夢〜桜〜母〜死〜
今朝、夢の中でラスボスと戦っていた。やるかやられるか五分五分の中で、うぉーと声を出した時、大丈夫?との家人の声で目覚めた。
後で話を聞くと、その唸り声の少し前に「お母さん」と僕が叫んだらしい。これにはまったく覚えがないけど、もしかしたら昨夜noteに書いたことと関係あるのかもしれないと思う。
夢の中では何か覚悟を決めたようで、本来は触れてはいけない、玉のようなものに触れ、腹に収めたのを覚えている。それは命を削ることになるけれど、誰かがいつかはやらないといけないことだと思って手に取った。そしてその次に避けられないラスボスとの対決の場面になり、最初の目覚めのくだりになる。
そこで起こされなかったらどうなったか興味はあるけれど、まあしょうがない。
いずれにしてもそのラスボスは僕自身の影なのだろうし、このあたりはゲド戦記の構造と同じで、必要な道程であり、僕なりのイニシエーションなんだと思う。
それにしても「お母さん」と叫んだのを聞かれたとか、あまりに恥ずかしすぎる。
母は僕の目の前で亡くなった。彼女の目から光が遠のいていくのを見ながら、「お母さん」と呼びかけたけれど、その光はあっという間に手の届かないところに行ってしまった。さっきまでたしかにそこにいて呼吸していたのに、次の瞬間には別のありように変わっていて、もう取り返しがつかないということに茫然としたのを覚えている。
そう言えば踊りの稽古の中で、時々母が出てくる。背後を意識した時にそこに立っていたり、他者と向き合う時に、その顔が母の顔に変化したり、仮面が母に見えたり、折に触れ出てくるということは、そこに課題があるからなのかもしれない。
大野一雄さんが「お母さん」をテーマに踊っておられるのを見た時に、同じようなことをしたいとはまったく思わなかったのだけれど、このところの桜、死、母と連なるイメージの展開が、僕の踊りにとって何らかの鍵になるのかもしれないとは思っている。
またこのようなことを考えた上で、次の定例稽古の中で何が起こるのか、何が出てくるのかと思うと、もうすでに次の稽古が待ち遠しくてたまらないという感じ。
下の動画は3月1日、散歩の途中に思いつきで撮影したもの。