何をやっても上手くいかない原因
前回のnote「自分の仕事の作り方」の最後に書いた、
- 商品そのものが悪いのではない。
というお話について、引き続き書いてみたいと思います。
人生グラフを描いてみた
私の人生グラフを描くとしたら、多分、こんな感じです。
生まれてこの方、ずっとネガティブで生きて来ましたし、生粋のマイナス思考人間です。
それを形成したのはご覧の通り、幼少期からで、生まれて来てまっさらな、自分の記憶にすらない自我形成以前からのことも影響して、人間はある程度、その人がどんな星を背負って生まれて来てどんな風に生きていくのかは決まっていると言われていますが、まさに、私はそのまんま、環境(生まれもっている、人・モノ・場所など)でマイナス方向で育ちました。
たとえば、
・生まれて間もなくからの重度のアトピー、皮膚疾患、食物アレルギーなど
・皮膚疾患が原因の見た目の醜さからイジメに遭う
・どこへ行ってもイジメに遭う
・学校昇級してもイジメに遭う
・社会人になってもとにかくイジメに遭う
・イジメが原因で心身を病み、胃痙攣、過呼吸、過食などなど
・暴力を伴うこともあり、骨折、打撲などなど
・終いにはレイプ(未遂含め)、DVなどで、鬱、不安性神経症、自律神経失調症などなど
子供の頃は将来を思い描けず、目の前の環境からのドロップアウトしか思考できなかったので、大人になったら何になるか?など、具体的に考えたこともなかったのです。
そんな子(私)に人生の長期計画があるわけがありませんでした。
けれど、それだけで、「何をやっても上手くいかないのは生まれた環境や境遇が悪かったんだから、そのせいだ、しょうがない」と言って、全て納得!となるわけではありませんよね。
ダメな生まれならダメで終わるの?というと、もちろんそうではないわけです。
けども、こんなお話を聞いたことはありませんか?
丙午(ひのえうま)には子供(特に女児)を産まない方がいい。
という迷信?
これは、昔から十干(じっかん)でいう年廻り、次は2026年。2025年からの出産計画を立てている方は、親御さんの年齢が高いと?もしかすると、控えた方がいい。なんてことを言われたりもするでしょうか。
これは、この年廻りの時に生まれた女性は気性が荒く、婚姻したら男性を食い潰すとか、火災の災いなどに警戒した迷信からですが、では、その年に生まれたからと言って、すべての人がそうなのか?と言われたら、そうじゃないことはわかると思います。(詳しい由来やエピソードを知りたい方は、どうぞ検索してみてくださいませ)
統計学というのか、算命学なんかの世界でも、生まれてくる時に帯びる「氣」みたいなものが、その人のエネルギーに影響していると考えられているんですよね。
この辺りの思考については、私はごく最近になって理解をし始めたのですが、それまであまり理解もしていなかったし、言葉は知っていても学んではいなかったのです。
昔々のお話が、なぜ未だに信じられて?採用され続けて今にも残っているのか?不思議になることはありませんか?ことわざであったりとか。
言葉の流行みたいなものなんて現代はこんなに移り変わりが早く、新たに「名言だ!」みたいに思われることも、この先数千年も続いて語り継がれるほどとは思えませんよね?
よく、ピラミッドなどの巨大な建築物、昔の人は測量技術が凄かった?とか、暦などのこと、星のこと、なんで昔の人たちは、こんな高度な文明を持っていたのか?
最先端の機器があったわけでもないのに!?と、言われることがありますが、気学や五行など、何かしらの参考にすべき「知恵」が含まれていて、ここまで語り継がれて来たのでは?と思うと、案外、看過できないものかも?と、思えてくるわけです。
物事には必ず「原因」があります。
なら、何をやっても上手くいかない原因はなんなのか?
知りたいと思いました。
けれど、気をつけなくてはいけないのは、ネガティブ思考さんはすぐに「卑下」し過ぎてしまう癖もあると思うので、それは「違うよ!」という客観的な自分を伴走させながら読んでいただきたいと思います。
すべての原因は自分にある?
(責めてない視点で考えよう)
上記の丙午のお話から、子供の将来を思って出産を計画的にされるお母様方もいらっしゃるという世の中ですが、では、その年に生まれた方々は何か問題があるのか?ご出産された方は計画性がないのか?子供思いじゃないというのか?
というのは、全部違いますよね。
計画的に選んでも、選ばなくても、関係ないところには関係ない。
つまり、すべては「自分(本人)の中にあること」だとわかったんです。
当たるも八卦当たらぬも八卦。というくらいに聞き流す人はそれも良し。
そうではなく、何か気に掛かるという方は、読んでみて思考の材料にしてくださるも良し。
それも、全ては自分(本人)次第ということですね。
私はずっと、わかっているつもりでわかっていませんでした。
振り返って考えると、あまりにはじまりが幼すぎて、自分が思考するより前に外から攻撃され続けていて物心がついたからでしょう。
持って生まれた性格も影響していたと思います。
受け身で大人しくて、なんでも素直に人の言うことを信じてしまう。
自分というものを意識するより前に、外から強く押しつけられるものが怒涛のようにあり過ぎて、追いつかないまま形成されてしまったのかもしれないと感じます。
お前は汚くて気持ち悪くてバイキンだ
子供は残酷なところもあって、身近な存在や自分の見て来た世界とは異質のものに対して、感じたことをそのまま発しますし、それを当事者の気持ちなど察する能力もないうちから攻撃的に面白がってなすりつけたりもします。
誰も上記の意見を否定してくれない。
「そんなことないよ」って言ってもらった記憶がない。
付け焼き刃的にフォローされても、攻撃の方が激しすぎてフォローが消し飛んでしまう。
せめて自分の親に「かわいそうに」と庇われ、愛されたいと思っても、3つ下の弟に手がかかり親はそれどころではなかったのだろうし、見た目ぐちゃぐちゃの娘よりも、赤ちゃんらしいプルプル産まれたての赤子の方がずっと可愛かったでしょうし、薬塗らなきゃ、医者に連れて行かなきゃ、アレルギー避けてごはん作らなきゃ、痒がってるけど掻かせたらだめ、止めても掻くし傷だらけで泣くし、あ〜〜〜!ノイ■ーゼになるぅ〜〜〜〜〜!!!!
最後に記載した母の言葉だけがずっと脳内に残り続けます。
「あんた(私)のせいでお母さん(自分)はノイ■ーゼなるかと思ったわ、笑」
(母方の祖母からも言われました、「あんた(私)のせいでお母さん(娘)はなぁ……」)
愛されたい、可愛がられたい、かわいそうって庇って欲しい…
自分だけが愛情をひとり占めしたい、そう思っても叶わない長子の苦悩も加わって、なかなかに不憫な方向に陥っていきます。
「私が悪いの?」
原因が自分にある。というのは=自分が悪い。ということではありません。
私はここを、長年勘違いというか、恐れていました。
・自分は間違っていないもん!
・イジメられる側が悪いなんて、私何もしてなくてもイジメられるもん!
・見た目が汚いのは私のせいじゃないもん!
・病気になったのは自分の選んだことじゃないもん!!!!!
そう、まるで全部、「自分(お前自身)のせいだよ。」と言われているみたいで、受け入れがたかったのです。
まして、今はみなさんよく耳にされるかもしれませんが、「この世に生まれて来ることを選んだ時点で、全てのことを自分で選んで決めて来た」というお話。
産まれる家も両親も、どんな人生を歩むかも容姿も全部…です。
え?私がなんで敢えて、イジメられて苦しい思いをするってことを自分で選んで来たというの???
こんなに幸せになりたいって思っているのに、こんなに苦しいのに、なんでこんな目に遭いたいと思って生まれて来るっていうんだよっ!!!
ドMかっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!
と、まったく納得いきませんでしたよね。
ただ、この本当の意味がわかった今となっては、
「言葉が悪いわ」とも感じます。笑
ずぅ〜〜〜っとこの言葉の持つニュアンスに苦しんで抵抗し続けて来ましたし、簡単には受け入れられませんでしたし、理解をしようと思う気持ちすら持てませんでした。
誰も不幸を選んでなんて、生まれて来ないよっ!
みんな幸せになりたいに決まってるじゃん!
と、アナタも思いませんか?
もし、同じ思いを持った方がいらしたら、もう少しこの話にお付き合いいただければ嬉しく思います。
どうしたら人生が好転するのか?を探す日々
長らくイジメという境遇にありすぎて、最初は辛すぎて人生早くドロップアウトしたい。
こんな目にばっかり遭う自分はきっと碌な最期を迎えない。と、思っていました。
それでも、物心ついてすぐのころはトライアンドエラーでした。
小学校低学年の頃は、学年に同じアトピーの人は自分を含めて3人。
1人はわりと軽症。1人は重度にカッサカサの乾燥アトピー。私はジュクジュクズルズルの滲出アトピーでした。
私以外の子は目立ってイジメられたりしていないようで、お友達と仲良く休憩時間にはグラウンドで遊んでいるのを見かけました。
私は誰からも声をかけられるでもなく、自分の席でお絵描きをするようなタイプ。
でも、近くを通って私に当たりそうになると、感染るとか、バイキン付いたなどと言って騒ぎ立てて悪口を言って来る子が必ずいる。
どうして他の子はイジメられないのに、私だけイジメられるんだろう?
そう思って、お友達を作る努力はするのです。
女の子に声をかけてみたり、近所に住んでいて小さい頃から知っている子と一緒にいるようにしてみたり。けれど、どこからでもバイキン扱いをして悪口を浴びせて来る子はいるので、怖いだろうし、巻き込まれたくなくて、一緒にいてくれるようなおとなしめの子たちは私から自然と離れ、違う子と過ごすようになります。
(*具体的な話は内容は変わりませんが一部フィクションを交えていると思ってください。)
友達を作っても作っても、外からイジメの手がやって来て孤立を繰り返す。
粘着質なイジメっ子に絡まれた時には、自宅にまでやってきて玄関の壁中に油性ペンで悪口を書かれたり(耳無法一のお経かな?というくらいびっしり)上級生を引き連れて来られて下校途中からずっと追われて田んぼの畦道から溝に落とされたり…。
階段の上から私めがけて台車を落とされ、骨折させられた時には、流石に親にもバレ、だんだんとイジメが露見してしまったのですが、愛されたかった私は、人からイジメられるような自分は母に愛してもらえないだろうと、ずっとそれまでイジメのことは言えずにいました。
母は宗教にハマりがちな人で、私のアトピーもイジメも、アナタ(私)が悪い。私より、イジメて来る子の方がかわいそうな子だ。と、教育されてきました。
私はただ、愛されたかっただけなのに。母からも、かわいそうなのは私の方だと言って欲しかったのに。と、言葉の真の意味を教えてもらえることもなく、なぜ傷つけて来る人の方が可哀想なのだ!と、愛情に飢えすぎてまったく理解ができませんでした。
(当時はイジメっ子は心が貧しくて気の毒なのだとしか考えつきませんでした)
おそらく母も飽きっぽくすぐに宗教を乗り換えていたりもして、真の意味はわからずとも、その言葉を子供に言って聞かせるのが教育と思っていたのでは?と想像しています。
後に、出産し、母になった友人が私の母のことを「絶対に子供に言うたらアカンこと言うタイプの人よな」と言っていました、笑
確かに、自分が真意を理解していないのに「教え」だけを受け売りで幼い子に言って聞かせたところで、なんの学びにも愛情の伝達にもなっていなかったよなと今は思います。
その後、私はどうやってその理解に辿り着いたのか。
それはもう、長すぎる道のりでした。
理解の早いみなさんは、すでにお分かりでしょうか。
もし、まだ昔の私と同じように、「なんでよーーーー!!!!!」という場所にいる方は、よかったら続きも、またお付き合いくだされば嬉しいです。
長文、お付き合いありがとうございます。
今回はひとまず、ここまで。