性格の偽装

性格を偽装するとはどういうことなのか?それは可能なのか?この2つの問いについて考える。

性格を偽装するとは

言葉の定義

まず、言葉の定義をしておこう。「性格」とは、その人に特有の、感情や意志、行動の傾向であると定義する。もう少し詳しく言うと、性格は1人単位で考えられるものであり、感じ方や考え方、行動の仕方などの癖や偏りのことを指す。具体的には、内気、勤勉、恥ずかしがり屋、慎重などがある。そして、「偽装する」とは、事実とは異なる内容を、他人に信じさせるために細工をすることであると定義する。偽装の方法には、嘘を吐くことや重要な情報を隠すことなどがある。ここで考える偽装される性格とは、偽装を意図した人自身の性格である。したがって、言葉の定義から考えると、性格を偽装するとは、自身の感情や意志、行動の傾向を、実際のものとは別様であると他人に信じさせるために、細工をすることである。

性格の判断基準

性格の偽装は、具体的には、自身は内気な性格であるが他人には内気な性格でないと思わせる、のようなものが考えられる。しかし、そのような場合に、「自身が内気な性格である」の部分が事実であるかどうかは、何によって判断するのか?性格全体に一般化すると、人がある性格を有しているかどうかは、何を基準に判断するのか?ここでは、振る舞いと内面の性質の2種類に分けて考えてみたい。(内面の性質という言葉はおそらくあまり適当ではないが、上手い表現が思いつかなかった)

振る舞いとは実際の行動に表れていることであると定義する。そして、振る舞いを基準にするとは、客観的にわかる範囲のことを基に、性格を判断するいうことである。この基準は、振る舞いが性格の本質だと考えるか、性格は振る舞いに影響を与え得る動機や引き金のようなものであるが例外なく振る舞いに表れると考える場合に、採用されるだろう。今回は基準の分類をするだけなので、両者のどちらかが正しいかについては触れない。では、振る舞いを基準にした場合を具体的に考える。例えば、人と積極的に関わろうとせず、他人からのアクションを待つ人は、内気な人であると定義する。その場合、たとえ内心で自分から関わろうとすることに抵抗がないと思っていたとしても、実際に自分から関わろうとしなければ、内気だと判断される。もしくは、抵抗がないという自覚が間違いで、本当は抵抗があるから自分から話しかけないのだ、と捉えられる。

一方、内面の性質とは、感情や意志、無意識の思考パターンなど、行動や態度を引き起こすのに影響を与え得るものと定義する。あくまで影響を与え得るものであるため、必ずしも影響を与えるとは限らないし、振る舞いに表れるとも限らない。例えば、内気とは、人と関わることに抵抗を感じるような内面の性質である、と定義する。その場合、実際の行動が内気と真逆の性格に見えていたとしても、本人が抵抗を感じていれば内気と判断される。客観的に判断できるわけではないため、「そうは見えないかもしれないけど、私は本当は内気なんだ」という発言が有意味に成り立つ。性格が周りからわかるように表れるとは限らず、一切他人に気づかれないが本人だけが自覚している場合もあり得るからである。また、本人すら気づいておらず、一生誰にも知られない性格というのもあり得る。抵抗を感じていると自覚していない場合があるからである。何が「本当」なのか正しく判断できる者はいない。

性格の偽装は可能か

性格の偽装が可能かとは、ある性格である/でないフリができるかと言い換えた方がわかりやすいかもしれない。では、性格の偽装が可能であるかどうかについて、先程述べた基準に分けて考える。

振る舞いを基準にするならば、偽装は不可能だろう。その性格に当てはまる振る舞いをしたかしなかったかは客観的にわかることであり、事実として記述されるため、偽ろうとしても本当になってしまう。内気な人のロールプレイをしようとした場合も、それはもはやロールプレイではなく、実際に内気な人であると言える。これは、人助けをする人のフリをしようとしても、実際に人助けをしたならば、それはもはやフリではなくなってしまうのと同じである。

内面の性質を基準にするならば、偽装は可能だろう。本当は抵抗を感じていると自覚しているが、感じていないフリをすることはできる。具体的には、「私は人とたくさん話しても、全然ストレスないし疲れないんだよね」と発言したり、表情に出さないように気をつけながら多くの人に話しかけたりすることで、内気のフリが可能である。実際に抵抗を感じているかは客観的にはわからないため、態度や発言で偽装することができるのである。ただ、自身すら気づいていない抵抗があった場合、偽装は成功しているとは言えない。本当は内気だったため、単に内気な性格が表出しただけということになり、何も偽っていなかったことになるからである。実際にその性格であるかどうかが確定しないため、偽装が成功したかどうかは誰にも判断できない。つまり、偽装は可能であるが、必ず成功するわけではない。

まとめ

性格を偽装するとは、自身の感情や意志、行動の傾向を、実際のものとは別様であると他人に信じさせるために、細工をすることである。性格の判断基準は、振る舞いと内面の性質の2種類が考えられる。性格の偽装は、振る舞いが基準であれば不可能である。内面の性質が基準ならば可能だが、成功したかどうかは誰にも判断できない。

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