見出し画像

データが飛ぶのは当たり前だけど持続の中の履歴は絶対に消えない

今朝、パソコンの修理屋さんから電話がありました。やはりHDDの破損状態がひどくてデータを取り出すのはむずかしく、アクセスできないのでコピーもできないとのこと。

最後の手段があるけど、それをするともう取り返しはつかないとのことで、その作業をするかどうかの確認の電話でした。ただ、少なからず可能性はあるとのことなので、お願いしました。

ここ半年くらいの間に作った占星術関係の資料だけでも取り出せたらありがたいのですが。。。

パソコンが使えないことで、アマテル(占星術ソフト)が使えないので、日々の日課としてのホロスコープチェックがしにくいので、なんだかペースが狂います。このノートもスマホだけで書くのはちょっと幅が狭まるというか、なんだか窮屈な感じは否めません。

しかし、このタイミング。

ヌーソロジーの「位置の交換」について考え、主体と客体を入れ替えるということの意味を確認していた時。

そして原初舞踏の映像を見て、器官なき身体に思いを馳せていた時。

そして、まさに数時間後に冬至を迎えようという時。

そのタイミングで起こったHDD(記録媒体)の破損というのが、なんとも象徴的だと思います。

ある意味、HDDは内面(情報空間)を担保するものであって、外面(生命の場)ではないものだからね。

内面的なものは結局無に帰するものであって、それはけっしてよりどころとはなり得ないものだということなんだと思います。

数日前に落合さんのいうデジタルネイチャーについて書きましたが、まさにそのことを見せられたという感じかなと思います。

全ては物質という立ち位置も違いますし、全ては精神というスピリチュアルも違うわけです。どっちもどっちで最終的には破綻が待っているという感じでしょうか。

かたや物質主義の最終形態はAIに依存したディストピアを作り出しますし、かたやスピリチュアルは霊的階層を作り、霊的強者と霊的弱者によるピラミッド構造が作られてしまいます。

どっちにしても救いのなさそうなこの世界の中でどうすればいいのだろうというところで、そのどちらでもない道というの見せてくれてるのがヌーソロジーだったなと言えそうです。

本当に時間空間の仕組みをおさえているからこそ出てくる視点が「位置の交換」なんだと思いました。主体は物の側にあり、身体も脳も客体であるというわけですからね。

私たちの心や精神は物の側にあると言われて、すぐには受け入れられませんでしたが、今ではその感覚がわかるようになってきました。

しかし、素粒子の高次元の内部構造のことであるとか、その素粒子がプランクスケールのサイズしかなく、目の前の視線の奥行きに持続をあてはめ、そこに四次元の位置を見出すというような構造理解は、量子力学の虚数の意味もすべからく説明してしまいますし、時間や空間のトリックも全部説明されてしまうんですよね。

ほんとすごいことだと思います。そして、前が主体であるということがだんだんと体感できてくると、それが本当の意味でのグラウンディングであり、物自体との接続であるということになるわけで、これはある種、次元を超えるということの本当の意味であるということだと思われます。

そう、そこにニーチェの言った大地の本当の意味があるのでしょう。

そんなことを考えていると、今回のHDDについても、大した問題ではないなと思えてきます。いずれにしても本当に必要なデータは残るでしょうし、そうでないものは消えるべくして消えるということでいいんだなと思いました。

さて、どうなるでしょう。夜になってもまだ修理屋さんからの連絡はありません。

この写真は川瀬統心さんのレクチャーより一部スクショしたものです。


このレクチャー動画、とても良いので、ピンときた人は見てみてください。年内はまだ見れるようです。

案内はこちらのノート記事の下の方にありますゆえ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?