澱み
雨雲らしき薄暗い雲が風で早く流れていく。
6月に入りトンボが現れはじめた。
俳句の季語なんかで秋のイメージだったが。
トンボの種類によっては5月の下旬から飛び回る春季種と言うものが多いことを知った。
今日も朝から凄まじい希死念慮。
肩に乗ってしまっている感覚。
べっとりとこびりつきまったく取れないなんとも言えない感覚。
何度も何度も肩から肘にかけてありもしないものを拭う。
今日も午前中一杯を掛けて踏み止まりようやく立ち上がった。
主治医からはしつこいように退院の話をされる。
こちらは退院を拒否している訳ではないのだからその話はもう面倒くさくなっている。
状況も特段代わり映えもしない。
昨日も夕方頃に強烈な希死念慮に襲われた。
薬をがぶ飲みし耐え凌いだ。
筋肉注射を連発するのも危ないし、退院してからはそれもないから。
どうやってか耐え凌ぐ他はない。
2番目の子どもから漢字テストで100点を取ったとメッセージがあった。
よくがんばったね、おめでとうとメッセージを返した。
学校から帰宅して恐らくひとりなんだろ、寂しく褒めて欲しいはずなのだ。
いま希死念慮に取り憑かれた私が精一杯出来るメッセージはこれだけだ。
子ども達の顔が思い出され堪え切れなくなる。
子ども達に逢いたい。。。
気が狂いそうになるくらいのねがい。
メッセージで子どもへ、あいたいと素直に送ってみた。
寝る前に子どもからは来年の夏にしかあえないと具体的に返信が返って来た。
当初、妻は私が退院したら子どもたちとあわせるといっていた。
所詮はその場凌ぎの口約束だったのだろう。
薄っすらと抱いていたねがいも壊れた。
私と私の家族がここまで酷い扱いをされる理由が何処にあるのだろうか。
そして思う。
私が子ども達に逢いたいと思うことは単なる自己満足なのだろうか?
我がままなのだろうか?
そこになんらかの問題があるのだろうか?