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ホームをレスした話

坂爪圭吾さんの「ホームをレスした話」というマガジン。

全部で18話ありましたが、一気に読みました。彼が家のない生活を始めた日から、熱海の家に住むようになるまでのお話でした。

最後の18話を読み終わって、「すき」ボタンを押したら、「君も人生を棒に振ってみないか!」と書かれていて、笑ってしまいました。

読みながら、とても不思議な感覚になりました。この時代をこのような形で生きている人がいるというのは、希望だなと思います。

彼のやっていることはいろんな意味があると思うけど、ひとつには、交換経済は間違っているということを証明してるのかも知れないと思いました。

交換経済ではなく、本来の経済というのは、そもそも贈与経済だったのではないかということが、読みながら、実感として僕の中に入ってきました。

得をしようとしたら失い、進んで損しようとしたら得るということなのかもしれません。贈与するところから、経済の循環は生まれるということなのかな。

今はちょっと簡単には言葉にできないような感覚があります。なんか、彼の言葉を聞くということで、反転感覚が生まれた感じがするのです。そのあたりに、なんかすごく重要なエッセンスがあると思うんだけど、それは簡単に言葉にできない感じです。


「得しようとしたら失い、進んで損をすれば得るものがある」というのは、今に始まったことではなく、この世の中の目に見えない法則のようなものなのだと思います。

こういう経済の交流が起こるためには、物質に対する欲からはある程度自由になっている必要があるかも知れません。いや、物質では幸せになれないということがわかった人だからこそ、その領域に入れるという所はあるのかなあ。

彼がこういう生活を実験的にやってみたことで、たくさんの恩恵を僕たちは受け取ることができてるんだよね。

いわゆる等価交換という概念や、交換経済というような世界観は、やがてエネルギーの流通を止めてしまい、枯渇させていくのかも知れないなと思います。その矛盾に苦しいと感じ、その矛盾に気づいた人たちが、彼にコンタクト取ってきてるのかも知れません。

やはり経済の本質は「贈与」というところにあるということだろうと思います。そこに喜びがあり、生の実感があるときに、ハプンするかのように、贈与は起こり、それが循環することで、みなが潤うというのが、この世界の本来のエネルギー循環の法則なのだろうという気がします。

子供のために何ができるだろうかと考えるのではなく、大人が自分のために自分の人生を生きることを選ぶことの方が大事だと言い切れるセンスは本当に大事だと思います。

「人のために」という姿勢は一見いいけれど、人のために我慢して、犠牲になるということは違うよということですね。

人のために、、、迷惑掛けてはいけない、、、というのは日本人の得意技だけど、そのことによる弊害が今日、とても大きなモノになっているんじゃないのという提言もあると思います。

周りに忖度しすぎて、おかしくなってませんか?ということも、彼の発信してる一貫したテーマみたいにも思います。

しかし、自ら損することを選ぶことの素晴らしさということにも言及しています。

周りに忖度して人のために何かすることと、自ら進んで、人のために何かしてあげることとは、何が違うのか、そのあたりが本能的にはっきりとわかるようにならないと、この社会の中で、呑み込まれてしまうことになるのではないかなと思います。

人のために何かをするということはとても尊い行為であり、ぞれは贈与の精神でもありますね。スムーズにエネルギーが流れれば、すべての人に必要なエネルギーが行き渡り、すべての人が豊かに暮らせるのだということが当たり前に信じられるかどうかということが根底にはあるのかなと思います。

信じられない人は、貪欲にならざるを得ないよね。そして、みながエネルギーの口を締めてしまうと、今のような世の中になるのかなと言う気がします。

この18話の話の中で、たくさんの言葉が僕のハートにヒットしました。あああ、という感じ。すぐには言葉にならないところもありますが、どこか心の奥底にある不安の種というモノの正体を見せてもらえたような気がします。

これを受けてさて何ができるのでしょうね。これまで、なかなか動けなかった理由にも抵触した感じがしていて、何か動き始めるきっかけをもらったようにも思います。感謝です。

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