Swinging Chandelier-1:綱渡り
Swinging Chandelier-1:綱渡り
特に示し合わせたわけでもなかった。互いに了承はしていた。
「傷つけたくはないんだ、ごめん。でもその、」
シャワーを終えてタオルを巻いた姿の木崎さんが言った。自宅で使っているものと同じボディーソープを選んだらしいから、まあ大丈夫とは思うが。仕事で接触が何度かあってその後なんとなく食事をする間、左手の指輪にこちらが気づかないとでも思ったのだろうか。
「大丈夫ですよ」
わたしは、相手が引かない程度のしおらしい笑顔を作りながらブラジャーを着けた。
「うん」
木崎さんは安堵しつつも、どこか得体の知れない生き物のようにわたしのことを見てくる。
「そんな時もありますよ。わたしは大丈夫ですから。ね?」
まだ木崎さんはスラックスも履いていないのに、わたしは仕上げのグロスを塗り直して、クローゼットに上着を取りに立ち上がる。
「そうだよね、まあ。楽しみというか、息抜き」
大げさにため息をつきたくなるのを堪え、笑顔のまま振り返る。
「あ、わたしもうチェックアウトできますよ」
女が二十四時間「女」をやっていると思っているってすごい。
帰宅して化粧を落としてもう一度シャワーを浴びて。化粧水とコットン、そろそろ買い足さなきゃなと思いながらドライヤーをかける。YouTubeのストレッチ動画を見ながら腰を伸ばして、あー、コンビニでアイス買えばよかったかな。いやあの程度の苛立ちにハーゲンダッツは安売りしすぎか。
全部の男がどうかは知らない。が、女が脚を開く時は必ず心も開いていると思っている男は割と多い。その女の心なんて受け取る気のないときでさえ。
なんだっけ、今日の人は。二ヶ月くらい前に営業関係で同じ案件に関わっていた別の会社の人。わたしがチーフっぽく振る舞うのを、自立してるんですね、みたいな言いかたで褒めていた人。仕事の話はどちらにも有利にまとまったし、うちの会社の方がはるかに小さいから旨味の配分なんてたかが知れてるけれど、とにかく一つ面談やら打ち合わせやらをクリアするうちに食事をして、そのうちの二回くらいは二人だけでレストランだったけれど。三回目の今日は、片付いた案件の話は会話の糸口程度だった。
好きな食べ物は?休日は何をしてる?え、おれ?いや、最近は仕事も忙しくてね。
わたしより向こうのほうがよく喋っていた。その割に、少し乾いた目をしていた。疲れて、遠くを見る目とひたいにかかる髪の感じが。
わたしは、柔らかく発音する。
「お疲れなんですか?」
ロングカクテルのグラスの手前に指を重ねる、指輪は白銀のシンプルな造り。
マルガリータを一口含む。向けた微笑みを、わたしは相手から決して逸らさない。
ホテルに入る直前、肘に絡もうとした腕をはにかみに似た表情で躱したのを覚えている。
「可愛いね」
当たり前だろ。
全体的に、自分の手の内で女を満足させてやれると信じている雰囲気の男だ。君の好きなものをあげるとでも言いたげな。けれどその指を、相手に選ばせるわけではない。女を悦ばせることが好きなのではなく、自分の技量が女を悦ばせているという確信を欲しがる男。
どこで覚えてきたのか知らない、饒舌な指の傲慢な器用さ。そうか、確かこの男はモテるんだったな。いや単純にその技巧の「男らしさ」がわたしにとって鼻につくだけなのかもしれないが。
むしろ好都合なのかもしれなかった。わたしのこんな、くだらない遊びには。彼のような男こそふさわしい。
横向きに開かせたわたしの脚をまっすぐ伸ばして、足首を掴む手のひらの熱っぽさ。ああ目が合うな。やっぱり笑っている。こちらも同じ表情を返してしまいたいがそれも。
だから体を少し捻ってまっすぐにして、両脚から開いて迎え入れる。男の髪は、柔く栗色に仕上げてある。つま先までなされたさりげない手入れ。そうして伸ばしたわたしの手を、再度掴んで沈める。
どうか、勝った顔をしていて。その隙にわたしはいくらでも愉しめる。隣の枕に向かって崩れ落ちる横顔のまぶたが、早く見たかった。
私はYouTubeを消して、明日のスカートとブラウスを出した。冷えてきたからカーディガン要るかな。帰りにドラッグストアに寄るのを忘れないようにしておかないと。