見出し画像

名文練習、留魂録!吉田松陰の伝える力

 感動した名文読み直しと縦書き練習兼ねて?

 吉田松蔭の留魂録(弟子たちに宛てた遺書)で1番感動した第8章です。生き様を気取ることなく、とにかくあったかい。後に続く若者へのエールです。

 人の一生は長くても短くてもちょうど良いのだ。嘆く必要もない。発想がすごいと思いつつも一読するだけではそれぐらいしかわかりませんでしたが、弟子になったつもりで読んで見ると吉田松蔭の起爆力が如何にすごいか、ジワジワドカーン💥と来ます。

 人生を農事の四季に例えておられます。ですがこれは自分の人生だけ振り返り語ってる訳ではないのです。種子から育った苗が花をつけ実になりまた種を残す。それが延々と繰り返す。

 そのまま読むと、不遇にも刑死することとなる自分の運命は一見不幸に見えるよね。でも自分が生きたのは何百年と続く四季の繰り返しで見れば、ごく短い一年でしかないから、そんな大したことでもないよ。今の花(自分)は実(成果)はつけなかったが種(弟子たち)はちゃんと残っているから、君たちに実をつけてもらえたら、それは種を残した俺が生きてた意味になる。と言ったところです。これだけでも十分すごいですが、読み手が弟子ならこう伝わると思うのです。君たちが私のように倒れても、さらに次の人たちが種を残せば良いのだから、私の意志を継ぐとか気負わなくて良いから、君らも後に続く者のために思いっきり頑張りなさいよ。って、そもそも自分の人生(命)は自分のためにあるんじゃないよ。未来に生まれる人のためだよって

 ただ一度の自分の人生だから!とにかく無駄をしない1mmでも得したいって言うのが最近流行りのコスパ追求長生き人生ですよね。

 ところが松陰流はとにかく信じた道を思いっきり頑張れば良い。死ぬ時は死ぬんだよ。次の人がやってくれんだったらそれでイイじゃん。って本当に死が目前なのにこんなこと言えるなんて、余程こっちのほうがカッコいいではありませんか?

 この遺書が書かれた時期はまだまだ幕府が強い時期だったので松陰先生の遺書が無念だけでつづられていたら、後に続く久坂玄瑞、高杉晋作や伊藤博文なんかは慎重になって大胆に生きられなかったかもしれないつまりは、日本が明治に脅威的な発展をできなかったかもしれないと思うと、わずか30歳の若者が死の間際に残した短文がとてつもない実を残すきっかけになったと言わざるを得ません。まさに当時の若者の心に火をつけた言葉、留魂録は短いのですぐ読めます。読んでない方は心のドカーン💥のきっかけに如何でしょう。

 完全に字の練習から脱線(~_~;)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?