anegoshizu_kokeasu

マインドフルコーチとしてその人らしく生きることをサポートしています。 禅語やふと気になったことから、その時に感じたことを綴っています。 HP:https://kokeasu.net/

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最近の記事

現在地を知ることが自分軸で生きることにつながる

自分軸で生きていく そのために 自分のなりたい姿、ありたい姿を 思い描くことはとても大切 でも 今の自分 自分の現在地を知ることも 同じくらい大切なこと ありたい姿と現在地を結ぶのが 自分の軸だから 自分の足元をしっかりと見つめる これまで歩いてきた道が 今の自分につながっている これから歩いていく道が ありたい姿につながっていく その道が 自分の軸なのだから

    • 話を聴くことは自分を理解すること

      相手の話を聴くことで 自分のことを深く理解することができる 相手の話をフラットに聴いていると ふと 自分の中に感情が浮かぶことがある 思いがけないその感情に 自分が驚くことがある 自分では気づかなかった想いを その感情が気づかせてくれる 自分の心の奥底にある わたしの大切にしているものを見せてくれる 相手の話を聴くことは 相手のためだけでなく 自分のためでもあるのだと思う

      • 自分をすきになる

        自分と交わす 小さな約束 朝、瞑想する ストレッチをする 「ありがとう」と言う 小さな約束を守れたら そんな自分をほめる ただ、それだけ 約束を守れないとき 自分を嫌いになったり 自己嫌悪に陥ったりするけれど 次の機会に守ればいい 自分だけの 自分との約束 あなたは自分と どんな約束をしていますか? 大きな約束をしていませんか? 小さな約束にしてみませんか?

        • もう一人のわたし

          自分にはできないと思うとき それをやりたいと願う自分がいる わたしはダメだと責めるとき 理想の自分を追い求めるわたしがいる 自分の中に感情が生まれるとき そこには相反する感情が隠れている 分離しているのではなく ともに溶け合うような感情 それを認めて、受け入れたとき わたしはほんとうのわたしを知ることになる 負の感情が浮かぶとき 自分を否定したくなるけど そこにある願いや希望を発見すると 自分がいとおしい存在になる わたしはわたし もう一人のわたしもわたし たく

          言葉のギフトを受け取る

          他の人の言葉を 受け取っていますか? 他の人から伝えられることで 気づく自分がある 他の人から伝えられないと 気づかない自分がある わたしは長い間 他の人から伝えられる言葉を 受け取ることが苦手だった 別の人のことのように感じたり 気を遣ってくれているだけだと思ったり こんな強みがあると言われても それは誰にでもあるものだと思い、 これがあなたの魅力だと伝えられても わたしのことではないと思い、 他の人からの言葉を すなおに受け取ることができなかった 信頼できる人

          言葉のギフトを受け取る

          子が生まれて初めて親になる

          父が大嫌いだった 気がついたころから ずっとずっと大嫌いだった 大嫌いだというフィルターから ずっと父を見てきたから なにもかも大嫌いだった わたしが摂食障害で入院したとき 高校を留年したとき 離婚して戻ってきたとき 父はなにも言わなかった なにも言わない父を わたしはやはり大嫌いだと思った 自分が親になり 子どもを育ててきた中で 気づいたことがある 親は最初から親じゃない 子どもがいるから親であり 子どもに親として育ててもらっているのだと 父は昭和のサラリーマン

          子が生まれて初めて親になる

          思い切り捨てる

          握りしめていないと 自分が壊れてしまいそうで 手放したら 自分が空虚になってしまいそうで もう不要かもしれないのに 抱え込んでいる ずっと一緒にあったから わたしの一部になっているから それらを手放したら わたしじゃなくなってしまうかも そんな怖さや不安がある いまのわたしに不要なら 思い切って捨ててみよう わたしの一部になるほど 一緒にいてくれたことに感謝して 新しいなにかが 待っている気がするから 新しいわたしが そこにいるはずだから あなたが握りしめて

          思い切り捨てる

          「関心」はマネジメントのはじめの一歩

          わたしは人が好きではないほうだ 人と話すことが得意でもない そんなわたしが コーチングやカウンセリングを行うのは おかしいと思われるかもしれない わたしは人に関心がある その人がなにを考え どうしてその行動を選択しているのか それが知りたくて話を聴く 話を聴くことが 相手の気づきや成長につながると信じて 管理職も同じではないだろうか 人と話すことが得意でなくても 人と接するのが苦手でも メンバーに関心をもつことが マネジメントの”はじめの一歩”なのだと思う 自分と

          「関心」はマネジメントのはじめの一歩

          花のように生きる

          眉間にしわを寄せ ぎゅっと唇を引き締めていないだろうか 刃のように鋭い言葉や 否定する言葉を使っていないだろうか 自然な笑顔の前で 人は自然と笑顔になる 柔らかい言葉は 人の心をあたたかくする モヤモヤ、イライラしているとき 笑顔になるのは難しいかもしれない 柔らかい言葉が浮かばないかもしれない 花は人を笑顔にし 心をあたためてくれる 逆らわず、たおやかに 時期がきたら 誰と比べることなく咲く 花のように生きる人のまわりには ひだまりのようなあたたかさがある

          花のように生きる

          カラダを調える

          気持ちが落ち込んでいるとき 顔は下を向いていないだろうか 背中が丸まっていないだろうか イライラ、モヤモヤするとき 呼吸が速くなっていないだろうか 深く呼吸できているだろうか 心を穏やかにしようと思っても 気持ちを落ち着かせようと思っても 心や気持ちをコントロールするのは難しい 心とカラダはつながっている 気持ちが落ち込んでいると 顔が下を向いていたり 頭やお腹が痛くなったりする カラダと心はつながっている 背筋を伸ばし 顔をまっすぐに向けて 深く呼吸することで

          カラダを調える

          人は常に現在可能な最善を尽くしている

          努力が足りないと感じても だらけていると思っても それは その人がいまできる精いっぱいかもしれない 行動に移せない やめたいのにやめられない 自分を責めてしまうときも それは 今の自分の最善なのかもしれない 見えている部分が その人のすべてではない 自分が感じていることが 自分のすべてではない 人は常に現在可能な 最善を尽くしている そんな視点で まわりと、自分と 向き合って生きていきたいと思う

          人は常に現在可能な最善を尽くしている

          言葉が制限になる

          「ムリしないでね」 無意識にわたしを制限していた言葉 母からわたしに 繰り返し伝えられた言葉 子どもの頃からいろいろあったし 毎日忙しかったから 心配してくれているのだと思う いくつになっても わたしは母の子どもで 親としては心配なのだろう でも、その言葉が わたしの行動を制限し 苦しさを生んでいると知った 「ムリしないでね」 その言葉は呪縛になった 母の言葉は わたしの深いところに溜まっていって わたしの苦しさにつながっていた 「ありがとう」 母の優しさに感謝

          言葉が制限になる

          いま、ここに生きる

          過去の経験が いまのわたしをつくっている 未来への希望が いまのわたしを後押ししている 過去も未来も大切だけど 過去や未来にとらわれているとき 不安や恐怖、後悔で 前に進むことができなくなる わたしはいまを生きている 過去の出来事に縛られたり 失敗を恐れて立ちすくんだり 過去や未来に生きるのはやめよう いま、できることをやる いま、できることに集中する いま、やりたいと思うことをやる いま、感じていることを感じ切る 過去の積み重ねの上に”いま”があり ”いま”の

          いま、ここに生きる

          わたしにとっての現実

          わたしが現実だと認識しているものは ほんとうに現実なのだろうか わたしが知ることのないできごとは わたしにとって現実だろうか わたしが感じ、認識したことが わたしにとっての現実だとしたら この現実をつくっているのは わたしだ つらいと思うことも イヤだと感じることも すべてわたしがつくっている わたしが感じなくなっても 世界はそこにあるのだろう でも わたしの現実はわたしだけのもので わたしが感じなければ なくなってしまうのだろう そんなことを考えていたら すこし

          わたしにとっての現実

          人との出会いから始まる

          人と接するのが苦手で 人の目を見て話すことができなかった 過去のわたし 自分の殻に閉じこもり 傷つかないようにと自分を守っていた 過去のわたし そんな自分がイヤで でも変わることが怖くて なんとか毎日を生きていた コーチングに出会ったことが わたしの人生を大きく変えた 誰もが自分に矢を向けるわけではない そう実感したとき わたしは変わるための 準備ができていたことを知った 人はひとりでは生きていけない 傷つけられることがあるとしても 人との出会いがなければ 自分に気

          人との出会いから始まる

          遅すぎるということはない

          この禅語、もとは世阿弥の言葉 一般的には 「物事に慣れると慢心してしまいがちだが、 最初のころの志を忘れてはならない」 という意味で使われている もともとの世阿弥の言葉は次の通り なにかをやりたいと思ったとき 年齢を理由にあきらめてしまうことはないだろうか 経験がないからムリだと思うことはないだろうか 「老後の初心忘るべからず」 この言葉は胸に突き刺さるとともに わたしを大きく後押ししてくれる言葉になった わたしはあきらめていた ムリだと思っていた 知識もないし 経

          遅すぎるということはない