遅すぎるということはない
この禅語、もとは世阿弥の言葉
一般的には
「物事に慣れると慢心してしまいがちだが、
最初のころの志を忘れてはならない」
という意味で使われている
もともとの世阿弥の言葉は次の通り
なにかをやりたいと思ったとき
年齢を理由にあきらめてしまうことはないだろうか
経験がないからムリだと思うことはないだろうか
「老後の初心忘るべからず」
この言葉は胸に突き刺さるとともに
わたしを大きく後押ししてくれる言葉になった
わたしはあきらめていた
ムリだと思っていた
知識もないし
経験もないし
やりたいという気持ちだけでは
どうにもならないと思っていた
それでも
いまのわたしだからやりたいと思うことがある
いまのわたしだからできることがきっとある
これまでを否定するのではなく
これからを悲観するのではなく
いま、やりたいと思うことを
いま、やる
いまのわたしが
やりたいと思うのだから
誰にとっても
今日という日は新しい一日
あなたはどんな一日を過ごしますか
あなたがこれからできることはなんですか