損得勘定
こんにちは、アンジーです。
久しぶりの投稿となりました♪
今日の投稿は、「損得勘定」についてお話ししたいと思います。
失うものがあるのなら、せめてプラマイゼロになるように何かを得たい。
もしくは、それ以上に幸福感や、満足感を得たい。
そのような感情になることは、誰もが思うことはあります。
失った穴を埋めたい。
常に平坦でなければスムーズに歩くことが出来ないからです。
例えば、人生の中で誰かに傷付けられて、自分が深く傷ついたとします。
その瞬間から、憎しみや恨み、怒りなどいわゆるマイナス感情が生まれてくることが大半です。
そうすると、人間というものは、そのマイナス感情を消化したい。
もしくは、その感情に覆い被さるくらいの、幸福感や達成感を期待し、求めてしまいます。
そうして、復讐を果たした時に、深く傷付いた分だけ深く満たされたという錯覚が発生します。
しかし、復讐というゴールをクリアしたら自分のもとには何も残っていないことが大半です。
傷付いた分だけ幸せが欲しい。
傷付いた分だけ、
傷付けた人以上に幸せになりたい。
果たして、本当に自分が幸せになりたいのでしょうか。
周りからみて、そして自らの視点で判断した周りの幸せの価値を、勝手に決めてしまい、その幸せをつかみたい。幸せだと思われたい。そのような感情に変わってしまうことだってあるのです。
「悪い心には、悪い心を」
「汚れてしまった心には、同等の心で」
以前の私だったら、復讐を望むような心を持っていたのかもしれません。
しかし、今の私だったら、傷付けられた分だけ…などとは思わなくなりました。
「悪い心には、良い心を」
「汚れてしまった心には、純粋で綺麗な心で」
汚れてしまった心。それは人を傷付けてしまっても、その傷付けた事自体を本当の意味で反省することがなく、次に繋げることが出来ない人のことを意味したとします。
悪い心に、悪い心で返しても、結局はそこからは悪い感情しかうまれてこないのです。
絶対に許さないと思うことは、されたことを考えると当然の感情でしょう。
しかし、自分の中で思うだけのことと、実際に行動にうつすことは、全く違う方向や結果に向かってしまうことだってあります。
悪い心には、美しい澄んだ人間本来の心を持つことで、もしかすると相手も自分のプラス感情に惹かれ、その心が欲しくなり、心が入れ替わる可能性だってあるのです。
されたことは事実として変わりません。
しかし、せっかくあるたった一度きりの人生を、復讐などとマイナス感情を思った自分の時間に費やしながら生きることは惜しくありませんか。
それならば、自分が幸せだと自分が判断する前に、周りが判断をすることが出来るように、美しい心を忘れなければ、損得勘定で「損」をすることはないのです。
本当の幸せを知ることは難しいことではない
人間本来の澄んだ心は誰もが平等にあるものだと思います。
それがやがて、自分の歩んできた道によって、いろいろな色に染まっていきます。
その色に惹かれる人もいれば、もしかすると嫌われることだってあるかもしれません.
しかし、そこで自分を嫌いな人は敵だと判断することはしなくてもいいのです。
この世界にはたくさんの人がいる分、その分だけ個性や性格の種類や、それぞれの選択肢がある
自分の人生もその中の一つに過ぎないのです。
どうか自信を持ち、全員が理解してくれることはなくとも、似たような考えや思いを持った人は必ずいると思います。そして味方も必ずこの世界にはいます。
そのような人を大切に、自分がきれいな心で接することで、周りが純粋で美しい心を持つような人が増えればラッキーくらいの気持ちでいいのです。
この投稿は、あくまでも私自身の損得勘定に対する考えです。
人それぞれ考えは異なりますので、どうか自分自身の考えや思いを大切にしてください。
それでは、次回の投稿までごきげんよう♪
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