この世界は二重の空間でできている
昨日、noteに書いた「回転の稽古」の内容を吟味していたら、また少し書きたくなりました。
昨日書いたことを、超々、要約すると、回転することで、二重の空間が見えてくると言うような内容でしたね。要約しすぎかな。^^; まぁ、上のリンクから昨日の書いたのも読んでみてください。
4次元の空間に出ると、3次元空間は内在ということになります。肉体は3次元にあるので、自分はこの宇宙の中にいると思っていますが、実はその逆もあると言うことです。この宇宙自体が自分の中にある(内在である)という視点です。そう、だから人間の意識は4次元に存在するということになります。
そういう意味では肉体は3次元にあり、身体意識は4次元という言い方もできるかも知れません。
その両方の視点を得ることができたときに、人間は人間以上の存在に手がかりをつけると言うことだと思います。いわゆるニーチェが言うところの超人であり、ヌーソロジーがいうところの変換人ですね。
昔から、芸事の中ではそのような領域を発見する人がいたと言うことなのでしょう。ヨガや茶道や舞踏のようなジャンルですね。禅や瞑想もそこを発見していたかも知れません。
その、まさに原体験といえるような体験がどのようなメカニズムで起こるのかと言うことを解き明かそうとしているのがヌーソロジーと言えるのだと思います。
でも、メカニズムが理解できたからと言って、すぐにその空間を経験できるかというと、そう簡単にはいかないから、みな苦労してるんでしょう。
先ほど流れてきた最上さんのツイートです。
最上さんは空間が二重化している状態を安定して見れるようになるために10年掛かったと言っておられます。まったくご自身の勘を頼りに発見されたと言うことですから、大変だったと思います。まさに自力で崖をよじ登って発見した空間構造ということになるのでしょう。
そして、こちらは、少し遅れて流れてきた半田さんのツイートです。
そう、これも同じ事を言っています。主観空間は4次元で、客観空間は3次元とも言えるでしょう。主観空間と客観空間ではそもそも次元が違っています。
その二つの空間が重なっているのが、僕たちが経験している世界ということになります。
これらのことからわかるように、3次元と4次元は互いに反転していて、対化です。だから、どちらに重心を置くかによって、3次元の住人として生きるか、4次元の住人として生きるかの違いが生まれてきます。
ぱっと見ただけではわかりませんが、基本的な選択の質が変わってくるというあたりを見ると、その人がどちらに軸足を置いているかがわかるでしょう。
4次元に軸足を置いている人は自分の主観、直感を大事にします。3次元に軸足を置いている人は客観的な意見、特に権威者の言葉を参考にして選びます。
もちろん、人間はその両方にまたがった存在なので、3次元的な学びも大事なことだと思います。しかし、ずっと3次元的な所にとどまっていたとしたら、だんだんと問題が出てくるのが、今という時代なのでしょう。
やはり4次元の方が視野が広いわけです。回転対称性の自由度が高いということは、その度合いが多く使える人ほど、自由人ということになるでしょうし、これからの世界を創造していく担い手ということが言えるかも知れません。
原初舞踏が何をしているのかということも見えてきた感じがします。いわゆる「器官なき身体」を発見しようとする試みであり、それは明らかに3次元空間から、4次元空間へと、境界をくぐろうとする試みでもあると言えるでしょう。
なにより、踊ることは気持ちが良いのです。エクスタシーと言ってもいいでしょう。それは無底の空間に接続すると言うこととも関係しているのでしょうね。いわゆる、アムリタとも言えるでしょうか。三昧とも言えるかも知れません。ある意味、稽古で目指しているのはそういう所ではないかという気がしています。なかなか、楽しそうでしょ。(o^^o)