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カメハメ波

この坂爪圭吾さんのカメハメ波の話はいろんな風に読めるところがあって、ほんとおもしろいと思う。男とか女とかに関係なく、ほんとはどっちもおんなじ様なところがあるんだと思うんだよね。

カメハメ波を出すのは女だけでなくて、男も出すわけだし、結局それが行き着く先に勝ち負けみたいなことがあって、そしてさらに言うなら、負けることが目的だというような話。

だからこそ他者の存在する意味があるというのは、ちょっと新しいなと感じたのでした。

スピ的、母性的な導きという中に、支配が隠れているのではないかというような視点もなかなか鋭いと思うし、いわゆるスピ的な「成長」とかいうのも、結局のところ、勝とうとしている意識の現われということなのかも知れないなと思ったのでした。

そして、極めつけは、最後には負けることが目的だったんじゃないかというようなことね。勝とうとするのは自我だから、負けることで自我が落ちるなら、それは正攻法ということになるのかもしれない。

そのために他者が存在する意味があるのかも知れないというのは、新鮮な新しいスタイルの「他者論」といえるのかもしれないなと思ったりする。

最後には負けたいんだけど、適当なところで負けたいわけじゃないんだよね。自分の思う「質」を満たしたところで負けて死にたいんだとしたら、勝ちにこだわることは「質」を求めた営みと言えるのかも知れない。

「質」を獲得したいから、勝負するけれど、目的は勝つことではなくて、負けることだったというパラドックスがそこにはあるような気がする。

この記事を取り上げようと思ったのは、ツイッターでフランスの女性たちが裸になって叫んでいる動画が上がってきたから。

これを見ていたら、これも「カメハメ波」なんだなと思ったんだよね。そしてこの「カメハメ波」の記事のことを思い出したというわけ。

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