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大胆不敵で向こう見ずな挑戦をしてきたワンドのプリンセスは昔の僕かも知れない
昨日あたりから寒くなってきました。それとともに、庭の柿も色づいてきて、少しずつ収穫し始めています。秋の味覚は身体をしゃきっとさせてくれます。
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今日はひさしぶりに庭のテラスに座って、ゆっくりと時間を過ごしました。お日様も顔を出してくれて、温かかったです。
そして、お一人お米を取りに来てくれた人とあれやこれや、いろいろと話しながら、こういう時間は本当にひさしぶりだなと思いました。少しずつ動き始めているのを感じます。
夜になってから、今日のメッセージをくださいと言って、3枚カードを並べたところ、こんな感じになりました。
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2.現在 ソード7 Futility
3.過去 ワンド プリンセス 逆
未来の位置に、アートが出ていますから、やはり錬金術的なことをやるということかと思います。ただ逆位置なので、すんなりという感じではないのかな。紆余曲折はあるのかも知れません。
現在は、このところ続けて出てきているFutility。直訳すれば無益だけど、上を向いて進もうとするソードに対しての反対向きに邪魔をするソードというところから、まだ課題を残してると見る感じかも知れません。
過去の位置には、ワンドのプリンセス。大胆不敵な向こう見ずな恐れ知らずの挑戦者という感じ。ただし逆位置なので、ちょっとやり過ぎたか、思慮が足りなかったか、そういうところも見てねと言われたような気がします。
振り返って見ると、たしかに、僕はこのワンドのプリンセスのようであったかも知れません。無謀と言えば無謀な挑戦をたくさんしてきて、それぞれにある程度の成果は得たけれど、けして大成功したわけではありませんから、もし新しく何か始めるのであれば、そのあたりをちゃんと見ておいた方がいいよと言う感じなのでしょう。
このワンドのプリンセスの絵を見ていると、なつかしく愛おしくも感じます。思えば、最初にインドに行こうと決めたときにも、こんな感じだったかも知れません。
あれは21歳になったばかりの夏、札幌のアパートで、その日どうしても眠れなかった僕は明け方にインドに行こうと決めました。そして、白み始めた東の空に向かって、走ろうと思ったんですよね。
ほんとに外に出て、明るくなり始めた東に向かって走りました。どんどん走って行くと、やがて豊平川の河原に出て、そこで朝日が昇りました。
朝日を見ながら、やはりインドに行こう。ここで動かないと道は見えてこないと思ったのです。それで休学届を出して、アルバイトをして、12月にインドに旅立ち、日本に帰ってきたのは翌年の4月でした。
そして、そのあと、あれやこれやと考えたあげく、学校を辞め、バリ島の踊りをやり始めたというのが、最初のワンドのプリンセス的な行動だったと思います。
たしかにそういう衝動を僕は持ってますね。それだからこそ、できた経験はかけがえがないと思います。
そのあとも、治療の仕事を経て、キネシオロジーのインストラクターになりますが、その時も、キネシオロジーの資格を取るために、アメリカに行き、資格を得て、それで始めたのが、エンジェルスペースでした。
そのアメリカ行きも、結婚したことでいただいたお祝いを使って実現させたもので、そこにも熱い、ワンド的なエネルギーがあったと思います。
お金を使い果たして、日本に戻り、さてどうしようかと思っていたときに、名古屋で受けたセミナーの中で、知り合った人が、僕からトレーニングコースを受けたいから、開いてくれと言われ、その流れで始めたのが、エンジェルスペースだったということを思い出します。
どういうわけか、その時その時、なんらかのきっかけがあって、やってきたと思います。そしてそのあとはというと、前にも書きましたが、自然農、自然栽培を志すようになっていくわけですが、実際に無農薬、無肥料の自然栽培でたくさんのお米を作るようになるというときにも、このワンドのプリンセスのような、純粋で、大胆不敵で、恐れ知らずの挑戦をしたのでしたね。
結果的に10年ちょっとの得がたい経験値を得ましたが、米作りは続けることができずに、今に至るということになりました。
たしかに、無謀な挑戦であったとは言えるかも知れません。しかし、そのことを悔いてるわけではなくて、それがあったから、それらの経験値を得た状態で、今ここにいるわけです。だから、粛々と次に進んでいけば良いということだと思います。
トートタロットに出会ってから、罪悪感と言うところに焦点を当てて見ることがありましたが、今日のカードも、そういう残している罪の意識、、、自分はダメだったというような思い込み、信じ込みがブレーキとなっているということかも知れません。それがFutilityの出てきている意味だろうという感じがします。
こういう感じの考察は何度もした気がしますが、それでも何度も出てくるのは、それが必要だからなのだと思います。そして、あらためて実際の所、何がしたいのか、ということをはっきりと見ていく必要があるのかも知れません。
アートは異質のものを掛け合わせて、新たな合金を作るわけですが、過去の経験も、そこに溶かし込んで混ぜ合わせていくということでいいのだと思います。だから、過去のいろんな思いもまた、こうして反芻することが大事なんだと言うことかなと思います。
そう、むしろ失敗したというスタンスではなくて、インドに行ったからこそできた経験、アメリカに行ったからこそ得たモノ、米作りに命懸けで取り組んだからこそ、手に入れたモノ、、、それらはむしろ宝物と言えるでしょう。
そういう宝物を坩堝に入れて、溶かして作る合金はどんなモノになるのだろうか、そこを楽しみにして、創造していくという見方をする方が、自分らしいと言えるかも知れません。
先日、お米の販売を終了しますと宣言して、最後の注文を何人かの方からいただき、そのお米の精米、発送を順次、行っています。来週頭にはそれが全部終わるので、そうなったらいよいよ片付け始めるということになりますね。
片付けるときにはそれなりにエネルギーが動くような気もしますが、今は淡々と、粛々と時間を過ごしています。
こうして、毎日の日課となったトートタロットの3枚引きは、その時その時のテーマを見せてくれるので、ステップストーンとして着実に前に進む助けとなってくれています。ありがたいですね。
しかし、このところ占星術にかける時間が減っていて、そのあたりも気になります。占星術もまた坩堝に入れたいモノですから、トートタロットに傾きすぎたエネルギーをもう少し占星術の方にも戻した方がバランスはいいかもしれません。
明後日は占星術の講座もありますから、今日は復習もかねて、前回の講座やら、それまでの記録やらを見てみようと思います。