ここ掘れ!わんわん‼️
昨日の原初舞踏の稽古。しっかりと進歩していることが感じられて、とても充実した1日だったなと思います。
床稽古の中で、身体の奥の方にある源泉に触れたような感じがあって、身体を絞って適切な負荷をかけることで、湧き上がってくるエネルギーがあって、それらが層をなして何重にも重なっているという感じがあって、まるで一枚一枚薄衣を剥ぎ取りながら脱いでいくような感じがして、実際に布を使っているわけではないのに、感覚としてはぴったりと身体に張り付いた布から手や足を絞り出していくような感覚があって、そのひとつひとつの動作が、湧き上がってくる健全な衝動に基づいて起こっているという感じがしました。
全身がミイラのように布で包まれていて、そこから抜け出そうとしているような感覚でもあって、なんせ全身を連動して使わないと、それらの布からは外に出られないから、足を絞り、腕を絞り、体幹を絞り、捻ったり、伸ばしたりしながら、徐々に見えてくる方向性があったという感じでした。
そうやって動いている時というのはとにかく気持ちが良くて、とてつもないエクスタシーの中にいるという感じがあり、そのまま昇天してしまっても良いと思えるほどの充実を感じた体験でありました。
このところ床稽古の導入としては、玉を作り、無限大に大きくなっていった玉が段々と収縮して小さくなり、やがて限界まで小さくなりながら、床稽古に入っていくのだけれど、どこまでも小さくなっていく方向に意識を向けると、ある瞬間、やはりひっくり返るところがあって、そこから先はおそらく反転した空間に出て、そこから始まるものだからこそ、床稽古がより深いものになるのだろうと思います。
4月は桜の中で動いてみたりして、ずいぶんと前のめりに踊りと取り組んでいたということもあって、徐々に深まっているということを感じています。
昨年来ずっと稽古の中で積み重ねてきたことが、ようやく繋がってきて、無意識に発動し始めているような気もしますし、それに連動するように、自分が昔から持っていた叫びと言ってもいいような衝動の、さらに深いところにあった源泉に直接つながるようになってきたからこそ、素直に表現が出てくるようになってきたのかもしれません。
深化していくというか、身体の中を掘り進んでいるというか、まだまだ何か出てきそうだし、待っているものがありそうだし、今日もここ掘れわんわんよろしく、踊りたい衝動に駆られているという感じがあります。そしてその分、小手先での動きではない動きが増えてきてるようにも思います。
おもしろいのは舞踏意識とでも言いますか、そこに入っていくとすべてが濃密になり、粘り気が出てきて、ますますゆっくりとしか動けなくなるということで、これはシュタイナーのいうエーテル空間と同じものではないかと思ったりもします。
最後に、こちらの動画は家の近くの桜の木の前で踊ってみたものです。一人で三脚を立てて撮ってみました。愚者の舞というのは、タロットカードの0番の愚者です。愚者はゼロでありながら、22を超えてきたものでもあるなと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?