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冷静な計算が必要なのは、個人感情ではない「純粋感情」で踊るため
最上さんのポストを見ながら、今日考えたこと。大事なことだと思うので、書き残しておきます。
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踊りを目的とするからこそブレイクスルーが起こり得るのであって、セラピーを目的としたら、その分、淀みが出るのかも知れない。
目的は具体的にして、はるか先におく方が良いということなのだろう。あくまでも、踊りのための稽古だからこそ、そこに強度が生まれるということか。
>冷静な計算が必要なのは、個人感情ではない「純粋感情」で踊るため
そこに至るために稽古の中で感情を燃やして、削ぎ落としていくということ。まるで刀鍛冶が真っ赤に焼けた鉄を叩いて不純物を取り除いていく過程みたいに思える。
永遠の中に入っていくためには、個人感情をクリアしないといけないということ。不純物が残っていればそこには永くとどまれないからこそ。
それが稽古の目的であり、踊りを目的とすることの意義と言える。効果は目的がしっかりしていてこそ生まれるということ。