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剣について思ったこと
こちらのYouTube番組を見て、あれこれ考えました。
大神神社と石上神宮に僕が初めて参拝したのは、2008年から2009年あたりでした。自然農の川口由一さんの合宿セミナーに一年を通して参加した時に、夜行高速バスを使ったので、朝早く奈良とか天理とか桜井の駅に着いたのです。
集合時間が桜井駅13時だったので、それまでの時間を利用して、行くたびに山辺の道を歩き、その過程で大神神社、石上神宮にも立ち寄り、参拝したのでした。特に大神神社には複数回参り、御神体のお山にも登らせていただきました。思えば、僕の自然農、自然栽培はそこから始まったものだったのでしたね。
その次の機会は2016年春分の日の関西ヌーソロジー研究会主催の物部ツアーでした。前日のヌースセミナーで半田さんから、十種神宝が幾何学的に空間構造の秘密を示しているとの話を聞き、その翌日、新大阪駅からバスに乗り、石上神宮、大神神社、箸墓古墳などを経て、最後は神武天皇陵に参るという、今考えても背筋がゾクゾクするようなスケジュールだったんですよね。特にこの時石上神宮に正式参拝させていただいたことが強く印象に残っています。
その頃は歴史的な背景はまだよく知りませんでしたが、今となっては、その時のルートが物部を偲び、天津神から国津神への再交替化ということに思いを馳せての旅であったということがよくわかります。
交替化とは既得権益の移譲ですから、普通はそこに遺恨が残り、中には恨み、妬みが故に道を外す神も現れるということなのでしょう。
これは言わずと知れた、兵庫県における政権交代で起こったことともシンクロしており、それが表面化したのが元西播磨県民局長が起こしたクーデター事件であったと言えるかもしれません。
そして、同じような構図で、財務省はじめ、いわゆる既得権を持つあらゆるものと、それを変えようとするものとの間で諍いが起こっているということなのだと思えてきます。
剣というものが何のためにあるのかということが少し見えた気がします。それは邪を断ち、欲を削ぎ落とし、自ら「足るを知る」境地に至るための咒具という意味があるのでしょう。けっして敵を倒すためのものではないということだと思います。
そういう点でも、昨年、奈良の豊雄丸山古墳で3メートル近い長さの蛇行剣が見つかったことは、そのタイミングという点でも何か符号するものを感じます。それが今必要な時だからということなのかと思いもします。
バリ島の男性舞踏は必ず蛇行剣(クリス)を背負います。剣を背負うということの意味について、長い間考えてきたものでしたが、それが日本の神話を絡めた話の中で、ようやくはっきりと見えたように思うということです。
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