンヌ・カルマン

人類史上最も長生きをしたとされるフランス人女性を知っているだろうか?
122歳まで生きたジャンヌ・カルマン氏だ。

フェンシングは85歳から始め、自転車は100歳まで乗った[3]。1週間に1キログラムのチョコレートを食べていたとされている[5]。料理中に小さな火事が起こったことをきっかけにして、1985年に110歳で施設に移ったが、1990年1月(114歳11か月)のときに大腿骨を骨折し手術を受けるまでは歩行することができた。ジャンヌは手術を受ける間、「私はメトシェラと競合する」と喋っていたという。
114歳の時に本人役で映画『Vincent and Me』に出演して史上最年長の女優にもなった[13]。1995年にフランス語ドキュメンタリー「Beyond 120 Years with Jeanne Calment」がリリースされた。1996年に彼女が住んでいた施設はCD「Time's Mistress」をリリース。彼女の語りやラップなどがミックスされている。
20歳代から喫煙していたが、タバコに火をつけてくれる介護者のことを気遣って、117歳で禁煙したという[4]。
出典:ジャンヌ・カルマン - Wikipedia

こういうのを見ると人生遅い事ってないんだなと思わせられる。最期までいろんな経験を積んでるし人生を楽しんでいるようにも思える。また、煙草は体に悪いと言われるが、これを読むと喫煙は長生きにあまり関係ない気がしてしまう(肺に入れずにふかす場合とで発がんリスクは変わるらしいが、非喫煙者以上に遥かに長命であることから根底から疑問を感じるが)。

―――人生100年時代

人間の寿命の限界を導こうとする研究は数多く行われており、これまでに「人間の寿命は115歳で頭打ちする」「人間の寿命は120~150歳が限界」「人間は105歳を超えると死ににくくなる」といった研究結果が報告されています。新たに、スイス連邦工科大学ローザンヌ校で統計学教授を務めるアンソニー・デイヴィソン氏が率いる研究チームによって「人間は非常に運が良ければ130歳まで生きられる」とする研究結果が報告されました。
出典:人間は130歳まで生きられることが判明、ただし運次第

■やなせたかし
しかし、やなせたかし氏はまだ未練があったらしく以下のような発言を述べている。本人は死期を悟っていたのだろう(2013年10月13日に94歳で逝去)。

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アンパンマンがヒットするまでの経歴としては以下のようになる。

1953年(34歳):三越(宣伝部)を退職し、専業漫画家へ
1961年(42歳):「手のひらを太陽に」を作詞
1969年(50歳):PHP誌の短編集『十二の真珠』より元祖「アンパンマン」掲載
1973年(54歳):フレーベル館の月刊絵本『キンダーおはなしえほん』に「あんぱんまん」掲載
※当初評論家、保護者、教育関係者からバッシングを受けた。
1988年(69歳):テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』の放映が日本テレビで開始

人生は椅子取りゲーム。満員電車に乗り込み、 あきらめて途中下車せずに立ち続けていたら、あるとき目の前の席が空いた
出典:やなせたかし 珠玉の名言・格言21選

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人生の後期で何かを学ぶ事は、若くて才能のある人々と比べた時に勝ち目の薄い勝負のように聞こえてしまうかもしれません。分かります。しかしこれには裏があって、必ずしも早くから始めることが後から始めることと比べて優れているということはないということです。
出典:遅咲きの大成功者たちをまとめた勇気の出るインフォグラフィックと、人々が遅咲きになってしまう5つの理由:何か(スタートアップも含めて!)を始めるのに遅過ぎることはない!

「今日の皆さんが一番若いのです」と答えています。「一番若いときに始めましょう」と。 たとえば「自分は大学時代ろくに本を読まないで過ごしてしまった。もう手遅れだ」と思うぐらいなら、今夜から読み始めればいいだけなのです。 いまさら遅すぎると努力を放棄する人は、サボる理由を探しているだけです。
出典:人生を面白くする 本物の教養

私の母は62歳のとき、ハワイ大学で第二の学位を取得しようと決心したのだが、そのことに同年齢の女性が異論を唱えたことがあった。その女性は母に対して、こう言った。
 「ルース、ばかげてるわ。学位を取るまで3年かかるんでしょう。3年たったら、あなたは65歳じゃないの」
 母はその女性のいったことをしばらく考えていたが、笑顔でこう答えた。
 「3年たてば、何もしなくても65歳になるわ」
出典:62歳の女性が、大学入学を反対されて答えた言葉――「3年たてば、何もしなくても65歳になるわ」

■ロンブー田村淳

萩本欽一(74)氏も駒澤大学に入学したが、78歳で自主退学。
入学理由は、認知症対策に勉強していくうちに興味が出た仏教について学べる駒澤大学に入学。退学理由は、お笑いにかける時間が少なくなっている焦りだそうだ。

―――45歳で大学院へ

面接の日のことは、今も忘れられません。全然緊張していないつもりだったのですが、部屋に入ったら慶應の教授が3人ずらっと並んでいて、雰囲気に飲まれました。質問のレベルは高いし、聞いたことのない単語が飛び出してくるしで、僕も人前でしゃべる事は自信がある方だけど…、あの時は頭が真っ白でしたね。
10分ぐらい自分で自分が何を喋っているのかわからない状態が続きました。自分の声を聞きながら、「これ全然質問の答えになってないじゃん」と焦っていました。「ああ、完全に落ちたな…」という状態でした。
最後にお情けのようにひとりの教授が、「結局君は、入ったら何をやりたいの?」と聞いてくれた時に、はっと我に返って、こう言いました。
「人は生きる上で、色んなことを主体的に選択する権利を持っています。でも、死に方についてだけは全然違う。そこに何とかアプローチしてみたいんです」
この言葉を聞いた3人の教授が、ごにょごにょと話し始めて、潮目が変わったな、とわかりました。正気になった僕は、「さっきちゃんと答えられなかった質問に遡って話したいのですが…」と話を巻き戻し、自分の言葉で思いを話しました。それは数年前から考え、取り組み続けてきたこと。死に方や弔い方について、人がもっと選択肢を持てる社会をつくりたいというビジョンです。
やっと自分の血が戻ってきた感じでしたね。
「やりたいサービスはわかった。そのサービスはとても興味深い。やればいいよ。ただし、受かればね。でも、ちゃんと来れるのか?」と最後に聞かれた僕は、「毎日来ます」と答えました。
出典:ロンブー田村淳さん、慶應大学院生になっていた。理由は「死者との対話」を学ぶため

―――死者からの動画メッセージサービス「itakoto」を作りたい

語弊があるかもしれませんが、「死者との対話」ってすごく面白いテーマです。KMDにハムスターを飼っている女性の先輩がいて、いつも棒を使ってハムスターに餌をあげているんですね。ハムスターが棒の先をカリカリ噛みながら餌を食べるんですが、その振動を彼女は録っていて、ハムスターが死んだら、その振動が記録されたその棒と、ハムスターの映像とを組み合わせた装置を作るんだそうです。
すごい(生きた証の)残し方だな、と感服しました。僕には全くない発想。文章じゃなくても、もっと感覚的なものを残せるんですよね。僕の「itakoto」も今の構想段階では動画メッセージサービスですが、今後の研究の中でもっと全然違うものになるかもしれません。
出典:ロンブー田村淳さん、慶應大学院生になっていた。理由は「死者との対話」を学ぶため

1:名無し募集中。。。:2012/10/29(月) 21:40:41.09 ID:0
やればいい
何かをやる為には、
ついでに「やらなければいけないこと」がくっついてくるんだよな世の中。
大人になると。
子どもの時はさぁー、やりたいことがあります。
やりたいことがある為には、
「これを、やらなければいけない」って、くっついてくる。
子どもはさぁー、「やらなければいけないこと」が克服できないんだよ。
だから、やりたいことも我慢しないといけない。
それは、しょうがないじゃん。
子どもなんだもん。
だけど、大人になってくると何が違うかというと
「やりたい」ことにくっついてくる「やらなければいけないこと」
を克服できるパワーが、大人になったら備わってきてさぁ。
それを全部、解決していくんだな。
そして、「やりたい」ことをやるというところに到達できるだ。
だから、こどものころから変わってないんだよ、やりたいことは、たぶん。
それが、できるようになるのが大人だからさ。
だから、たとえばさぁ、10代の頃できなかったからって
諦めなくていいと思う。
ハタチになった、三十歳になった、40歳になった時に
あ~、あの時できなかったこと、
今ならできるという大人になってるかもしれないじゃないか。
だから、もう1回でも何回でもチャレンジできると思うぜ。
出典:甲本ヒロト「やりたいことは何歳からでも始めてもいい」:哲学ニュースnwk

型に捉われない生き方

■長崎真砂弓

「西表島のターザン」「日本のロビンソン・クルーソー」とも言われる、30年近く無人島で生活し続けている長崎氏。

「死ぬ場所を見つけることは重要なことであり、私はここが私にとっての場所であると決めました」と彼は言いました。
出典:Japanese island man lives as naked hermit

外離島で50歳の時から暮しているが、その発端は人間関係が嫌になったからだそうだ。唯一の収入源は4つ上の姉からの月1回に貰える1万円だそうだ。

長崎さんは、福岡県の出身だ。若い頃はカメラマンをやっていた。西表島に来てからは、製糖工場などで働いていたが、人間関係が苦手だったこともあって外離島で生活を始めた。最初は、小さなテントを張り、そこで雨露をしのぎ、雨水を蓄えて飲み水としていた。数年前には、有志の人たちが木造で小さな小屋を建てている。
出典:【必読】無人島に25年以上暮らす「全裸おじさん」に突撃取材! 立ち退きのピンチも…孤独の中で究めた人生哲学とは?

長崎氏は以下のように述べている。

「2年くらい前から平和ということを考え始めたんだ。ここにいると平和だよ~。争いの元になっているのは、資本主義と宗教だね。でも、平和ということを考えると、釣りをすることさえもはばかれるよ。魚を釣るということは、魚の社会を乱すことにも繋がるからねぇ……。『もったいない』という言葉が流行っているけど、日本という国は、大量の残飯を出しているよね。これだけの残飯があったら、貧困にあえいでいる国々を救うことが出来るよ!!」                               出典:【必読】無人島に25年以上暮らす「全裸おじさん」に突撃取材! 立ち退きのピンチも…孤独の中で究めた人生哲学とは?

☟映画製作者のAlvaro Cerezoがインタビューを行った。

同じくCerezo氏の話では、現在長崎氏は健康上の問題などから、警察によって文明のある島に強制退去されて暮らしてるらしい。人の生き死にに対して多くのことを考え焦られるエピソードだ。

■蘇敏

56歳で“家出”した中国女性。おそらくその土地の風習や根付いた文化があるのだろうが、孤独を感じ、医師からは鬱病と診断されたらしい。

昨年の冬のある日、彼女は自分の自動運転の経験をインターネットで共有しているブロガーを見て、すぐに同じことができると感じました。立ち去るまで、彼女は1年近く黙々と準備をした。普段は孫の世話をしながら、インターネットで自動運転ツアーのヒントや購入情報を探したり、旅費を稼ぐために料理のショートビデオをいろいろとこっそり録画したりしている。半年分のネット代も請求し、秋冬は二度と帰らないと心に決めた。
出典:56歲大媽策畫1年逃家 視頻暴紅

彼女は毎晩、車の屋根の上に設置した小さなテントの中で丸くなって眠る。食事は駐車場でとることが多い。この半年間に娘と孫に会ったのは一度だけで、夫にはまったく会っていない。
中国中部の河南省に住む56歳の定年退職者、蘇敏(スー・ミン)は、これほど幸せなことはないという。
「私は妻であり、母であり、祖母でもあります。今回は自分探しのために旅に出ました」
出典:56歳で“家出”した中国女性 ロードトリップの夢を叶えた動画に共感の渦

☟”家出”のきっかけとなる部分である。彼女の決意と行動力は見習いたいものだし、このエピソードでドキュメンタリー映画作れそうな感じだ。

そして2019年末、彼女は、一人でロードトリップをしながらキャンプ道具を紹介している人の映像を偶然見た。それを見て、自由と快適さを与えてくれる、運転をするという子供の頃の夢を思い出したのだった。
それから数ヵ月、彼女はロードトリップに関するあらゆる動画を夢中で見た。キャンプ場を探すのにどんなアプリを使うのか、どう工夫すればお金を節約できるのかなど、膨大な量のメモを取った。
やがて彼女は決心した。孫たちが幼稚園に入ったら自分も旅に出よう。数年前に、貯金と月々の月300ドル程度の年金で、白いフォルクスワーゲンの小型ハッチバックを購入した。
出典:56歳で“家出”した中国女性 ロードトリップの夢を叶えた動画に共感の渦

☟蘇敏氏のWeibo。ロードトリップを楽しんでいるご様子。

■ハイデマリー・シュヴァルマー

20年間金銭なしの暮らしをして来た女性。普段、スーツケース1個で生活し、緊急時のために200ポンド(約2万2000円)を蓄えている以外は著書やドキュメンタリー映画の売り上げもすべて寄付しているそうだ。

1996年、54歳になったハイデマリーさんは人生の大きな転機を迎えた。それは、ラジオから流れてきたニュースを偶然耳にしたことがきっかけだった。「カナダで、ある会社が突然倒産し、失業した人たちが相互扶助によって生活する仕組みを作った。皆がそれぞれの技能を生かして互いに助け合い、物々交換の形で必要なものを得るため、お金がなくても生活を営むことが可能となっている」。このニュースを聞き、ハイデマリーさんは自分も金銭を持たない生活に挑戦してみようと思い立ったという。当時の彼女は離婚して独り身。二人の娘もすでに家庭を持っていたため、生活様式を自由に選択できる状況にあった。
出典:金銭を持たない生活を実践 ドイツ人女性 - 大紀元時報

ハイデマリーさんは高収入の職を辞し、個人財産をすべて処分した。お金は一銭残らず他人に与えて、家も財産もない生活を始めたのだ。家事や庭仕事など住み込みの労働をする代わりに食糧と生活必需品を得て、「金銭は一切もらわない」というルールを作った。フランス語を教える代わりに携帯電話カードを入手し、店の掃除をする報酬として果物と野菜をもらい、眼鏡屋さんが飼っている猫の世話をして眼鏡をもらい、旅行へ行く友達の家の留守番をすることで暫く住む場所を確保した。心理療法士の経験を生かしてカウンセリングも時々行ったが、「金銭をもらわない」という原則は常に守った。
最初は、お金を持たずに生きていけるかどうかを試すため、一年間だけ実践してみるつもりだった。しかし、いざ始めてみると、金銭の束縛のない状態はとても気楽で、かえって充実した生活を送ることができると実感した。この生活を止めたくなくなったハイデマリーさんは以後20年近くずっと、金銭を一切持たずに生きてきたのである。
出典:金銭を持たない生活を実践 ドイツ人女性 - 大紀元時報

―――金銭の奴隷になる必要はない

有名になったこの機会にお金をたくさん稼ぎ、必要としている人達に配ろうと考えたこともあったというハイデマリーさん。しかし、そんなことをしてもあまり意味がないとすぐに気付いた。「そういった行動は焼け石に水で、問題の根本的な解決にはなりません。たとえ一時的にお金を手にしても人々は永遠に満足せず、求め続けるのです。社会構造そのものを工夫すべきなのです」と話す。彼女は、金銭に左右されない価値の体系を見つけたいのだ。
出典:金銭を持たない生活を実践 ドイツ人女性 - 大紀元時報

■pha

―――京大卒の元ニート

ニートになる前は大学職員として4年(大阪3年、バンコク1年)働いた後に無職。
大学時代の寮生活、ネットで会った人達と遊ぶようになった経緯からシェアハウス生活へ。

2007年かな。そのころTwitterが流行って、日本に住む仲間がオフ会とかで集まっている。『今日新宿でメシ食おう』とか気軽にやっていて、それをいいなーってバンコクで見ていて、それが高まってやめてしまった」
出典:日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由【いろんな街で捕まえて食べる】

「ネット上で遊んでいた人たちと実際に会って遊ぶようになったんですけど、そうなると拠点とする場所が欲しくなった。だったら自分でシェアハウスをやったらいいんじゃないかと思って、それをTwitterとかに書いたら、それじゃあうちの空いてるマンションを貸すよっていう人が出てきた。それで始めたのが『ギークハウスプロジェクト』というシェアハウス計画。
出典:日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由【いろんな街で捕まえて食べる】

では何故シェアハウスに住んでいるかというと、それは多分「人と直接コミュニケーションせずに孤独にならない」ということを目指しているからだ。
出典:人が怖いからシェアハウスに住む - phaの日記

pha氏の収入は主にブログの広告と書籍だそうだ。現在は40歳になってから一人暮らしを始め、ニートではなく文筆家として活動している。

普通の生き方と、そこから外れた生き方。「普通のところにいたほうが楽なんじゃないでしょうか」と彼は言う。「普通のところで生きていけないって人が仕方なく、別の生き方を探すってもんだと思う」
「普通」から外れた人の内面は分からないとphaさん。それでも、働きながらも死にたいと口にする人、働いている以外はずっと酒を飲んでいる人がいる。「そういう人でも、死んだら寂しい。なんとかギリギリ生きていけたらと思う」
「生きづらいと感じている人が読んで、楽になれたら……」と本を書く。あくまでも自分のためとしながらも、「参考になるのであれば」
出典:「そういう人でも、死んだら寂しい」月収10万円、37歳の吐露

結局僕が30歳前後で辿り着いたのは「人はそれぞれ性質が違うし向いている場所も違う」「世間で一般的とされているルールや生き方は、それが特に苦痛でない多数派の人向けのルールに過ぎない」「努力が足りないのではなく適性が違うということを考えるべき」「世間で一般的なルールに従わなくても、なんとか死なずに生きてて、たまに何か楽しいことがあればそれでいいんじゃないの」という考えだった。
出典:世間のルールに背を向けろ - phaの日記

それぞれの稼ぎ方

―――現代のサービスを利用した働き方

■大村達郎

―――UberEatsで月収100万円稼ぐ男

──最後の質問ですが、UberEatsで月収100万円を達成した時に一番大切にしていたことって、なんですか?
覚悟。
決めたことをやりきる。そういう覚悟ですね。
出典:月収100万円のUberEats配達員が大切にする「たったひとつのこと」

他にも俳優やDJ、飲食やバーの店主、新聞配達などを経験している。
中でも一番辛かったのはバーの店主として働いた経験だそうだ。その時の詳細についてはも記事にて詳しく述べている。まさに”痛み”を原動力にというエピソードともなる部分だろう。

大村氏のライフスタイルの幹となっているのが、DJと俳優の仕事だ。DJを始めたきっかけは、”痛み”を経験したバーの店主時代にある。たまたま店に来たスクラッチチャンピオンのDJプレイに感動して、DJに興味を持った。当時は自身でプレイするとは考えていなかったが、友人が上達する姿を目の当たりにして「自分もできるのでは?」と始めてみたそうだ。
一方の俳優業は、家庭環境が影響している。芸能事務所のマネージャーやレコード会社の社員だった父親の影響で、大村氏の周りには映画や音楽が手の届く範囲にあった。バーの店主時代からミュージシャンのMVなどに出演する機会があり、そこから俳優業を志すようになったという。
「バーを辞めてからで新聞配達と2トントラックの運転手をしているときに、書類を出して養成所に行き始めました」
出典:フードデリバリー 大村達郎/“痛み”を原動力に記録に挑む仕事術

養成所に通いながらも稼ぐことには限界があったようだ。

金銭問題をきっかけに苦渋の決断で1年で養成所を辞めて、働きながら俳優やDJをスキマ時間でやっていくライフスタイルにそこから変わっていきました。でもそんな感じだと俳優業で芽は出ませんよね。
そんなときにもう1つ試練みたいなものがあって、ルバロンが閉店するんです。毎月20万円返さなければいけない男が、職を失うんですよ(笑)。そこで適当に求人情報サイトで『青山・バイト』で検索をしたときに出てきたのがメッセンジャーの仕事だったんです」
出典:フードデリバリー 大村達郎/“痛み”を原動力に記録に挑む仕事術

―――いかに効率よく届けるか、UberEatsで働き始めるまで

以前に新聞配達の経験があった大村氏は、メッセンジャーとして働いていたこともあったそうだ。

メッセンジャーとして意識して行ったのは地図を毎日読むことだった。
「仕事が速いメッセンジャーの方たちは、Googleマップを見ないんです。自分の頭の中で地図を描いて走ってるんですよね。だからマップを使っていてはトップになれないんです。
最短距離を把握することはもちろんですけど、新たなルートがあるかもと思えば信号待ちのときに地図を確認して、ルート見つけたりする。まあ、行ってみたら階段だったことも多々あるんですけど(笑)。そういう試行錯誤を繰り返していきました。これは今も変わってないです。
(省略)
メッセンジャーを3年続けて、退職する最後の月に会社の歴代最高売上を更新したのちに、大村氏は現在のフードデリバリーの職へジョブチェンジをする。「正直、仕事はなんでもよかった」と話す彼がこの職についたのは、メッセンジャーからフードデリバリーに転向した先輩の言葉がきっかけだった。
「先輩から『達郎なら、フードデリバリーでも稼げるよ』と言われた言葉が頭に残っていて、試しにやってみるかと思ってやり始めたんですよ。そうしたら軽くやってもけっこう稼げて。本気でやってみようかなと思ったんです。
でも、俳優業の撮影やDJを変わらず続けていたのもあって、毎日フードデリバリーに費やせるほどそんなに暇ではなかったし、100万円を稼げるほどの時間はなかったんです。そんなときにやってきたのが新型コロナウイルスの流行。撮影やDJの仕事が無くなってフードデリバリーの記録に挑戦することができたんですよね!」
出典:フードデリバリー 大村達郎/“痛み”を原動力に記録に挑む仕事術

☟コロナ禍の現在、働き方や価値観がいろいろと変わってきている気がする。脱サラしてUberEatsで働き始める人はまだまだいそうだ。

―――自分を売りにするサービス

■プロ奢ラレヤー

年収1000万円の奢られ屋。
奢られる以外での主な収入は、こちらがわかるところでは
・noteの有料記事
・Twitterでのツイート広告(1.5万円~)
という感じだ。他にもツイキャスの投げ銭などが予測されるが…
Twitterも彼に奢りに来る人達(政治家や医者、YouTuberなど)のエピソードを投稿していくことで徐々にフォロワーが増えていったという。

☟彼に奢るための条件や方法は自身のnoteにて公開している。

―――大学を辞めてチェコに行った経験

僕は現在22歳で、19歳のときに某理系大学を半年で中退したのち、ヨーロッパをほぼカネなしで3か月ほど散歩しに行きました。チェコのプラハではナイフを持った薬物中毒者に追いかけ回されたり、気分で登った謎の雪山で遭難して死にかけたり、オーストリアのウィーン中央駅では難民たちとゴミを漁って生活するなどを経験しました。お金がなかったのでヒッチハイクで移動し、たまたまたどり着いた田舎町で出会った女のコと会って2週間くらいのノリで結婚したりしました(現在は離婚済み)。
 そこから日本に帰国したあとは「プロ奢ラレヤー」として、ツイッターを介してだいたい月50~60人ほどからメシを奢られる生活をかれこれ3年ほどやっています。つまり、「他人のカネで焼肉を食べる」のが僕の今の仕事です。そうです。他人の金でメシを食べています。これで、だいたい僕のことを理解していただけたでしょうか。
出典:“他人のカネで生きていく” なぜ毎月50~60人も「プロ奢ラレヤー」にメシを奢るのか

―――お金に執着せず「お金=幸せ」ではないとする考え方。

いや、中学生のころっすね。
あまり裕福ではない家庭だったので、お金を稼げば幸せになれるんじゃないかと思って、インターネット上でビジネスをしてみたら、100万円くらい稼げたんですよ。
でも、それだけお金があっても、中学生が欲しいものなんて文房具とかゲームくらいだし、ばんばん使ってても怪しいから、すぐに使い道がなくなっちゃって。
「使わないお金はないのと同じだな」って気づきました。
出典:自分にとっての“パンの耳”を考えろ。年収1千万のプロ奢ラレヤーが語る「お金と幸せ」

あのへんに行くと、ホームレスの人たちがけっこういるんですよ。で、路上で将棋をやってるんですね。
それを見てると、「こういう生活も理想的なんじゃないか」とすごく思わされる。
出典:自分にとっての“パンの耳”を考えろ。年収1千万のプロ奢ラレヤーが語る「お金と幸せ」

―――プロ奢さんのような生き方を目指すには?

−−これから、プロ奢さんのような生き方を目指す人たちって増えて行くかもしれないと思うんですが、そんな人達になにかメッセージがあれば。
結局、ランニングコスト下げてひたすら「良いもの」を生み出せば、人は集まってくるんですよね。
−−ランニングコスト?
つまり、自分が何をコストと感じ、何をコストと感じないのか。僕は常に人と会っていることや、コミュニケーションをコストと感じない。ですが、毎日着たくもない格好をして、同じ時間に同じ職場に行くのは大きなコストです。自分にとって何がコストで、人に比べてコストを感じずに動けるものはなにか、考えた結果の最適解が「プロ奢」なワケです。
自分にとってのコストを避け、理解できる自分の世界を叫び続ける。そうすると、世界中のどこかから共感者が集まってきます。
出典:【インタビュー】プロ奢ラレヤーが「奢られる」までにあったこと

■レンタルなんもしない人

テレビでもドラマ化がされた時の人だ。

直接のきっかけは、テレビで見かけた「プロ奢ラレヤー」というかたがおもしろい活動をしていたのを見て、活動の形式を真似したことですね。
僕はもともと、何もしたくない気持ちが人一倍強かったんです。何かをしようとしては続かなくてやめる、そういうくり返しの人生でした。会社で働いてもすぐに辞めて、ライター活動をしようとしても、ブログを書いてみても続かない。いろいろやってみたけど無理だったんです。
出典:第1回 なんもしないで、ただそこにいる。 - ほぼ日刊イトイ新聞

現在、レンタルさんは1万円+交通費で活動をしているようだ。

ただ、意外なことに「お金が発生したほうが頼みやすい」という人もいましたね。無料なら無料で、依頼する側にクリエイティブが求められていると感じる人もいたようです。自分なんかが依頼をしていいのかなって遠慮してしまっていた人が、金額の設定をしたことで内容を気にせずに依頼できるようになったそうです。
出典:第2回 なんもしないで、ここまできたか。 - ほぼ日刊イトイ新聞

―――新卒3年で会社を辞めて独立

「大学院を卒業して、周囲が研究者の道を進むなか、学習参考書の出版社へ入りました。でも、いろいろ悩んで3年で辞めたんです。その後もライター業をやっていたのですがしっくりこなかった。自分にはなにも向いてない、と思っていました」
出典:「何もしない」を職業にした35歳男の豊かな人生

―――コンプレックスとしてあった"なんもしない"

「学生時代から文化祭の準備や大掃除といった共同作業が全部苦手で、僕だけなんもしていないのを終わりの会で先生から『一人だけなんもしていない人がいました』と言われたこともありました。僕は勉強ができた方だったのですが、“自分で率先して仕事を見つけながらみんなで協力していくことって、数学や英語の勉強ができるよりもはるかに大事なことだからね”となんとなく僕のほうを見ながら言われ、ずっとそれがコンプレックスでした」
出典:「なんもしない」は価値がない、なんてない。

―――奥さんとの出会い

「大喜利は見てる人からの評価で面白いかどうかが決まるので、自信がないからこそ順位をつけてもらったり、他者評価に委ねていた。でも今はニーチェの価値観に触れて、人がどう思うかより自分で面白いと思うかどうかを優先するようになりました。例えば、レンタルなんもしない人では“レンタル料を貰っていない”と僕が言うと、“飯のタネにならないことをしてなんの得があるの?”という人が絶対にいます。でも、僕が面白いと思ってやっているんだから、それでいいんです」
根拠のない自信に支えられ、自分の面白いを貫き、レンタルさんは「レンタルなんもしない人」という職業を誰よりも楽しんでいた。ちなみに妻と出会ったのも大喜利のオフ会だという。
「オフ会で話したら、妻はたまたま自分が通っていた大学の職員だったので、大喜利という狭い世界でこんな偶然もなかなかないなと。妻は今、イラストレーターとして働いているのですが、ぼくの仕事にも理解を示してくれているので感謝しています」
出典:「何もしない」を職業にした35歳男の豊かな人生

幸せとは?

―――お金≠幸せ

昔、オーストラリアに長期滞在したとき、
 「日本に帰ったら、また現実がはじまる。帰りたくない」
 と海辺で仲良くなったオッチャンに愚痴ったことがあります。
 そしたら、オッチャンは、ビールを片手に
 「元気だしな。幸せは一つじゃない。もっとたくさん種類がある」
 と完全に酔っ払った状態で教えてくれました。しかし、その言葉には真実味があって、とても胸に響きました。
 そこから先は、英語だったので、あまり覚えていないけど、たぶん次のようなことを言われました。「誰かが決めた幸せのものさしにハマらないからって、落ち込むな。幸せのものさしは、自由に決めて満足すればいい。」
 目からウロコでした。
 たしかにオーストラリアを見回すと、そうでした。
 いろんな幸せな人がいました。自給自足を楽しむのもアリ。男が子育てを楽しむのもアリ。ホームステイで世界中から子供招くのを生きがいにするのもアリ。昼から浜辺でビールを飲むのもアリ。会社を4時に終えて、そのあとサーフィンを楽しむのもアリ。バーベキューを生きがいにするのもアリ。
 日本でも、こういう人はいると思いますが、まわりから認められてなかったり、痛々しかったりします。
 オーストラリア人は、それを心から楽しんでいる感じでした。
 幸せのものさしを、みんながそれぞれ作って、尊重しあっている
出典:「幸せのものさし」の種類が少ない日本 ― オーストラリアで知ったこと

人からどう見られるかが気になって、気になって、ストレスレベルはものすごかったんです。常に競争して、今日はアップ、今日はダウン、と一喜一憂していました。自分にはダメだしばかりしている自分にも疲れ切っていました。でも一方で、「自分のものさし=自分の幸せ」にフォーカスしている人は、とても幸せそうなんですよね。幸せは外側にあるのではなく、心の内側にあるものだと思いました。
加えて、私は世銀時代、トレーニングを受けて、末期のガン患者などのターミナルケアのカウンセリングのボランティアをしていました。そこで患者さんたちと話していると、どんなに財産を築いた人であろうとなかろうと、言うことはみんな同じだと気付くのです。それはれ人生の最後で誰もが人間同士の絆について話すということです。「あの人といて楽しかった。あの時のこと語り合いたい」「あの人に謝りたい」「もっと子供と仲良くすればよかった」「あの人に感謝を伝えたい」・・。最後に頭をよぎるのは過ぎてきた人生の人間関係のことだけだったのです。「年収がもっと欲しかった」「もうひとつ別荘やクルーザーが欲しかった」「管理職になりたかった」「地位や名誉が欲しかった」なんて話は一切出てきません。
人生の最後に旅立つ人が、私にくれた貴重な情報 - 他人からの評価や物欲ではなく、人と人との関係性・絆を大切にして、自分の人生の真ん中にしつらえておこう。それさえ真ん中に置いておけば、たとえ環境や条件が変わろうと自分の人生がそうぶれることはないだろう、そう思いましたね。
出典:ソーシャルファシリテーター 中野裕弓さん 留学・ワーキングホリデー応援サイト|海外生活サプリ

―――お金は不幸を回避する

心理学者であるクシュレフ氏は、「貯金があることは悲しみに対するクッションになり、貯金が少ないと苦しみや悩みの原因になる」と、研究結果から結論付けました。
つまりお金は、幸せを増やすためというよりも、悲しみを減らすための効果的なツールとして機能するわけです。
出典:お金で幸せは買えないが、不幸は減らせることが判明…ブリティッシュ・コロンビア大学の研究

たとえば、豆腐80円のものと、豆腐70円のものを比べた時に、生活に余裕がある人は悩みません。なんとなく選んで終わりです。ただし、貧困の人は10円の差が大きいため、そこで吟味をし、どちらを買うか「決断」します。
そのため、決断の回数が多くなりエネルギーを使ってしまうということです。
よく、富裕層の人が「貧乏だからといっても、こういう勉強をしたり、こういう行動をすればいいだけだ。行動が人生を変えるんだ!」みたいなことを言っていたりしますが、そもそも決断が多すぎて、行動するためのエネルギーがなくなっているというわけですね。富裕層の人は10円で決断しないですし、移動の時にタクシーを選ぶか電車を選ぶか決断しなかったりするので、より重要なことだけにエネルギーを使えているのかもしれません。
ということで、富裕層の人が、そうでない人に対して意思の弱さを説教するとかは、非常に酷なことなのかもしれません。
出典:いい人生を送りたいなら「決断疲れ」を避けるほうがいいのかも

―――"幸せ"に気づく

119 彼氏いない歴774年 sage 2017/12/31(日) 17:52:31.68 ID:Inzsxq/M
2年くらい前にバズってた、良いことがあったらそれをメモして瓶の中に貯めておいて
年末にまとめて読んで幸せになるってやつ
自分が何に幸せを感じるのかっていうのがよくわかった
最近一人でいるのが楽で「人間めんどくさい」とか思ってひきこもってたけど
幸せメモ見ると、だいたい誰かと過ごした時のことや言われたこととかばっかりで
私をこの一年幸せにしてくれたのは自分以外の誰かなんだって気付いたから
来年はもっと人と関わろうと思う 楽チンと幸せは別なんだな、私にとってはだけど
120 彼氏いない歴774年 sage 2017/12/31(日) 20:07:22.05 ID:vt2U70rB
>>119
刺さるなあ、楽ちんと幸せは別、か…
出典:やって良かったスレから - 続・妄想的日常

「私、事務の仕事が好きなので、事務作業で人をサポートするのが楽しいです!」
 と言って、たくさんの人のサポートをしている女性がいましたが、ある程度お金を稼げるようになったら、
「実は私、事務作業は本当は全然好きじゃないということに気がつきました」
「全然やりたくなくなりました」
 と、本人も驚きながら報告してくださって、今では大勢の前に立って大活躍しています。
 そんなたくさんの人を見て、僕たちはお金の不安がある状態だと、どうしてもストレートに本音が出せないようになっているみたいだと思うようになりました。本当はやりたくないことを、自分がやりたいことだと、なぜか思ってしまう。
 そう、僕たちは、お金に不安を持っている状態だと「本当の目的」に気がつきにくい。
出典:幸せのプログラミング|椎原崇|本|通販

だから、「幸せ」は、「なろう」=「手に入れよう」とすると、とても苦しくなる。
なぜなら、そんな簡単に望むものは手に入らないから。
「持っていないものを手に入れるのが幸福」と思っていたら、残念ながら大体の場合、一生不幸なのだ。
だいたい、人間の欲は限りがない。何かを手に入れた瞬間、次のものが欲しくなる。
ところが、彼のいう「幸福な人」は、全く異なる。
日常生活の解像度を上げて、「こんなことに幸せを感じられる俺って、幸福」といえるのが、幸福な人なのだ。
何にも「ゆとり」を感じる能力を有する人、と言ってもよいのかもしれない。
彼はこう言った。
「いくら頑張っても幸福になれない理由は、幸福の本質が「なる」ではなく「見つける」だからですよ。」
「なるほど」
「競争して、良い暮らしを手に入れよう、では、幸せになれない。良くも悪しくも、ヨーロッパは階級が固定されてますからね。だからこんな考え方が発達したんでしょう。良いか悪いかは別として、もうじき、日本もそうなりますよ。」
出典:いくら頑張っても幸福になれない理由は、幸福の本質が「なる」ではなく「見つける」だから。

昨晩、テレビ東京で「日本で初めて飛び級で大学(千葉大)に入学した高校生はいま」というルポを放送していたが、 大学院時代に結婚、一児の父となる →大学院修了後、研究職につく →不安定な雇用状況&収入の少なさ(月収20万円)ゆえ断念 →トレーラー運転手に転身(月収30万円) →現在はトレーラー運転手の傍ら、休日に一般向けの化学・物理教室を開催、理系に興味を持つ人々を増やすべく活動中 という状況だった。 今では成田に中古の一戸建を購入、朝5時から夕方5時までの勤務だが、夕食時には帰宅して一家団欒のひとときを持てるのが何よりの幸せという。 それにしても、こういう優れた人材をきちんと活用しきれない、それがこの国のリアルな現在なのだなあと改めて思ったことであるよ??。
出典:【悲報】飛び級で千葉大に入学した天才少年、現在はトレーラーの運転手。。。 : はれぞう

―――"正解"に捉われる必要はない

―――大切なのはお金ではなく自分自身

この実験でギルバート教授は、宝くじが当たった人が、1年後にどれだけ幸せかを調査しました。
その結果、大金が転がり込んだことで生活のレベルが激変しても、その人が感じる幸福度は以前とほとんど変わらなかったということがわかったのです。
さらに興味深いのは、この幸福度の法則は不幸に見舞われた人に対しても同じように当てはまるということです。
ギルバート教授が、下半身麻痺になってしまった人に対して調査を行なったところ、下半身麻痺になる前後でもやはり幸福度は変化していなかったのです。
これらの実験結果からわかるように、たとえプラスに働こうが、マイナスに働こうが、外的要因は人の長期的な幸福度には影響を与えません。
出典:ダニエル・ギルバート「宝くじが当たった人が、1年後にどれだけ幸せか?」

「でも大事なのは、実際に月に100万円稼いだり、通帳残高を増やすことではなくて、『自分が100万円を稼げる』という自信を持つことなんですよ。お金というのは信用を数値化したものですから。自信のある人には信用もお金もついてきます。だから、なんでもいいから自分に自信を持つこと。それこそ『現役で大学受験に合格した』でもいい。一度、成功体験をして身につけた自信は、一種の無形固定資産みたいなもので、なくなることはありませんから」
出典:第12回 お金があれば幸せになれるの? | R25

248: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/12/05(月) 20:26:19.24 ID:qz3iMu8I0 私が日本に抱いていたイメージは、武士道、サムライ、強さ、礼儀、 そして無敵の男が持つ一分の隙もない精神力、そんなものばかりだった。 ところが日本に来た私は失望した。 確かに深い尊敬の心を感じたが、それは強さや精神力ではなく、 むしろ弱さから生まれるものだったからだ。尊敬の心が感じられても、 それは他人の人生を邪魔したくないと怖がっているからだったり、 他人の意見を聞きたくないからだったりする。 もう少し自分を出し、エネルギーを出しきって生きれば、 どんなに幸せになれるだろうかと思う。                        ヒクソン・グレイシー
出典:真面目な人ほど損をするよな。:哲学ニュースnwk

―――人のことを気にしすぎるな

463:おさかなくわえた名無しさん:2013/02/22(金) 16:46:36.78 ID:Wc7C3Tn6
他人に何か言われても萎縮してはいけない。
言った他人はたいてい3日で言った事は忘れてる。
465:おさかなくわえた名無しさん:2013/02/22(金) 17:59:49.80 ID:5SzbNN91»463
分かる
他人や世間の基準や評価なんて自分の幸せとは全く関係ないということ
出典:年齢を重ねてわかったこと:哲学ニュースnwk

うまーく表面だけ見て気分良く生きていた方が幸せよ 裏面見ると際限無いし、嫌な気分になるだけで滅多に自己防衛にはつながらない ってのが人生失敗したおっちゃんになってやっとわかってきた気がするわ
出典:社 交 辞 令 の 怖 さ は 異 常:キニ速

451 : ミツバヤツメ(北海道):2010/06/15(火) 21:57:10.97 ID:PY6hOpRk
大学のとき無理してリア充生活を半年を続けたけどすげー辛かった
大半の時間が人間関係の維持に費やされる
家に一人でいても次々と送られ来るメールに煩わされるし、
流行もののチェックやテレビなんかをある程度見なきゃいけない
得られるものは周囲のぼっち共に対する優越感と
好きでもない女とのセックスぐらい
出典:お前らよく "リア充氏ね"ってたち何をしていてリア充なの:【2ch】ニュー®VIPブログ( `・ω・ ')

なんか人生を賭けてまでこれをやりたい!というものがないといけない、という風潮があり、一生懸命それを探して、夢中になりたい、全力を尽くしたい、という人が多いと思うのですね。
その気持ちは非常にわかります。というのも、会社をやる上でも、ビジョンや目標を決めて、その戦略を立てて、目標数字を立てて、というところは非常に難解なところなので大変なのですが、それを決めてしまえば、あとはやるだけなので、いわゆるフロー状態になるから気持ちがいいんですよね。
やりたいものが明確で、それに向かって努力し続けるって気持ちがいいんですよ。非常にやっている感もありますし、充実感がある。その状態にしないといけないというプレッシャーがある人が多くいるんじゃないかなあ、と。
出典:別に『やりたいこと』なんて見つけなくてもいいんじゃないか - nanapi社長日記 @kensuu

―――自分の好きなように生きる

186 名前: フードプロセッサー(空)[sage] 投稿日:2010/02/02(火) 01:20:38.27 ID:u8IAzeoc
お前には無理だよ、と言う人のことを聞いてはいけない。
もし自分で何かを成し遂げれなかったら、 他人のせいにせず自分のせいにしなさい。
多くの人が僕にもお前には無理だよと言った。
彼らは君に成功して欲しくないんだ。
なぜならば、彼らは成功できなかったから。
途中で諦めてしまったから、 だから君にもその夢を諦めて欲しいんだ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。
決して諦めてはいけない。
自分の周りを、エネルギーであふれ、しっかりした考えを持っている人で固めなさい。
自分の周りを、プラス思考の人で固めなさい。
近くに誰か憧れる人がいたら、その人にアドバイスを求めなさい。
君の人生を考える事ができるのは君だけだ。
君の夢がなんであれ、それに向かって行くんだ。
君は幸せになる為に生まれてきたんだ。
マイケル・ジョーダン
出典:暇人\(^o^)/速報 : 人生をやり直せるのは何歳までなのか - livedoor Blog(ブログ)

自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、誰がシロクマを責めますか。
出典:梨木香歩「西の魔女が死んだ」

参考・関連文献


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