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学校教育はもっとズボラで良い

こんにちは。
今日は、ある方から学校の教育現場の危機についてのお話を伺ったので、思うところを徒然に記します。

お話の概要としては、「余裕のない学校、生徒、親が増えている」ということでした。給食を食べる時間が実質15分と短い。朝ご飯を食べられない家庭があり、教員が内緒で朝ごはんを用意してあげている学校がある。学校が学びの機会をお膳立てするようなプログラムばかり用意され、生徒が自律的に考え、行動する機会がない。そのような現状を変えるエネルギーが、子どもにも先生にも親にもない。

私も、日本の学校教育の現状に、以前から問題意識がありました。
教育委員会から定められた画一的なカリキュラムで、子どもは自分らしさを見失ってる。それに違和感を感じつつも、先生にも、親にも余裕がないから変えられない。本当にそうだと思います。

まず、どうしてこんなに、柔軟性がなく効率的だけを重視する教育プログラムになってしまったかというところですが、日本は、少なくとも戦時中から、男性的な画一社会を学校教育に導入してきており、それが現在まで続いているからと考えています。更に、ここ数十年で効率化とポリコレが重視されて、息苦しさが加速しまったと推測しています。
もう少し具体的に噛み砕くと、教育委員会から定められた教育課程は絶対。多岐にわたる科目を満遍なく学ぶ為、授業は朝から夕方まで詰め詰め。効率を重視する為、プレゼンや論文のような、生徒が自ら考えアウトプットする場、そして給食を味わったり友達と交流したりといった「生活」の部分は省かれ、ただ受験に必要な知識の詰め込みだけを淡々と行う。先生たちはその現状に疑問を感じつつも、親や世間の目に晒され、生徒の教育、生活指導、健康管理、課外活動まで完璧に行わなくてはならないようになった今、より有意義な学校生活の創造に割く時間と気力を奪われています。

私自身も、アメリカから日本の高校に転入してきたとき、画一的な学校教育に猛烈な違和感を感じました。ある日、信頼している先生に進路について相談していて体育の授業に遅れたことがあります。アメリカでは、正当な理由があれば遅刻や授業のスキップが許されていたので、体育の先生に事情も聞かずに叱責されてシンプルに驚きました。進路という人生の分岐点を左右する問題より、何回もある体育の授業の方が大事なのかい?遅れることが、絶対的に悪なのかい?と。先生が考える力、柔軟に対応する余裕のなさを感じ取った日でした。

この現状を解決する一つの方法としては、受験制度を徐々に、しかし最終的には、抜本的に変えていく必要があると考えています。現在の一般的な高校受験や大学受験は、全ての科目で満遍なく得点できるオールラウンダーが選ばれる仕組みになっています。数学だけ天才的に得意で他のことはからっきしの人は、一般入試の制度では入れません。各科目100点満点の試験なら、数学で500点取れる実力があっても、国語、英語、社会、理科で0点なら、100点にしかなりません。各科目で満遍なく70点を取り合計350点の人に負けてしまいます。

もし、「数学だけ500点」が評価されるならどうでしょう。全ての科目を完璧に学ぶ必要がないので、授業で教える内容は最低限で済む。自由時間を増やす。空いた時間で、好きな科目を学ぶ、自ら考えアウトプットする、給食をゆっくり味わう、他の生徒と遊ぶ。そうすることで、子どもたちは、生活する力、そして大人に押し付けられた規律や制度に意見するエネルギーを養っていけるものでしょう。

このような学校現場の改革は、気の遠くなるような長い道のりと思われるかもしれませんが、すでに変化は起こっており、数年以内に怒涛の勢いで実現していくと私は予測しております。というのも、すでに大学受験でAO入試で入学する学生は増加傾向にあり、抜群に得意なことだけで進学できる環境が整いつつあります。
若者たち自身も、全てを頑張る必要がないと肌感覚でわかっていると思います。子どもが、先生に意見を申し立てる気力がないというお話がありましたが、意外と従順なふりをして見えないところでサボれる人は増えている印象です。波風立てずに、スーッとやりたことだけやる。だから、大人が全て何とかしてあげなきゃ!と息巻く必要はなく、子どもを信じて、変わるきっかけを与えてあげればいいのだと思います。

具体的に、我々大人がやるべきことは、政治や世間が変わるのを待たず、既存の規律を倫理的な範囲で無視しして行動することと私は考えます。結果は事後報告していけば良いでしょう。ルール破ったけど大丈夫だったよね、と、事実ベースで世間を説得していく。例えば、私に小学生の子どもがいれば、別に嫌いな授業サボっていいよと伝えますね。
校長先生のおにぎり朝食だって、続けて行って、それを実施していない学校の生徒との比較でメンタルの状態が良好です、みたいなデータを事後的に出せば、教育委員会も動くんじゃないでしょうか。データと言わずとも、「あの校長先生の行動に救われた」という生徒の声があるだけ良いかも。公になれば校長先生は犠牲になりますが。

こういう考え方をするようになったきっかけは、小田桐あさぎさんという女性起業家に出会ったことです。彼女のオンライン講座&サロンに参加しているのですが、その内容はざっくりいうと、「世間体やルールは無視して、嫌いなことは辞めまくって、好きで得意なことだけして、日本を変えていこう!」というもの(笑)。ずいぶん横暴に聞こえますし、この考えをXに投稿しようものならアンチコメントがわんさかと湧くでしょうね(笑)しかし、我々はもっとわがままにならなければ幸せになれない。もっと自分勝手に生きることで、自分も世界も幸せになれるという考えは、ここ数年で急速に浸透してきているという体感があります。私もそれを信じて、少しずつ嫌なことを手放し、自らの心の声に従って生きていこうと決めました。

心に余裕がないときは、余計な言動が増える。
心に余裕があるときは、言葉より行動が先に出る。

この記事を読んでくださる人は、まだ心に余裕のある方だと思います。
少しつづ、自分の心地よい範囲で、自分の生きる世界を変えていけたらと思います。

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