温故知新[食事の回数について]
日別朝夕大御饌祭は、内宮と外宮、別宮それぞれのご祭神にお食事を奉る神事で、外宮鎮座より約1500年間、朝夕の二度行われています。
また、高野山で毎日1200年もの間続けられている儀式の1つに生身供があります。御廟で待つ弘法大師空海に食事を届ける儀式で、1日2回行われています。こちらは朝食と昼食とのこと。
先日、お忌さんが終わったので、友人が旅に出たのです。お忌さん直前まで、彼女が滞在していたのが高野山でした。そこから二つの祭事を思い出しました。信仰の対象である2神様や仏が2食で人が3食ってことはやっぱりないんじゃないかしらと改めて思ったのです。
江戸時代、江戸を襲った「明暦の大火」の後、町を復興するために、各地から大工、左官屋などの職人たちが集ましました。彼らは肉体労働者であった為、体力維持の為に3食食べていたという話もあります。
戦国時代にも武士たちが体力をつける為1日3回食事をとっていたという話もありますが、やはり神仏同様人も1日2回の食事が一般的だったと思われます。
お八つ時に間食をしていたりしましたから、間に小さな食事をとっていたのもありますが、日本で3食が一般的になったのは西洋文化が入ってきた明治以降とのこと。
思えば、イギリスの貴族たちは、イングリッシュ・ブレックファストと呼ばれる朝食と夜21時以降に食べる夕食の2食が一般的でした。 19世紀に入りアンナ・マリア・ラッセル(1783-1857)は、朝食と夕食の間の腹ごしらえとして紅茶やパンなどの軽食を食べ始めたのがアフタヌーンティーの始まりとされています。
もうひとつ。エジソン(1847-1931)は以前に自身が開発したパン焼き用のトースターの売上が芳しくなく、人々が1日3食食べるようになれば売上が伸びると考えた為、素晴らしい発明が出来る理由に「私は一日三食食べているからだ」と答えたそうです。これを知った人々が3食食べるようになったと言われています。
この2点から西洋の皆様も食事は朝夕の1日2食が一般的であり、3食になったのは日本同様19世紀半ばになってからと考えるのが妥当でしょう。3食になって150年強のようです。
私が行っている1日1食、休日2食生活を強要するという意図は全くありませんし、2食に戻すべきと主張もしません。食べたかったら食べたらよいと思うのです。
ですが、大盛パスタを食べた後に、ドルチェに加えて、甘いチョコレートドリンクを飲みながら「なんで瘦せれないんだろう?」と何故ゆうのか…。貴女だけでしたよ、大盛にしたのも、甘いドルチェに甘いチョコレートドリンクにしたのも。
「娘がね、ママはオウチでいっつもお菓子を沢山食べているのに、痩せたいってなんで言うの?って言うのよ」と、困った顔で何故言う…しかもmenuを見ながら。
食べている!!話聞く限りずっと食べているし、今まさに追加で食べようとしている!!それ、空腹だから食べている訳じゃないでしょう?どちらかというと快楽の為だったり不満解消の為だったりしませんか?と言いたいです。
そして、どうやって痩せたかを問われて「食べる量を減らしたから」と答えると、とても残念な人を見つめるように私を見たのは何故かしら。そんな見つめられ方をしたら実は基本は1日1食ですとは言えない。
お互い好きに生きましょう。お互いの幸せの為に。