落下の中で出てきたイメージ
昨日は原初舞踏の定例稽古の日でした。昨日の稽古の中では最初の床稽古のなかで、落下を丁寧に繰り返しました。
立った状態から、落ちていき、やがて床に横たわります。また、ゆっくりと立ち上がり、さらに落下するということを何回か繰り返し、やがていつもの床稽古のように、床で10分間横たわります。
そしてそこから自由に動くということで、ゆっくりと立ちあがろうとしている時に、音楽が流れはじめ、それに合わせて踊るというような感じでした。
何度も落下したことで、床に横たわった時には全てが終わったという感覚を味わいました。
そのまま床の中に埋没していくのでもいいかなと思いながら、それでもやはり少しずつ立ちあがろうとする自分がいました。
いつもよりもなかなか立てなくて時間がかかり、途中膝立ちのあたりで終了となり、ひさしぶりに立ち上がるところまで行けなかったなという感じでした。
この中で自分の中で印象に残っているのは2回目と3回目に落下した時のことです。
少しずつ膝を落としながら、だんだん低くなっていき、そのまま前ではなく、後ろ向きに倒れ落ちた時に、目の前に広がる空を見上げながら落ちていくという感覚がありました。
そして3回目の時にはそうして落ちていきながら、上から槍で突かれて殺されるというイメージが出てきて「あああ」という感じで、なすすべなくそのまま果てたような気がしました。
そのまま仰向けにしばらく横たわっていたのですが、その中で、むかし高山に向かう高速バスの中で見た夢のことを思い出していました。
その夢の中では百姓一揆のような状況の中で窪地に追い込まれ、上から槍で突かれるという夢でした。
とてもみじめで、敗北したという気持ちに打ちのめされて横たわりながら、やがて出血多量で意識が遠のき、死を受け入れていったというような感覚だったでしょうか。
下向きに、うつ伏せ気味に落ちていく時に起こる感覚と、仰向けに落ちていくときの感覚が、かなり違っていたのですが、後ろ向きを続けてやりたくなったのは、もしかしたらそのイメージを思い出したかったからなのかも知れません。
やはりこのことも、姿勢の中に感情が閉じ込められていたということのひとつの例と言えるのかもしれませんね。そういう意味では、まだまだ絞れば出てくるのかもしれません。
いろんな経験をすることで、身体をくまなく探るというようなことをしているのですが、この何度も落下するという体験は、落下するたびに削ぎ落とされるものがあると、前回の稽古の後に思ったことを再確認したような感じです。
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