いただいた問いと私の回答
問いをいただいたのだが、私の回答が長くなりそうなので、noteに投稿する。
①身体とは、それだけでは何処にも行けない精神を自由にするものでしょうか。それともその場所に閉じ込める檻でしょうか。
私の考えは後者に近い。ここでは、精神は脳によってしか成立し得ないという前提で考える。とすると、脳があるところにしか精神はないと言える。だから、精神は脳に閉じ込められている。精神は脳に存在を与えられ、脳に依存していることにより、閉じ込められていざるを得ない。
ただ、脳=身体ではないので、身体に閉じ込められているとは限らない。脳みそだけが機能していて、手足や胴体はないような存在も考えられる。水槽に浮かんだ脳だけがあり、脳に電極が繋がれていて、脳の働きで何かを感じているような状態が想定し得る。そしてこの存在は精神を持っているとする。この場合、身体はないので精神は身体に閉じ込められているとは言えないが、脳には閉じ込められていると言える。
精神がそれだけではどこにも行けないという前提も疑ってみたい。一旦、「それだけではどこにも行けない」という言葉の意味を、脳の場所とは関係なしに移動できないと捉える。客観的に見たら、脳があるところにしか精神は存在できないので、どこにも行けないと言える。移動するには、脳を誰かに移動させてもらうか、自分の身体があればそれを使って移動するしかない。しかし主観的に見たら、脳を物理的に動かさずとも、メタバース上の移動や、夢や意識の中での移動は、可能だと言える。つまり、身体がなくても脳さえあれば、本人は移動を体験したと思うことができる。精神に重きを置くならば、主観的な移動さえ可能であれば十分なのではないだろうか?
「それだけではどこにも行けない」の言葉の意味を、脳の存在がなければ移動できないと捉えると、そのとき精神はそもそも存在しないため、移動できるできないは問題にならない。そのような精神はないから、自由になることもない。
まとめると、精神は脳に存在を与えられ、それによって閉じ込められている。身体がなく脳だけがある状態も想定できるため、精神を閉じ込めているのは身体ではなく脳である。そして、主観的な移動は脳の場所に関係なく可能であるし、脳がなければ精神もないため自由になることはない。
他の問いの回答は、別のnoteかツイートで投稿する。