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Swinging Chandelier-5:衛星
本作『Swinging Chandelier』は暁夜花さま作『戯れシリーズ』における登場人物がクロスオーバーします。また、こちらで公開された作品は全て、事前に暁夜花さまの目を通してあることをお伝えいたします。
Swinging Chandelier-5:衛星
好きな曲とミュージックビデオを流しているバーの、高めの椅子に体育座りをしていたら、マスターのユキさんがしかめっ面で来た。
「椅子が汚れるでしょ、あとお行儀悪い」
「だって床に足がつかないんだもん」
スキニージーンズを穿いた脚をぶらぶらさせる。
「ほら踏み台、貸してあげるから」
カウンター越しに受け取る。彼はこういうところ、いつも優しい。
「なに飲むの?」
「ペルノに、ジンとレモンジュースと炭酸入れた、なんだっけ、あれ」
「ああ、前に出して気に入ってくれたやつね」
瓶をとりにカウンターの後ろへ振り向いた横顔がいつもと違うことに気づく。
「あれ、ユキさんアイメイクしてる?」
眦までしっかり見ないとわからない位置だったが、まぶたのきわに碧色のアイラインが引かれ、鼻と目のバランスのところに少しハイライトを入れている。
「あー。目敏いな。実は先週くらいから店でもやってるんだけどね、悪くないなと思って」
ユキさんがカウンターにグラスを置く。
アニスとリコリスの甘い薬草の匂い。レモンと炭酸は、甘い薬をちょっと気取ったおしゃれに変える。
「でさ、」
カウンターからユキさんがこちらに少し身を乗り出す。まだ客はわたしだけだから店の雰囲気も日常に近くてゆるんでいる。
「この色、似合う?」
「ばっちりよ。もう少しグリッター足してもかっこいいと思うよ、孔雀みたいで」
「孔雀ってあんたね」
ユキさんが化粧をすることを我慢している、ということを悟った彼氏さんが、一緒に買いに行こうと連れ出してくれたのだそうだ。孔雀とか言ってしまったが、ユキさんの高い鼻梁にも、窪み気味の二重まぶたにも、すごく似合っていた。
「デパコスのカウンターとか行ってみたいな」
グラスを拭く手は、相変わらず指の骨がまっすぐで美しい。
昔、根を詰めて通って、ユキ……雪基さんを口説いたことがある。その頃ユキさんは自分をバイセクシュアルだと思っていたから。
ユキさんはラブホじゃなくて、シティホテルに入った。そして、献身的ともいえるくらい、優しく丁寧にわたしを抱いた。わたしは啼くように甘えた。
そのまま寝入って明け方、ベッドに腰掛けて涙を流しているユキさんを見つけた。わたしは隣に並んで、一緒にシーツにくるまった。
「やっぱり、ダメなんだ」
ぽつりと、ユキさんは言った。
「ごめん。ごめんな。」
そうだよね。今日みたいなご奉仕は、フェアじゃない。
「自分の本当にしたいことじゃなくても、できちゃう時ってあるよ」
わたしの声も、部屋の暗さに吸い込まれるようだった。
「本当に、すまなかった」
言葉を繋ぐたびに涙を流して、まるで取り返しのつかないことをしたかのようにユキさんは謝った。それは、綺麗なものを汚くしてしまったような目に似ていて、だからユキさんが真剣で誠実であればあるほどにわたしは苦しかった。
女とも付き合えるバイセクシュアルはわりあい埋没しやすい。人によっては自分のことも納得させやすい。多分、ユキさんはそれをわたしで試したかったのだと思う。そんな話は聞かないこともなかったし、もし自分がそれを絶対にしないかと問われたらわたしにも自信はなかった。そしてその生きづらさの大半は本人に責任の取りようがない場所にあって、わたしたちは大体いつもそれを知っていた。
そのあと幼い兄弟のように同じベッドで眠って、ラウンジで少しいい朝ごはんを食べてから別れた。しばらく店には近づかなかったが半年くらい前にユキさんから「新作できたから飲みに来なよ」とメッセージが入り、それからまただらだら通い始めている。わたしに連絡してくる少し前に今の彼氏ができたらしい。
「デパコス?彼氏さんと行きなよ。いまオールジェンダーで展開してるブランドも多いし。」
なかなか勇気がな、と。ユキさんはちょっとクシャッとした笑顔をした。
大切なものが、ある顔。
カランカラン、と音を立てて木製のドアが開き、外の空気とともに二、三人客が店に入ってきた。
その中の一人に見覚えがあった。ソールの厚い靴のすぐ上にある、尖った踝。それは御子柴さんだった。
「いらっしゃい」
接客をするユキさんのそばでわたしは固まる。仕事で関わりのある人間に、わたしがこの店に来ていることを話したことはない。仲が良いさゆりさんにさえ言っていない。目が合う。御子柴さんは一瞬目を見開いて、互いに挨拶が飛んだ。
どうしよう、どうしようと考えたが、よく見ると御子柴さんの口唇が、もうそれ紫ですらないよね完全に青だよねという色で塗られていたので、わたしは少し安心した。
「よかったら、座ります?」
御子柴さんは会釈のようにうなずいて私の隣に腰かけ、ライム入りのラムコークを注文した。メニューを見ないで注文するあたり、何度か来ていそうな雰囲気ではある。飲み物を置いたユキさんは、テーブルの方にいる馴染みの男性客の相手をしにいった。
この界隈で、プライベートを知らない関係性の人間に遭遇するの気まずい。少なくともわたしは困るし、御子柴さんがどういう属性の人間であれわたしの中身がどうであれ、この町に憩う人間には多かれ少なかれそんなところがある。そしてこれも、本人達にはどうしようもできない。
わたしと御子柴さんは、探りあうようにさりげなく視線を互いに行き交わせていた。
「このお店、上條さんはよく来るんですか?」
「入り浸るというほどではないですけれど、あっちにいるマスターと顔なじみというか。まあ間は空きつつちょいちょい、みたいな」
御子柴さんは、そのままわたしの顔を少し覗きこむようにして聞いている。
「御子柴さんもその、よくいらっしゃるんですか?」
「三、四回目、くらいですかね。なんとなく一人で来るのに居心地が良いというか」
そういえば、と。興味があるのかないのか、マドラーでライムを潰しながら御子柴さんが話す。
「このあいだの仕事の、デザイナーさんたち。皆さん上條さんの引き抜きだったと聞いて、」
頬の筋肉をあまり動かさずに話す御子柴さんの口唇の開きかた、それはこの間仕事の時に見た、夢中になれるものがある時と同じ表情。
「嬉しくなりました。自分以外にも、見つけてくれる人がいるんだと知って」
興味があるのかないのか、いやこれは。
「それ、わたしがすごく嬉しいやつですよ、御子柴さん」
「そうなんですか?」
「知らない二人が同じ何かを大好きって思って、それを起点にして繋がったって思うと、素敵だなってわたしは思います」
きょとんとした顔で、御子柴さんはラムコークを飲み込んだ。
なんとなく。ここに居ることを互いに言いふらすかもしれないなんて心配を、しなくていいような気がしてきた。
御子柴さん今日もすごくお洒落だ。
作り手が「着たいと思える服」を実現すること、それを仕事にしている人という感じ。
わたしはペルノに少し酔い始めて、温くなったまぶたを横に向ける。
「初めて見た時、あのコンビニでね。こんな、完璧に綺麗な人いるのかって、思ったんです」
御子柴さんが、綺麗だと言われ慣れているであろうも、そして時に、その言葉の持つ違う意味に傷ついてきただろうということも理解しながら、わたしは続ける。
「御子柴さん、自分のどこがどんなふうに綺麗か、ちゃんとわかってる人だと思う。見せ方を知ってる」
今日の服装にしたってそうだ。ぴったりしたカットソーの上の、目の粗く編まれた丈の短いニット、片側にスリットを入れたレザー調のロングスカートの形、全て収まりが良い。肩から肘、肘から手首、腰から膝、膝から足首、それぞれワンストロークの長い骨をとても美しく見せている。
「そういう美しさって、見ていて気持ちの良いものです」
わたしは、御子柴さんに真っ直ぐ目を合わせる。
「上條さんっていつも情熱的なんですか?」
ジョウネツテキ。それもまた真っ直ぐな表現で、わたしはつい吹き出す
「御子柴さんだから言ってるのかも」
「自分、ですか、」
「困りますか?」
カウンターの向こうを一度眺めた御子柴さんが、わたしに向き直る。
「その『綺麗』は自分にはすごく、嬉しいです」
御子柴さんが笑った。ふわりとしていたものが地面に立ったような、そんな笑顔。
「吸っていいですか、」
御子柴さんがポケットから細身のメンソールを取り出した。
「御子柴さん、吸うんですね」
わたしもつられてマルボロに火をつけた。二人して溜め息のように、煙を吐き出す。
「大貫先輩が、」
煙の行方を、御子柴さんの目が追う。
「昔からあの人はしっかりしている人だから、と。上條さんのこと」
なんでここで大貫が出てくるんだ。と、思いながら、御子柴さんの横顔、口唇の青のマットな発色もよく似合うなとか、そんなことを思う。
この間の仕事の終わりの時の雑談で、実は御子柴さんも同じ大学だったと知った。大貫のさらに後輩だから、わたしが知らなくても不思議ではない。
「大貫が。そう言うなら、そうなんですかね」
答えながら、自分の片手が、着ているハイネックカットソーの襟を引き上げようとしていることに気づいた。まずい。というか大貫は御子柴さんに何を話したんだろう。何故だか知らないが大貫は、随分良い方向にわたしを見ているような、気がする。
「面談とか外回りとかは、かなり先輩に教わってるんですけど。先輩はその、仕事はできる人ですから。きっと見る目は確かです」
御子柴さんの頬と目、口唇が揺れる。笑顔は変わらないままに、わたしに合わせていた視線が離れて、グラスと、手に持ったライターの間を行き来する。青く塗られた口唇が遠くを見つめる時のように柔らかく、記憶を辿るように動いた。それは温室の中で密やかに咲く、蘭の微笑。
わたしは、右の鎖骨の上の痕、御子柴さんがつけてくれていたなら良かったのにとかとても下らないことを考えながら。まずい、また襟に手がいっている。
御子柴さんは真っ直ぐだ。ぎこちなさもそのまま表現してくる。それは「取り繕わない」というある種の不器用さかもしれないが、人目を引く美しさだ。
そこでわたしは気がつく。昔大貫がよく言っていた「どうしても目の離せない、心配してるやつ」って、この人だったんだ。医務室で寝ている日が多くて、何か背負っている人。
食堂でカレーを食べながら、大貫がわたしに言っていた。
「泣くことも笑うことも、真っ直ぐできるようになってほしいんですよね。あいつに」
大貫が未来を願っていた人。それが、御子柴さん。
なんだよ、大貫め。せっかく御子柴さんにときめいたのに。
二杯目のペルノを干して、わたしは笑いかける。
「大貫のこと話す時の御子柴さん、コンビニで見た時よりさらに綺麗かも」
マルボロが肺に重く染み渡る。
「特に横顔が」
御子柴さんは軽く口を開いて、あ、耳たぶの先がほんのり赤く染まった。
わたしは背もたれに掛けていた上着を羽織って、会計のためにユキさんを呼んだ。
「御子柴さんはまだ一人飲み?」
「いえ、この後待ち合わせです」
耳が赤いまま下向きの睫毛を少し横へ逸らす。きっとこれから夜デート。その顔をしたままなら相手は、大貫隆幸。
「真黎、帰るの?今日は早いね」
カウンターに戻ってきたユキさんがわたしを名前で呼んだ。下の名前でわたしを呼ぶ人、何人くらい居たっけな。
「うん。ごちそうさま」
会計のやり取りを見るともなく眺めていた御子柴さんが呟く。
「マリ?お名前、そう読むんですね」
前に渡した会社の名刺に振り仮名は振っていなかった。確かに読みやすい名前ではないかも。
「そう。上條真黎。お話できて嬉しかった。また会えたらいいな。御子柴悠さん」
あなたお名前も、とても素敵ね。
陽の落ちた繁華街に乾いたビル風が吹きつけて、気温よりも冷えているような感じがする。酔いが醒めて余計に冷たく感じているのかもしれない。
雑踏はいい。自分の顔も他人の顔も、ただ通り過ぎていくものとして紛れていられるから。
御子柴さんが、大貫を思い浮かべている時の顔、ユキさんが、彼氏さんの話をする時の顔。
大切なものが、ある顔。
わたしはその顔を知っている。
ずっと、もう何年も前。わたしが御子柴さんにときめくよりも、ユキさんを好きになって愛されたかった時よりも、昔に。わたしにその顔を向けてくれた人が居たのに。
SNSを開けば、何千キロも離れた場所からお喋りできる。
オスロはいま何時。
「そろそろホットワインの季節かな」
ああ素敵。
横断歩道の青信号が点滅して、雑踏が歩道に留め置かれる。
互いにフォローを切るタイミングを失くして、それでも全部は切り離せないまま、月に何回か、挨拶がわりにイイねをつけている。
わたしにヨーロッパは遠すぎた。
あの頃はこっちで互いに違う部屋を借りていたけれど、長く付き合って一緒に暮らしているのと大差はなかった。休みの日にどちらかの家に泊まって一緒に餃子を包んだりして、ビールを飲みながらFBIのドラマを観ていて、わたしはそれで幸せだった。
動き始めた雑踏は一塊のようでいて、実際は内から外から次々入れ替わり、蠢く。その中に混ざったり外れたりを繰り返しながら、わたしは家に帰るために駅へ向かう。
「子供、いるんだね」
書けなかったコメントを飲み下す。
列に並んで改札を潜って、なんとか座れた電車もあっという間に満員。ここにいる人全部、知らない人。
イヤホンを耳に押し込んでいつものプレイリストを流す。
ペルノを飲む時、アニスの香りは懐かしい。それはあの人が着ていた柔らかいシャツの折れ目や振り返った肩の何気ないところに居て、あの頃のわたしを包んでいた。
薬草と香辛料と薔薇の花。あの人が纏う香りはそんなふうだった。
今はもう傍にないものを掻き集めるような、そんなことをわたしはしているのかもしれない。そしてそれはとても、不様なことなのかもしれない。
かといって完全に切り離すこともままならない。そんな夜を続けて、とにかくわたしは家に帰る。