『フェアリー・ゴッド・マザー』(桃萌)


3歳のころから、私の中にはフェアリーゴッドマザーがいた。



暗い場所を選んで泣くことが多かった。幼いわたしにとって世界は知らない言葉と知らない感情ばかりで、何もかもが分からなかった。きっとそれが誰からも許されなくて、わたしは何回もわたしを殺した。信じたものはぜんぶ星屑みたいにほどけて、うるさい雨音になった。よく分からないまま泣いて、よく分からないまま眠った。

そうしてわたしの小さな心臓からこぼれ落ちた繕われた悲しみと冷たい夢は、溶けて、フェアリーゴッドマザーになった。



フェアリーゴッドマザーは、白くて淡いチュール素材のドレスを身に纏っていて、透ける肌も艶やかな髪も宝石みたいな瞳も、ぜんぶが真っ白だった。絵本から出てきたようなあまりに造りものじみた容姿で、滅多に動かない。だからそれはたぶん絵画で、わたしはその絵とよく会話した。

夜に沈んだ暗い部屋にフェアリーゴッドマザーの白さはよく際立って、眩く光っていた。かわいいキャラクターのシールや、カラフルで甘いお菓子をくれた。わたしに魔法を教えてくれたり、サテンの小さなリボンが付いた、オーガンジーが何枚も重なるふわふわしたキレイなワンピースを着せてくれたりした。

ずっと、「だいじょうぶ」をくれた。

わたしを傷付けるものを倒してくれたし、見えない攻撃から守ってくれた。陶器みたいにひんやりした手足でわたしの敵をぺしゃんこにしてくれて、わたしから見えないくらいに明るい、遠い場所につれて行ってくれた。

わたしが大きくなっても、顔をなでて「だいじょうぶ」と言ってくれた。泣いて真っ暗な夜をむかえるたび、フェアリーゴッドマザーは会いにきてくれた。

フェアリーゴッドマザーは絶対的な存在で、
わたしにとって神様だった。わたしにとって宗教だった。



だけどもう、フェアリーゴッドマザーは見えなくなった。



誰かの「だいじょうぶ」なんてなくても、言葉という鋭利な武器を手に入れたわたしは戦うことを覚えた。世界のほとんどが言葉によって説明できてしまう。言葉と感情が符合し始めたとき、今まで彼女が悪いやつをぺしゃんこにしてくれていたのを、ぜんぶ自分でできるようになった。可愛いフリルで装飾されたナイフをふりかざして、わたしを殺そうとしたひとたちにとどめを刺すことができる。だからもう、「だいじょうぶ」なんていらないはずなんだ。



なのに時折、とてつもなく「だいじょうぶ」が欲しくなる。絶対的な「だいじょうぶ」がほしい。何もかも委ねても良いほどの、信じても大丈夫なくらいの。

きっと、知らないため息に押しつぶされてしまうんだ。言葉じゃどうにもできない理不尽に、わたしは簡単に負けてしまう。そのときいつもやわらかい解毒剤をくれたわたしの味方はもう、いないことに気づいてしまった。



フェアリーゴッドマザーはわたしにとって神様だった。彼女の存在を信じることで、わたしはわたしを宝石箱にしまわないでいられた。
フェアリーゴッドマザーはわたしにとって宗教だった。彼女の存在を信じることで、わたしはわたしの首をしめずにいられた。


何もかも委ねて良いほどの、信じても大丈夫なくらいの「だいじょうぶ」をくれた。


もう、フェアリーゴッドマザーはいない。わたしの信じた神様は、わたしが完全に助かるまえに別の誰かを助けるためにどこかへ行ってしまったのだろう。

それなら、だれがわたしに「だいじょうぶ」と言ってくれるんだろう?ただの「だいじょうぶ」ではなく、絶対的な「だいじょうぶ」。
何もかも委ねて良いほどの、信じても大丈夫なくらいの。



フェアリーゴッドマザーだけを信じて生きていたわたしは、これからなにを信じればいいの?

わたしの神様は、だれなの?



あなたはずっと、なにを信じていますか?

あなたの神様はだれですか?

(5月テーマ : 信じる)

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