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1日2000万円の大赤字を「大絶賛」に変えた男! 世界を驚かせた規格外のマーケティング戦略
アングラーズスタッフにインタビューする「インタビューnote」。今回は、アングラーズ釣船予約に携わっている、アングラーズのGM「髙村 純一(Junichi Takamura)さん」にお話を伺いました!
今までのキャリアについて教えてください
リアルな話をすると、大学卒業後は、実は世間一般で言われる就職活動というものをしませんでした。ちょうどそのタイミングに、世間ではノストラダムスの大予言や2000年問題で大騒ぎになっていたんですね。
そこまで信じたわけではありませんが、信じた体裁にして、一切就職活動しませんでした笑。
どうせ世界が終わるなら好きなことをしようと思い、かなり遊んでいました。その結果、うちの父親がですね、飲み屋さんで知り合った地元の社長さんの食品会社に入れと言ってきたので、とりあえず入社しました。
そこを半年で辞めて、次にホームページ制作会社に入りました。これをきっかけに、ウェブ系の仕事にかなり興味を持つようになりましたね。
大学の専攻は建築学科だったので、もともと何かを制作することには興味がありました。本来は1/3くらいゼネコンに行く卒業生が多いなか、僕はいきなり食の業界に入って、そのあとウェブ制作の道に進んでいきました。
当時、今は懐かしきホームページビルダーやドリームウィーバーなどが出てきたタイミングです。
ウェブの需要が増してきたときに、ホームページ制作を独学でやっていました。あと3DCADとか、動画編集ソフトとか、いろんなソフトウェアがどんどん世の中に出てきたので、一通りいじりました。
ソフトウェアが使えたらなんとなく仕事になる時代だったので、結構やっていましたね。
モノづくりの原点は宮大工の環境
大学で建築科を選んだのは、もともと業界に興味があったからですか
親の影響です。父親が宮大工をやっていたので、昔から工作が好きでした。図工とかもすごく得意でしたね。小さい頃、夏休みの宿題に何日もかけて、父親の作業場に行って、廃材でかっこいい木刀をつくったんですよ。
それを学校に持って行ったら、友だちから「おれも欲しい!」と言われてめちゃくちゃ人気になって笑。育った環境の影響からか、幼少期からモノづくりが好きだったので、それが今に生きていると思います。
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入ったウェブ制作会社は、パナソニックの下請けをやっていました。そこで僕もホームページをつくったり、3Dモデリングをつくったりするなかで、パナソニックに出向もしました。
PDFにデータ移行するのがスタンダードになろうとしていた時代で、まだパナソニックのデータは全部紙だったんですね。それを電子化するために、全部PDFに置き換えました。さらにそこに動画とかを付随させて、パナソニックにプレゼンしました。
当時23歳でしたけど、僕がパナソニックの方々を動画で撮って、それをディスクに焼いてサンプルを渡したんですよ。そしたらすごく喜んでくれて。当時の社長に呼び出されて、「この髙村っていうのをうちの正式なチームメンバーにしたいから常駐させてくれ」「なんならもう転籍させてくれ」と言われました。
嬉しかったですが、個人的には大企業に行きたい気持ちがなかったので、それでその仕事は辞めました。
仕事の礎は、喜びをつくることで育まれた
そこでまた新たな道に進むわけですね
次に入ったのが、結構ブラックな営業会社でした。
事前にわかっていたんですけど、あえて僕に今必要なものは営業だと思ったんです。経験はなかったんですけど、今まで営業の実績がまったくなかったので、経験したい気持ちで入りました。
結果としては、ブラックな営業を教わるうちに、だんだん心が痛んでしまいました。営業のスクリプトがあって、社内でロールプレイングをするんですね。先輩からの教えがあって、「こうやってやると、人は話を聞いてくれる」みたいな。
そこでベースとなる営業は身についたんですけど、最終的なゴールが、人を騙すような着地点だったんですね。そこがどうしても受け入れられず、日々葛藤していました…
そんなある日、とあるお宅に営業に行ったんです。
同じように営業してたんですけど、会社で販売していた商品はいらないと言われて終わりました。で、パッと見たらパソコンが置いてあって、「これ使ってらっしゃるんですか」と聞いたら、「そうだけど、請求書とかの打ち方がよくわからんから」と仰ったので、「ちょっと触っていいですか」と、請求書をつくってあげたんです。
そしたら、めちゃくちゃ喜んでくれました。
「すごく助かったよ」「また何かあったら相談してもいい?」と言われたので、「いいですよ、わかる範囲でしたら」と。もう無償というか、僕のプライベートの時間であればいいですよと言ったら、
「髙村くんは何をしたら会社から表彰されるの?」
と聞かれたので、「あ、さっき言った商品を買ってくれたら、僕としては嬉しいです。ただそれだけです」と伝えたら、
「わかった。じゃあその一番高いの注文しておいて」
と言ってくれたんですよ。この原体験が、たぶん僕の営業の礎になっていると思います。やっぱり嘘は当然ダメですし、僕が買って欲しいものだけを全面的に出しても、「いらないよ」で終わってしまいます。
その営業スタイルをずっとやっていたんですけど、何か喜んでもらった対価として買ってくれるという原体験を、このとき目の当たりにしました。
そこから、まず何かお手伝いできることから始めました。すると夕食に呼ばれたりとか、「髙村くんの営業成績になるんだったら、注文しておいて」と言われるようになり、あれよあれよという間に申し込みをたくさんいただき、営業成績で一番になりました。
ただし、この会社自体はちょっとやばいと思って。僕としては良い経験を積めたのですが、この瞬間に辞めました。
そのあと転職した先が、このあと12年勤めることになるペパボというレンタルサーバーのホスティング事業を手がける会社です。家入一真さんという福岡出身の起業家が創業した会社で、この方と出会ったのが26歳のときです。
韓国同行で大きな出会い
ペパボにはどのような経緯で入社されたのですか
先ほどのブラックな会社に、ちょっと変わった人が入社してきたんですね。僕より三つ上の方なんですけど、なんかすごく変わっていて。会社にも来なかったり、いわゆるトラブルメーカーの人でした。
一応僕のほうが入社が早かったので、僕のことを先輩と呼ぶんですけど、経験は僕より全然上でした。いろんな会社をいくつか経営されている人でしたが、たまたま仲良くなったんですね。
そんなある日、
「福岡のITスタートアップの社長と、今度韓国に行くんだけど一緒に来る?」
と誘われて、「僕全然関係ないですけど、行ってもいいんですか?」と聞いたら、「来たらいいじゃん」と言われたので、一緒について行きました。
そして空港で「初めまして」と会った人が、家入さんだったんです。
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僕は部外者だったんですけど、韓国視察に3日間同行させてもらいました。英語も韓国語もそれほどできなかったんですけど、家入さんのお世話係みたいなことをやっていたら、心を開いてくれたんですね。
家入さんが、「髙村くん、なんか、なんでもやれそうだから、ちょっと会社来て一緒にやらない?」と言ってくれて。行きたいですと言って、そこからすぐ入社しました。
当時、経験があまりなかったので、カスタマーサポートからさせていただいたんですけど、入社から半年後に、韓国事業所を立ち上げようという話になって。家入さんと僕の出会いが韓国だったので、「なんでもやります!」と言って韓国に乗り込みました。
そこから韓国語を勉強して、国の制度を使って半年間韓国に駐在して、ウェブサービスの立ち上げをしていました。
あとこのとき、実はライブドアやGMOなどの複数企業から、M&Aのオファーが来ていたんです。
2004年は、プロ野球チームやフジテレビの買収事案などでライブドアがまさに絶頂期で、堀江貴文さんがバリバリ活躍されていたタイミングです。堀江さんも福岡出身ですし、良い企業ではあったのですが、最終的にはGMOを選びました。結果としては、良い選択だったと思います。
決め手は、GMO創業者である熊谷正寿さんの圧倒的なホスピタリティに惹かれたのが理由でした。
人生何が起こるかわかりませんね
ほんとそうですよね。僕の人生の大きな転機は、家入さんとの出会いだったと思います。これは間違いありません。2004年の2月でした。
2つ目の大きな転機は、GMO。当時グローバルメディアオンラインという会社名だったんですけど、熊谷さん直下のプロジェクト、アジアパシフィック事業開発室に、ペパボから転籍したことですね。
熊谷さんがいくつかのプロジェクトを行うために、GMOグループから人を招集したり、公募して事業立ち上げをしていたのですが、そこに参画しました。韓国で半年間事業をしていたというだけで、僕に招集のお声がかかりました。
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熊谷さんとの定期ミーティングで、今後の方針や戦略などの話があったときに、熊谷さんの采配や手腕を目の当たりにさせてもらったのは、とても大きな財産になっています。
GMO創業者、熊谷さんの経営力
熊谷さんの経営方針はいかがでしたか
最初にお会いしたのが、家入さんがM&Aをちゃんと終えて、正式にジョインが決まったあとでした。オフィスが福岡にしかまだなかったので、熊谷さんはじめ、熊谷さんの秘書の方、ナンバー2、3、4の役員の方々が福岡にわざわざ来てくださったんです。
当時のGMOは東証二部に上場したばかりでした。それでも1000人規模にはなっていたと思います。
そのとき、GMOがそんな大きい会社だとはまだ知らなかったので、すごく気さくなおじさんたちが来てくれたと思って。家入さんが用意した、安い居酒屋で会合をしました。
そしたらペパボの全スタッフと、丁寧にコミュニケーションを取ってくれたんです。熊谷さんが全員と話したいと仰って。一緒になるスタッフ、アルバイトも含めてみんなと話していました。
当時は僕が26歳くらいでも上の年齢で、20代前半のスタッフしかほとんどいませんでした。
みんな若かったので、接待とかも全然知らなくて経験がないです。だからみんな大学生ノリの飲み会をして、次はカラオケに行こうとなって。カラオケ館に行くんですけど、そのノリにもちゃんとついて来てくれたんですね。
みんなで肩組んで、「一緒に頑張ります!」と叫びあって。熊谷さんたちが現場でやってくださったのは驚きました。
これは僕が迎えられる側のスタッフとして入りましたが、まさかその後、一緒にその直下で仕事をするとは、当時思ってもみませんでした。
熊谷さんは、ご自身の感情は関係なく、いかに結果を出すか?ということを徹底している方です。いつも仰っていたのが、「ナンバーワンを目指す」ということ。そこはもう徹底しています。
社内のコミュニケーションも、カリスマ性のある社長や競争心のある方だと、高嶺の花のような存在で話しがけづらいことがあると思うんですけど、熊谷さんはそこはすごく配慮されていたと思います。
例えばエレベーターとかでお会いすると、僕の名前を必ず呼んでくださって「髙村さん、今やられているプロジェクトはどんな感じですか」みたいに気さくに話しかけてくれるんですね。
あるとき社長室に入ったら、50インチほどの大きな液晶があって。そこに1秒間に1名くらいのスピードで、社員の名前と顔写真が次々に表示されていたんです。秘書の人に「これ何してるんですか?」と聞いたら、
「熊谷さんが、全グループスタッフの名前と顔を一致させて、みんなと会ったときに話しかけたいみたいです」
と仰っていました。本当に覚えられるかはわからないですけど、覚えようという姿勢は、そのモニターにあらわれていますよね。
もしかしたらスタッフへのアピールなのかもと一瞬思ったんですけど、でもその部屋はみんなが入れる場所ではなくて、役職者の本当にごく一部の人しか入れない場所です。
みんなが見ているわけじゃないので、ちゃんと覚えようとしていたと思います。そういうことを徹底的にやるのが熊谷さんですね。
経営者が人の心を動かすポイント
ほんと徹底されてますね
全スタッフ 7000人以上いるので、本当に覚えようとしていたらすごいことですよね。
あと僕が韓国から事業撤退するときのエピソードで、熊谷さんへの報告会がありました。そのとき熊谷さんが「理由を教えてください」と一人ずつ撤退理由を聞いていきました。
メンバーが三人いて、それぞれが発表したあとに「今回はダメだったね、じゃあ次は頑張って」みたいな話をされるのかなと思っていたんですけど、何も言葉を発せず、黙ってすべてをしっかり傾聴されていました。
そして沈黙のあと、最初のひと言が、
「心からありがとうございます」
というお礼の言葉だったんです。
そして次の言葉が、
「この撤退という決断は、三人ですごく悩まれたでしょう。その悩まれた結果を、今日お持ちいただいたことは、すごく理解しております。その皆さんの苦渋の決断が、我らGMOグループの最善の決断に繋がったと思います。」
というものでした。
もしこの決断ができずに、半年、一年と決断を先延ばし続けてしまうと、 他の事業にも良くない影響が出てきてしまう。コスト面も含めてあまりいいことではないと。だから、あなた方のこの苦渋の決断が、GMOグループの未来に向けた最善の決断であると。そう仰ったんですね。
私としては、まさか「ありがとうございます」って言われるとは思っていなかったので、熊谷さんのこの言葉に感動しました。
失敗したあとに、その失敗した相手に向かって、真っ先にお礼を言える人はなかなかいないですよね。
世間では、そこでダメ出ししてしまう経営者が多いと思うので、「半年でお前らわかるわけないだろ!」と怒られるくらいの覚悟でいたんですけど、まったくの逆でした。
たぶん事前に、他の役員の方からいろいろ聞いていたと思うんです。僕らの内容を。それである程度把握したうえで、きっと感謝のコメントをしてくれたんだと思います。
そこから、
「皆さん、次は何をされる予定ですか」
「どうしたいですか」
と希望を聞かれました。
一人が「私は、韓国でそのまま事業をやりたいと思っています」と言うと、「わかりました、じゃあその手配をしてください」と、秘書の方に伝えていました。
次に「髙村さんは?」と聞かれたので、「できればまたペパボに戻りたいです」と伝えると、「わかりました、じゃあその手配をしてあげてください」と仰っていただき、またペパボに戻ることになりました。
かっこいいな、と思いましたね。
経営者が人の心を動かすポイントって、こういうところなんじゃないかと思いました。チャレンジした人たちの梯子を外さないというか、その人たちの次のキャリアに繋がるような接し方に、当事者として感動しました。
再チャレンジをどんどん推奨するじゃないですけど、僕だけではなく他のメンバーも、チャレンジした人がもう一度GMOでチャレンジして、ちゃんと成果を出そうとする方々がやっぱり多かったですね。
圧倒的なビジョンを伝える力
ちなみに、家入さんは経営者としてどんなタイプの方ですか
家入さんと熊谷さんは、カリスマ性のある方、という点ではたぶん一緒ですが、何事も完璧にそつなくこなすタイプが熊谷さんだと思います。感情よりも論理を優先する方です。
一方、家入さんは、最初にお会いしたときから、自分がやりたいことをやるというタイプで、好きという感情を優先される方です。自分が好きなことはこれで、やりたいものがこれ、というのがはっきりしています。
これは本にも書かれていて、業界では有名な話ですが、家入さんは本当に遅刻したり約束に来なかったりとかが、当時は日常茶飯事でした。
時間を守らないことに関しては、もう社会人としてナンバーワンなんじゃないかと思うんですけど、それくらい究極に自分の素をさらけ出して、周りに慕われている方が家入さんですね。もうキャラとして、周りに受け入れさせてしまっているところがすごいです。
あと、未来について語ることが多かったです。
最初の韓国同行でお会いしたとき、日常のコミュニケーションは本当に苦手な方でした。でも韓国の企業とミーティングしたときに、すごいカリスマ性を感じましたね。
「日本のレンタルサーバーは今ものすごく高いです。それを僕らは300円です。それをもっと安くしたいと思っています。なぜなら個人の自由を、インターネットを活用して世の中に広めていける時代が来たと私は思っているからです。
自分みたいな対面ではうまく話せないような人間が、インターネット上で表現ができる場がついにできたんです。」
みたいなことを、
20年前、確信的に話していました。
「なんだこの人は!?」と思いましたね。
同じ年なのに、みている視点が全然違う。すごい先のことを話しているなと思ったら、韓国の企業も「すごい、すごいそれわかります!」みたいなことを仰るんです。家入さんは、日常のコミュニケーションは全然ですが、ビジネスにおいては自分の言いたいことをズバッと言うんです。
究極のビジョナリーで、完全にスティーブ・ジョブズタイプですね。家入さんがビジョンを語られているときのカリスマ性はすごかったです。僕も含めてみんなそこに惹きつけられて、感動していました。
あの人は遅刻ばかりしてだらしない人だけど、でもあの人が語っている未来は素晴らしい世界で、あの人がやりたいことはこれだから。というので、周り全員でカバーする雰囲気が生まれるんですよね。「あの人が言っていることを実現しよう」って。
アングラーズの若槻さんも、ピュアな心の持ち主という点では家入さんに近いタイプだと思います。
ただ若槻さんの場合は、だらしないとかはなくご自身しっかりしているので、そこは異なりますが。今までいろんな経営者の方々とお会いしてきましたが、それぞれ違って十人十色なので、ほんと人の個性っておもしろいですよね。
1日2000万円の大赤字からの逆転劇
家入さんのカリスマ性に惹かれて、再びCAMPFIREで一緒になられたのですね
そこは一つ大きなところだと思います。
家入さんは、常に新しいことへのチャレンジを忘れていない気がしていて。家入さんと出会う前までは、僕はなんとなく生きていたのですが、お会いしてから、使命感と言いますか。人生楽しまなきゃっていう気持ちになりましたね。
そもそもペパボが
もっとおもしろくできる
という企業理念を掲げているくらい、ぶっ飛んだ会社なんです。だからそこにおける責任感というのは結構大きくて。
感覚的にまずおもしろいかどうか。
「それやっておもしろいの?」というのをまず聞かれます。そのうえでちゃんと論理的にも成り立っていること。論語と算盤の両サイドからみて、施策を決めることが多かったです。
「売上は上がるかもしれないけど、それってユーザーはおもしろいのかな」
みたいに問われるわけですよ。
もっとこれくらいぶっ飛んでもいいんじゃないの?とか言われて。逆に僕らが先にぶっ飛んだ発想しないと、おもしろいって言ってくれないので。全スタッフがそこを追求していましたね。
例えば、バレンタインデーの2月14日にやった、伝説的なイベントがあるんですけど。
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バレンタインにチョコがもらえない人のために「この日はダムを見に行ってたから、チョコをもらうタイミングがなかったんだよね」というネタをつくってあげる、レンタルサーバーとはまったく関係のないイベントを全力でやりました笑。
意味がわからない人にはわからないんですけど、バレンタインにチョコがもらえない男の子を慮るところから生まれたアイディアです。
これくらい、ぶっ飛んだアイディアを考える人たちが多かったですね。そういう社内文化でした。
実は、おもしろい企画を行うことで有名なバーグハンバーグバーグを創業したシモダテツヤさんは、ペパボで一緒にマーケティングをやっていた人です。ぶっ飛んだ企画とかをよく一緒に考えていたので、完全ペパボのノリですね。
あと僕のなかで一番ぶっ飛んだ企画が、6円でドメインを配るキャンペーンです。「.com」などのドメインを格安でバラまいたら、めちゃくちゃ売れました。
そしたら、1日で2000万円くらいの大赤字を出したんですね笑。
制限かけるの忘れちゃったんですよ。呼び出されまして、「なんでこれ制限かけてなかったの?」と、ごもっともな質問を投げかけられました。売れすぎて、 2000万円の赤字です。「でも、これ一年後にそのまま更新されたら、黒字になるんで」という話をしたんですけど、それにしてもちょっとキャンペーンコストとしては高すぎますと言われて。すみませんって平謝りです。
その当時、僕、坊主だったんですよ。
社長室長(現在のGMOペパボの代表取締役)に、「すみません、坊主にしてきます」って言ったら、 「アハハ、もう坊主じゃん」と笑われて、何事もなかったかのように終わりました。
それくらいぶっ飛んだ企画をやったあとに、実は後日談がありまして。ドメイン登録受付をしている海外のレジストラから、僕宛に連絡が来たんです。
なんだろうと思ったら、「.com」「.net」などは、世界的な登録数の統計がリアルタイムに出ているんですね。それがある年のある月だけ、日本でドカンっと異常に登録者数が上がっていると。こんな数字、今まで見たことがない。
登録先を見ると、どうやらお名前.com、ムームードメインだと。「あなたは一体何をやったんですか?」と聞かれたので、僕が6円で売るキャンペーンをして、制限をかけてなかったからこんなにも増えちゃった。という説明をしたんですよ。
そしたら海外の人から、
「これは素晴らしすぎる!」
と言われ、なぜかすごく賞賛されました笑。
海外の方からしてみたら、もし「.com」を0円でプレゼントしますと言っても、世界的にはもう受け取ってくれない状態になっていると。でも、日本で6円とはいえこんなにもドメインが売れるというのはすごすぎる。
一体どんな仕掛けをしたんだ?と言われて。
そしたら、「うちから卸してくれ」という懇願の営業がありました。最初は最高の大赤字からスタートしたんですけど、最終的には、「日本のこの企業がヤバい!」という世界的に注目される事案になり、結果プラスになったので良かったですね。
ペバボ時代は、本当にいろんな事業にチャレンジさせてもらいました。最後ハンドメイド事業のminneとかも携わらせてもらいましたが、すべてにおいて『おもしろさをどれだけ追求できるか』みたいなところがずっと軸にありましたね。
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CAMPFIREで家入さんと再挑戦
それでやりきった気持ちがあったので、12年務めたペパボを辞めることにしたんです。それで家入さんに連絡したら、
「いまCAMPFIREというクラウドファンディング事業をやってる会社を立ち上げているから、一緒にやらない?」
と誘われました。
2016年のCAMPFIREは、もうほとんど解散状態だったんですね。メンバーも辞めてしまって。それでもう一度立て直すというのが、家入さんが参画したタイミングだったんです。
そこで、たまたま僕がペパボを辞めたので、「うちに役員として来てよ」と言われて、入ったのが2016年ですね。
当時、『クラウドファンディング』という言葉自体が、まだ世の中に全然浸透していませんでした。
だから啓蒙活動から始めて、クラウドファンディングの第一想起の存在になるためにいろんな仕掛けを進めていきました。ここも人生でかなり成長させてもらった時期ですね。
例えば、キングコングの西野さんに、「えんとつ町のプペル展」という絵本のクラファンをやっていただくなど、著名人とのコラボも行いました。これは家入さんの芸能関系の繋がりもあって、実現できたことです。
あと観光だと、別府の「湯〜園地」というプロジェクトも、全国的にも有名になった案件ですね。音楽や芸能や自治体など、どのジャンルでもクラファンは使えますよ。というのを積極的にプロモーションしていました。
当時は、「クラファンが活用できる」という印象をとにかく世の中に浸透させるために、利益度外視でいろいろやっていましたね。
個人であったとしても、インターネットを使って世の中に声を届けることができて、お金を集めることができるんだ、というのを広めていった感じです。一番最初に、韓国で家入さんが言っていたことは、10年以上経っても全然ブレていないです。
当時言っていた通りに世の中がなっていきましたし、言っていた通りのことを、家入さんは実現していきました。そこはとても感慨深いです。
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そのあと、一通りのことを熟したのちに、CAMPFIREを離れました。それが2020年ですね。上場手前でしたが、すでに軌道に乗って社員数も100人を超えていたので、一旦僕の役割は終えたタイミングでした。
あとやっぱり僕は0→1が好きなので、大規模や成熟期になってくると、初期フェーズに行きたくてウズウズしちゃうんですよね笑。
ハードシングスの原体験
初期の波瀾万丈なフェーズがお好きなんですね
そうなんですよ笑、楽しいですよね。
それでその次に行ったのが、BASE創業者の鶴岡裕太さんのお兄さんの会社です。大分にある会社ですが、そこで取締役COOとして参画しました。ここもハードシングスのタイミングでしたね。
COOとして入ったときに、ちょうどコロナが来て、資金調達が流れてしまいました。そこから、あるシステム会社に売却することになるんですけど、今度はその会社の役員になってほしいと言われて。ここでもいろいろありました。
3億円の資金調達がもう目の前に見えていたんですけど、直前でリードのVCに断られてしまったんです。そこからリストラを断行しました。僕としてはほとんど初対面の方々なんですけど、オンラインで泣きながら、二十数名をリストラしました。
2016年のCAMPFIRE時代にも、リストラの断行に携わったのですが、経営におけるハードシングスの根幹だと思いました。一番大変でしたね。
僕が取締役として入らしてもらったときは、家入さんと、もう一人取締役がいたんですけど、資金ギリギリのところで回していたので、もうみんなストレスが最大でした。
そこから諸事情で、そのもう一人の取締役が退任することになって、お金を管理する人が居なくなっちゃったんですね。すると何が一番大変かというと、資金調達が間に合わなくてキャッシュフローが回らない状態になりました。
ある晩、家入さんから電話がかかってきて、集合してからホワイトボードに全スタッフの名前を書いていったんです。その横に、今の給与を書いて、赤ペンで一人ずつ給与調整をしていきました。僕らは当然減給ですが、全スタッフ調整しないともうどうにもならない状態です。
結果としては、調達ができるという速報が入ってきたので、やらなくて済んだんですけど、あのときはとても試行錯誤しました。
今までは、部長などでマネジメント経験はありましたが、CAMPFIREではじめて取締役に就き、社員の給与を調整するとか、明日会社が死ぬかもしれないという本当のハードシングスを目の前にして、かなり激しく鍛えられましたね。
もう土日とか昼夜関係なく、ずっとCAMPFIREのことを考えていました。今までの人生のハイライトでいうと、一番のハードシングスな出来事でした。とくにお金の調整は半年くらいずっと続いていたので、その期間が一番会社としてギリギリの状態でした。
そこを抜けてからは、人をどんどん採用していき、たぶん半年で50人くらいになったと思います。オフィスの移転とか、バックオフィス側も含めていろいろやっていきましたね。
人生のターニングポイント
ちなみに人生の一番のハイライトはどのシーンですか
CAMPFIRE時代は短かったので、一番濃かったという観点だとペパボ時代。とくに最初の出会った頃ですね。韓国視察に同行してからGMOに参画するまでの期間が一番濃密で、僕の人生が変わったタイミングでした。
まさに人生のターニングポイントですね。
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韓国でずっとお世話をしていたので、家入さんとの距離が一気に近くなり、ずっと一緒に飲んでいました笑。当時福岡だったので、毎回東京から帰ってくると、僕にまず連絡がきて、「髙村くん、今日どこ行く?」という誘いがありました。
まずスタッフとの飲み会があるんですけど、スタッフとのコミュニケーションがそんなに得意じゃないので、乾杯したらもうすぐ帰りたがるんですね笑。帰ったら、「二次会どこに行こうか」と僕に毎回連絡がくるんです。
取締役でもなんでもない一社員だったのですが、家入さんとは友人のような親しい間柄でした。
スタッフの情報とかも、「髙村くんでもいいんだけど、今月一番がんばったスタッフとかいない?」とか聞かれて、「エンジニアのあの人とか、たしか今月すごくがんばってましたよ」などを共有して、僕を通じて社内状況を把握されていましたね。
家入さんの友人であり、仕事のバディでもあったんですね
そうかもしれないです。飲み仲間でもあり、家入さんは社内コミュニケーションが苦手だったので、当時はそこをフォローするバディでもありました。
ただ、本とかたくさん出されているんですが、僕のことは家入さん絶対書かないんです。なぜかペパボの歴史から、韓国の出張とか事業所つくったことが消されてるんですよ笑。
もしかしたら、髙村さんは家族とかプライベートの枠組み、あまり公にしたくない存在なのかもしれませんね
あーなるほど、そうかもしれないですね。そこだけがずっと謎だったんですよね。
昔、名だたるVCの投資家さんたちと面談したときに、
「家入さんのことは信頼していますが、ただちょっと連絡が取れなかったりして心配なところがあったので、ちゃんと家入さんの番頭さんが居たんですね。安心しました。」
と言われたことがありました。
もし家入さんが動かなかったり、連絡が取れないときは、髙村さんに連絡します。という感じになっていったので、家入さんのバディ的な存在だったのかもしれません。
不可能を可能にするのがスタートアップの醍醐味
その後、どのような経緯でアングラーズに入られたのですか
アングラーズに入る直前に、マネーフォワードベンチャーパートナーズ株式会社にいたんですね。CAMPFIRE時代にマネーフォワードさんから出資いただいたことから、創業者の辻さんと右腕の金坂さんとは以前から面識がありました。
その関係もあって、金坂さんから「投資する側をやってみませんか?」とお誘いをいただき、2021年に参画することになりました。
今まで事業立ち上げばかりをやっていたので、僕の経験も生かせて楽しそうだと思ったんですね。それでパートナーとして入らせてもらうんですが、そこを一年くらいで離れました。
これは実際にやってみてわかったことですが、起業家と毎日5、6組くらい話し続けていたんですね。フェーズとしては、シードからシリーズAくらいです。投資できるかどうかの判断に加えて、起業家の悩み相談も受けていました。
それで一つの意思決定として、「マネーフォワードとしては、ちょっと投資はできないと思います」という返答をするんです。もちろんYESもあるので、「ぜひ出資させてください」という企業もありますが、資金に限りがありますし、LPへのリターンを考えると、お断りするケースのほうが圧倒的に多いです。
そこで気づいてしまったんです。
僕は、今まで事業をつくる側の立場でずっとやってきました。ペパボのときも、GMOのときも、CAMPFIREのときも。その瞬間だけをみたら、全然可能性がないように思われる状況のなかで、いかにそれを逆転させられるか。それが事業創造だと思うんです。
周りの人たちが
「その状況じゃあ、ちょっと難しいよね」
という無理と思われるような状況は、終わりではなくスタートライン。それを跳ね返し、いかに可能性を見出すか。そこが一番の醍醐味で、事業創造のおもしろいところだと感じています。
今までを振り返ったときに、可能性がないと言われたことを「可能性がない」と言ってやめたことはなくて、 スタートアップは突き進まないといけないじゃないですか。
例えば、CAMPFIREはみんな辞めてたった4人、事業は全然伸びてない、会社は潰れる寸前、市場もまだ存在しない。そんな状態から会社を立て直し、事業を伸ばして100人以上の組織に拡大していきました。
それを考えると、僕が毎日話していた起業家の方々も、可能性がないとは言い切れないですよね。
結局のところ、投資を断ったところも実は全部可能性ばかりなんです。みんな諦めなければ巻き返すことが可能なんです。だから僕が投資する側になると、振り分け基準が設けられなくて、全部投資したくなっちゃうんですよ笑。
ただそれだとVCとして成り立たなくなっちゃうので、自分は事業をつくる側のほうが向いてると思い、投資側はやめることにしました。
アングラーズとの出会い
そのような経緯でVCを退かれたのですね
もうみんなに投資して応援したくなっちゃうんですよね。ちなみに若槻さんのことは、マネーフォワードベンチャーパートナーズのときに出会った、株式会社自転車創業の中島さんという方から紹介してもらったんです。
中島さんと話していたときに、 僕が自己紹介で「釣り好きです」と言ったら、「アングラーズって知ってますか?」と聞かれました。その当時は、アングラーズの存在を知らなかったのですが、おもしろそうだなと思い紹介していただきました。
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そこから創業者の若槻さんとオンラインで話して、お互いの自己紹介をしたのが最初ですね。
そのとき、アングラーズのミッションでもある「釣りで人生を豊かに」という話を若槻さんが仰っていたんですが、これがもうドストライクすぎて刺さりました。僕から、なにかお手伝いできることがあれば、ぜひお力添えさせてください。と言ったことが始まりですね。
若槻さんの第一印象はいかがでしたか
最初の会社のプレゼンのときに、とてもピュアなお人柄を感じました。
ビジネスチックなプレゼンではなく、「自分はこうやりたいんです!」というビジョンをストレートに表現されていました。そこは家入さんに近いものを感じましたね。
釣り課題の解決、釣り業界をこのようにしていきたい。という想いを事例をもとに説明してくれましたが、僕は釣りが好きで、なんとなく以前から市場状況を感じていたのですぐ共感しました。
釣りで大きく成功しているスタートアップがまだいない。そのなかで猛進している姿が、すごく魅力的だったので、なにか力になれたらと純粋に思いましたね。
新規事業への挑戦
アングラーズに入られてからの約2年半、一番印象深いシーンはありますか
新規事業の立ち上げですかね。
僕は2022年8月にアングラーズに入ったんですけど、最初に携わったのが、今の釣船予約の前身である「釣り船ポータル」でした。メンバーといろいろ戦略を立てながら、「ANGLERS DREAM CUP」という真鯛釣りトーナメントなどのイベントも開催しました。
そしてそのあとに携わったのが、新規事業の立ち上げです。2022年12月に話があって、そこから始動しましたが、いろいろ初めてのことばかりでした。
新しい釣り体験サービスをやりましょう!と意気込んでスタートしたんですが、自分がその属性ではなく、メンバーにもいなかったので、「ユーザーの気持ち」を理解するところから始めました。
いろいろ調査して、「きっとこうだ!」と言いながら、実はズレていることも多かったりして、かなり試行錯誤していました。
あと実現するにあたり、免許を取らないといけない、事業者を登録しないといけない、お酒の勉強をしないといけないなど、やらなければいけない必須項目が、立て続けに押し寄せてきました。
まさにこれが事業創造の楽しいところではありますが、今までにないくらい一番濃密な期間だったと思います。
コンセプト設計、マーケティング、メンバーアサイン、検証で何人かの釣り人にも体験いただいたりもしたので、ほんといろんなことを一気に推進していきました。
事業者登録ができたり、免許が通ったり、一つ一つの達成感をメンバーと一緒に味わえたのは本当に良かったです。アングラーズに入社してからの一番のハイライトですね。
まったくのゼロからスタートして、ちゃんと事業の原型をつくっていけたと思います。大変さと楽しさ、両方ぎっしり詰まっているのが新規事業立ち上げに携わった期間です。
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最終的には、一旦見送りになったのですね
そうですね。今は会社のタイミング的にも釣船予約にフォーカスする必要があるので、総合的な判断で一旦本格始動は見送りになりました。
実際、ユーザーから「春に利用したいんだけど」というお問い合わせが来たりもしたので、可能性としては今でもあると思っています。再開目処は立っていませんが、またできるタイミングが来たら力を入れていきたいです。
そして2024年頭からは、会社全体で釣船予約を盛り上げていきました。ちょうど一年前ですね。僕の役割としては、営業チームの立ち上げです。
この一年、船宿や船長の方々と関係性を築くことにフォーカスしました。皆さんとても温かく迎え入れてくださり、サービスも順調に伸びています。ほんと有難いかぎりです。
アングラーズは可能性を信じる人の集合地
アングラーズはどんな組織でしょうか
可能性に満ち溢れた組織であり、経験豊かなスタッフの集合体だと思います。
あと、アングラーズの可能性を信じている人たち、というのが共通点だと思っています。いろんなジャンルの方々が集まっていますが、IT出身の人だけじゃなくて、ファッション業界、観光業界、メーカーなどいろんな人たちが集まっています。
それぞれの熟練者が集まって、アングラーズの可能性に賭けている。それがこの組織の魅力ですね。バックボーンが違いすぎると、なかなか目線を合わるのが大変だと思いますが、アングラーズの場合は、そこがちゃんと合っている。だから強いですね。
いろんな強みが集まった、動物園みたいな場所です。
また、これからアングラーズはどんどん変化していきます。さらにいろんな事業展開が控えているので、採用の観点だと、引き続き経験者が必要だと思います。どの分野でも構いませんが、深い経験をお持ちの方は気軽にお声がけいただきたいですね。たぶん動きやすいんじゃないかなと思います。
会社の変化を楽しみたい人にとっては、アングラーズは最高の環境です。
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人生は楽しむためにある
髙村さんが一番大切にしている価値観は何ですか
僕が大切にしていることは、
仕事をとことん楽しむこと
です。
40代になって改めて感じることは、仕事は楽しまなきゃ続かないということです。ポジティブ思考という話になっちゃうかもしれませんが、楽しめる仕事をすべきかなと思っていますね。
最近は営業チームにも言っているんですけど、営業でうまくいかないときがあると、どうしてもネガティブに捉えてしまうことがあると思います。とくに客先で怒られたり、相手にしてもらえなかったりしたら尚更です。
それをいかにポジティブに受けとめられるか。
どんなときでも、それをポジティブに捉えてほしいなと思いますし、それも含めてすべてを「楽しみましょう」という言い方をしています。
アングラーズの営業スタイルを僕らでつくっていこうと。
営業チームと去年から動き出しましたが、会社が求めている数字は達成できているので、今のやり方は間違ってはいないと思います。固定概念にとらわれずに新しいスタイルをつくっていくべきで、それを楽しんでやることができれば最強です。
そこに、「釣りで人生を豊かに」を繋げていく。
例えば、営業マンが釣りを楽しむと、成果に結びつく。これって、画期的な営業システムじゃないですか。もともと釣り好きの人間が、大好きな釣り船に乗って、釣りをしたら、事業が成功する。これが理想ですよね。
大変なことを、
辛い表情で、
苦しみながら、
嫌々やる。
これは全然いいことだとは思えません。
そんな人と契約したいと船長さんが思うのか?と考えると、あまり思わないですよね。大変なことを大変そうにやるって、一体何が楽しいのか。自分も他の人も誰も喜ばないです。
多少営業コストがかかったとしても、船長と一緒に船に乗って、釣りを楽しみながらコミュニケーションをとる。そうすれば、お互いの考えをよく知ることができます。
関係性を築くためには、やっぱりコミュニケーションが重要で、それを楽しみながらやることで、船長も喜んでくれる。そんな営業スタイルがいいですよね。今のタイミングだからできることかもしれませんが、初期においてはすごく大切な営みです。
何より、僕が一番仕事を楽しんでやっていると自負しています。
その価値観が育まれたのは何がきっかけですか
きっとペパボのときでしょうね。
仕事を楽しむ根源は、あの時代に育まれました。
人生、楽しんだもん勝ち。
人生は楽しむためにあると思います。
あと最近よく感じるのが、20代はすごいがむしゃらに、いい意味で何も考えずに全力でやっていました。そのすべてが良い経験になり、僕の土台を育んでくれたと思います。
それが30代になって、少し責任感のあるマネージャーをやりながら、今の考えが少しずつ形成されていきました。そして40代になったら、恩を返すじゃないですけど、次の世代にバトンを渡す役割なのかなと感じています。
自分の成長もやらないといけないんですが、優先順位としては、自分の経験や繋がりを、20代、30代の人たちのために使うことなんじゃないかと。そういう使命感みたいなものを急に感じるようになったんですよね。
だからCAMPFIREのときも、僕らがずっと役員をやるんじゃなくて、次の世代を上げていこうよ。という話をしていました。僕らがやれることはやって、それを終えたらその席を次の世代に渡すことが使命なんじゃないかと感じています。
それが今の役割ですかね。
その考えが本当に腑に落ちて、僕も取締役に執着していたわけでもなく、僕の経験を生かせるんだったら、別の会社の立ち上げ期に力を貸すべきだと思い、CAMPFIREを離れました。
それで次に行ったタイミングで、ちょうどコロナが来て、ものすごく大変だったんですけど、
きっとこの状況も楽しんだもん勝ちだな
とそのときに思い、どうせやるんだったら、思いっきり楽しんでやろうと。
Facebookにいろいろ投稿したりするんですが、結構いろんな人から、「髙村さん、楽しそうですね!」と言われるので、「めちゃくちゃ楽しいですよ!」と答えてますね笑。
いかに「人生を謳歌するか」です。
最後に、今後のビジョンについて教えていただけますか
世の中に対して、アングラーズが貢献できている状態か?と考えると、まだまだだと思っているんです。まだ序章です。だからそこに繋がる事業を、今後も立ち上げ続けたいという想いがあります。
僕としては、今まで以上の経験を積んでいきたいですし、必要なことだと思っています。昔から使命感みたいなものが好きで、ポンとお題を頂いて、このパズルをどのように解いていこうか?と考えるのが好きかもしれないです。
だからアングラーズが飛躍するために必要な大きなお題を、僕の今までの経験を生かして解いていきたいと思います。それによって、「釣りで人生を豊かに」を実現していきたいですね!
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