愚者と魔術師
2年前のタロットパスワークで出てきた、この時のイメージは、とても意味のあるものだったと、今になって思います。
これは2020年の7月22日にFacebookに投稿したものです。
内容はこちら
この1982年から始めた魔術師見習いの試みはやがてバリ島につながりました。そこで出会った踊りに夢中になり、それこそ全身全霊、踊りに打ち込み始めたのが1983年でした。
結局、踊りの探求自体は20年以上続けた上で、田んぼを始めたところで、一旦終了し、田んぼでの12年間はリセットのための原点回帰だったかも知れません。
そういうタイムスパンで捉えると、治療の仕事やキネシオロジーの仕事は、僕の中では踊りとつながっていたのだという気がします。
そして田んぼで過ごした12年間は一区切りをつけたという感じなのかなと思います。先程上にあげた2年前と、こちらの5年前のFacebookに書いた投稿を読みながら、思いました。
こちらは5年前に書いたもの
2017年7月22日の投稿 抜粋
バリの踊りに求めた狂おしいほどの情熱もまた田んぼによって昇華されていったような気もします。
思えば、そのあたりの僕の選択の動機は、ほとんどが母を救いたいという思いから発したものだったと、今では思います。
踊りも治療もキネシオロジーも、そのために有効なものであり、そこを自分が突破しないと助けられないという思いから、必死に取り組んだというようなところがあったかも知れないと思います。それでいて彼女の重たさには向き合い切れず、逃げたというようなやましさも残っていました。
母との天王星と太陽を介したミューチュアルレセプションは母にとっても特別なものだったでしょうし、僕にとっても特別な意味を持っていたと思います。
ミューチュアル・レセプションについてはこちらの記事で書いているのでよかったらこちらも読んでみてください。
母が亡くなったのが、2007年で、自然農に心が向かったのは、その後からですから、このタイミングにはきっと意味があるのだと思います。母を救えなかったという思いもあり、母から逃げたという思いもあり、自然農に向き合って、田畑の作業に没頭することで、どこか罪滅ぼしをしようとしていたのかも知れません。
自然農、自然栽培と田畑に関わったのは約12年ちょっと、ということになりますが、その12年の間に見えないところでのリセット作業は進んでいたのかも知れません。
2020年に、田んぼをやめるということになり、振り出しに戻って、また新しい何かの準備を始めるというのが、この時のタロットパスワークで見たイメージでした。
西洋占星術
1982年から始めた魔術師見習いの試みはやがてバリ島の踊りに結実していきましたが、2020年から始めたそれは、西洋占星術にターゲットが向いていますし、今のところとても手応えを感じています。
手応えがあるものには必ず印があります。それは魂に触れるようなハプニングであり、共時性であり、それはある種の霊的体験と言ってもいいのかも知れません。
それが起こったときには、自分が正しい方向を向いていて、ある段階に達したということを示してくれているのだと思います。
2020年からの2年間は本当に贅沢な時間でした。今も贅沢に全身全霊、占星術を学ぶことに時間を割けていますし、今度新しく何かを始めるときには、今までとは違うスタンスで動くようになるのだと思います。