まずはそれぞれの言葉を整理する。 偏見とは、偏ったものの見方や考え方、客観的な根拠なしに抱く非好意的な判断である。 偏っているとは、対象や判断基準の数や種類が、不均等であったり恣意的に選ばれていたりするような状態である。つまり、偏った見方とは、多面的に見ることができる対象や出来事を、一面的にしか見ていないのに、それを全てであるかのようにとらえている状態である。 客観的なものとは、データや事実のように誰にとっても同じであり、個人の感情や判断が入り込まないものである。 好
顔がついているものは可愛いとよく言っている、Pという人がいる。今回は、この発言を深掘りしていく形でPにインタビューし、可愛さを考察してみる。 先程述べた人であり今回インタビューされる側の人をP、この記事の筆者であり今回インタビューする側の人をAと表記する。 インタビュー顔がついているものの可愛さ A「顔がついているものはどういうところが可愛い?」 P「ミニキャラっぽいところ」 A「じゃあ大きいぬいぐるみは可愛くない?」 P「それも可愛い」 A「ミニキャラのミニって、Pは
性格を偽装するとはどういうことなのか?それは可能なのか?この2つの問いについて考える。 性格を偽装するとは言葉の定義 まず、言葉の定義をしておこう。「性格」とは、その人に特有の、感情や意志、行動の傾向であると定義する。もう少し詳しく言うと、性格は1人単位で考えられるものであり、感じ方や考え方、行動の仕方などの癖や偏りのことを指す。具体的には、内気、勤勉、恥ずかしがり屋、慎重などがある。そして、「偽装する」とは、事実とは異なる内容を、他人に信じさせるために細工をすることであ
皆さんは、ウミガメのスープというボードゲームを知っているだろうか?これは、一見不可解な状況が書かれた文章を読み、出題者に質問をして、真相に辿り着くことができればゲームクリアとなる、水平思考クイズゲームである。 この記事では、ウミガメのスープと現実を比較して、両者を捉えてみたい。 ウミガメのスープのルールカードの表面に問題、裏面に答えが書かれている。2人以上でプレイできる。プレイヤーは、出題者1人と解答者に分かれる。出題者は、カードの裏面を見て答え(真相)を確認し、ゲームの
前回の続き。 ③ソクラテスは、哲学教師になれるでしょうか。 まずは教師とは何なのかとその条件を考えたい。教師とは何かを教える人のことだが、何らかの知識を教えているとは限らない。自身の人生観や思想を教えることもある。その場合は、「こう思っている」という思いを伝えるので十分である。思いは知識とは異なり、自身の頭に浮かんだことを言葉にするだけで教えることができる。また、知識というのも、知っていると思っていることなのではないだろうか?教師が教えていることが、真に知っていることとは
前回の続き。 ②「与えられた自由」とは真の自由でしょうか。 私の中で自由とは、選択することもしないことも可能であることである。Aに関する自由があるとは、Aを選択することも選択しないことも可能であるということである。自由の定義をこれとして考えていく。 「与えられた」という条件がついた自由が考察対象だが、逆に与えられない自由とはどのようなものだろうか?先にこれを考えることで、与えられた自由の特徴を浮き彫りにしたい。与えられない自由とは、与えられずとも生まれたときからずっと持
問いをいただいたのだが、私の回答が長くなりそうなので、noteに投稿する。 ①身体とは、それだけでは何処にも行けない精神を自由にするものでしょうか。それともその場所に閉じ込める檻でしょうか。 私の考えは後者に近い。ここでは、精神は脳によってしか成立し得ないという前提で考える。とすると、脳があるところにしか精神はないと言える。だから、精神は脳に閉じ込められている。精神は脳に存在を与えられ、脳に依存していることにより、閉じ込められていざるを得ない。 ただ、脳=身体ではないの