対称性の自由度を高めていくこと
Xで流れてきた半田さんのツイートから辿ってこちらのブログを読みました。
対称性の自由度を高めていくことが、成長であり、成熟であり、この世界の秘密を解いていく方向を示しているということなのだと思います。
ゲージ対称性という物理学の考え方は、そういうことを踏まえて見ていくと本当に興味深いです。
自分だけだったところから、他者に出会い、他者との交流を通して人は感性を豊かに育んでいきます。
その空間は二重化していて、視野が広がるということは奥行きを看破していくということであり、三次元と四次元を行き来することであり、他者の立場を理解することであり、その上で不動の自分軸を発見していくことなのでしょう。
その視点を得ていくと、物とは何なのか、身体とは何なのか、空間とは何なのか、時間とは何なのか、私は誰なのかが、ひとりでにわかるようになっているのだと思います。
対称性の自由度を高めていくことが宇宙の本質に近づいていくということにつながるのでしょう。そしてそれこそが成長の意味であり、人間が本能的に進もうとする方向性なのではないかと思います。
そのような対称性の自由度をどこまで達成できているかということが、他者との関係性を通して知ることができるのだと思います。そしてこの世界のあらゆる出来事はそのためにあると言ってもいいかも知れません。
だからこそ、社会というのはその反映なんでしょうね。この世界の中で、戦争が終わらないのは、人間が目の前の空間の秘密をまだ理解できていないからなのだと言っていいのだろうと思います。
概念として、成長とかアセンションとか言っても、たぶん中身が伴わないのでしょう。それがスピの限界だと言えるかも知れません。
だからこそ、物理学の話をヌーソロジーはしつこくしているのだと思います。そこに取り組もうとした時に初めて開ける視野というものがあるということでしょうか。
そこに向き合う気概がないと、フラットアースのような似非科学的な罠に引っかかるということなのかも知れません。フラットアースは上下の絶対性を謳い、対称性を否定する考え方ですからね。
この前、フラットアースの問題点について、このような話を川瀬統心さんと半田広宣さんがされていましたが、これはとても大事な指摘だと思います。
フラットアース説の帰結点は、人間は神の創造物であり、そこには絶対的な上下関係があるということです。
まさに人間が地球は丸いことを発見してから手に入れてきた、上下の対称性、それゆえに得た人権という概念を否定しようとするのが、フラットアースを普及しようとしている人たちの隠された目的なのだと言えるかも知れません。
というわけで、話が少しそれましたが、人間が獲得してきた科学的知見ということを踏まえながら、その先を目指さないといけません。
霊の世界もその延長上に解明されていくべきであり、それを可能にするのがゲージ対称性ということではないかということなのだと思います。それを理解して合点がいくところまで持っていくためには、多少なりと忍耐力は必要なのでしょう。
考えてみれば、占星術も回転対称性という視点で見ていくとおもしろいですし、踊りに関しても、それが見えているほどに深まっていくもののように思います。
そういう意味では物理学というのは、狭き門を潜るための必須科目なのかも知れませんね。