あの日、私は生きていた
誰にでも起こりうる交通事故の備忘録
「交通事故」と聞いて何を思いますか?
「人が車に轢かれた」
「自転車同士ぶつかった」
「車同士がぶつかった」
などなどかと思います。
ニュースでは毎日のように見かけるけど、どこか他人事というか現実味はないと思う。私も含め。
これを読めばあなたも事故の目撃者に。
自分が交通事故に合うなんて夢にも思ってないっつーか、交通事故の「こ」の字もなく毎日のほほんと過ごしていた。
その日までは。
あれは今でもハッキリと思い出せる、人生最大の衝撃だった。
忘れもしない、あれは·····確か·····20?21〰22?年前くらい?に起きた出来事(うろ覚えやん)。
事故が起こる数年前、私は短大を卒業して信販会社のOLをしていた。
当時は電話とFAXが仕事の必須アイテム。
毎日毎日鳴り止まない電話。
こっちからも掛けないといけない時、仕事が立て込んでる時、来店対応してる時、いつでもどこでもとにかく電話が鳴ったら出ないといけない地獄の日々。
溜まるストレス。減らない仕事。鳴り止まない電話。
トイレに行った時に幻聴で電話の音が聞こえた時は「·····あかん、このままやと壊れる。辞めよう。」と決意し、それから2ヶ月ほどで退職。
その後は梅田(大阪の繁華街)にあるアパレルショップで働くことに。
その時に何故か運転免許ではなく原動機付自転車、略して原付の免許をGET🛵
駅まで原付で行くのが楽しくて楽しくて、Happyに原付Lifeをenjoyしていた。
ノーヘルで捕まったりとかハプニングはあったが(わざとではなく、素で被るの忘れてた)あの風に乗る爽快感が病みつきに🍃
その後、アパレルショップはセール前やセール中はかなり帰りが遅くなり、当時箱入り娘だった私はまたまた転職することに。
それが母の友達の娘が私の同級生で人手不足に嘆いていたのでそっちに転職。
自宅から自転車で行ける距離やったけど、相変わらずHappy原付Lifeをenjoyしていた私は通勤の相棒はもちろん原付。
ヘルメットは半ヘルやったから雨の日は顔面ビシャビシャになりながらも通勤。
原付やったら自宅からものの5~6分で着く距離。
慣れた道やったし交通量も少なく、毎日スムーズに通勤できていました。
そう、あの日までは。
その日は夏服を着ていたから、たぶん7月か8月やったと思う(やっぱりうろ覚え)。
早番でレジを開けないといけないから、ちょっと焦りながらも原付を法定速度内で飛ばす。
いつもは必ず一時停止して左右の確認をしていた交差点(信号なし)。
一時停止しても車が通った事がないので、「どうせ車来てないやろ」と一瞬の油断だった。
一時停止せずに交差点に侵入した愚かな私を叶うなら今、馬乗りになってボコボコにしてやりたい。
アホな私はそのまま交差点に侵入したら左からこれまた一時停止しなかったワゴン車が接近。
「あ!ぶつかる!」と思った時には遅かった。
よく交通事故にあった時はスローモーションで走馬灯が見えるとかいうけど、全く見えなかった。
そんな暇なかった。
すんごい衝撃があったことだけ覚えてる。
目が覚めたら左をした下にして倒れてた。
どうやら気絶してる間、息が止まってたらしく必死に空気を貪る哀れな私。
たぶん事故の音を聞いて駆けつけた近所の野次馬、もといおば様達がわらわらと周りを取り囲んで「もうすぐ救急車くるからな!」とか「がんばって!」とか聞こえてくる。
応援ありがとう。
自分の姿がどうなってるのか全く分からないがとにかく全身が痛い。
遠くの方で壁に斜めに立てかけられて、ナンバープレートがぷらーんとぶら下がってる中古10万で購入した愛車、YAMAHAのVINOちゃんがたたずんでる。悲しい。(のちに廃車)
その間も朦朧とした意識の中、おば様たちに励まされつつ、そういや仕事の事を思い出す。
顔面蒼白。バッチリ覚醒。
ヤバい!!入社早々無断欠勤やん!!
遠くの方で救急車の音が聞こえる。
あ、自分を迎えに来た救急車やなと急に冷静に。
救急車到着。
救急隊の方達がストレッチャーを持ってきて、そっと乗せられるまな板の上の鯉。
救急車の中で救急隊の方が「名前と住所と電話番号は言える?」と聞いてきたけど頭の中はそれところではなく
「あっ!あの!私、仕事が!すぐそこなんですけど!仕事なんです!連絡しないと!」
とテンパリ100%で訴えるも「はい、分かったからちょっと落ち着いて。名前言える?」と制止されて、とりあえず個人情報を伝える。
どうやら実家に電話していたようで「娘さんが交通事故にあいまして·····はい、今から市民病院に搬送します。·····はい、大丈夫ですから。」と聞こえる。
親はさぞかし驚いたやろうな。
そのままドナドナのように救急車で病院へ。
正面入口前に着いて、混雑する受付をストレッチャーで運ばれるけど視線が痛い。
「「うわー、可哀想。あの子、彼氏にDVされたんかな」とか思われてたら嫌やな」と妄想が暴走しつつ処置室へ。
そこへ血相を変えた親達が登場。
自然と口から「ごめんなさい」が出てきた。
相当心配かけたやろうな、親不孝な事したなと珍しく反省モード。
(あとから聞いたけど救急隊からの電話を受けたのは父でめちゃくちゃ驚いてて洗濯してた母は何事かと思ったらしい。そりゃそうや。)
その後、脳波の検査などなど一通り検査して、最後の最後に今思い出しても身の毛もよだつ、恐ろしい外傷の処置。
特に右膝がえぐれててかなり酷かったけど、中に砂が入ってたら大変やからと鬼軍曹、もとい主治医はピンセットで持った大量の綿をあろう事か傷口に押し当ててグリグリえぐり出した。
新手の拷問か?
叫ばなかった自分を褒めてやりたい。
でもあまりの痛さに込み上げる吐き気を何とか抑えつつようやく終了。ぐったり。
事故後すぐの朦朧とした意識の中で先に処置してくれたら良かったのに何で一通り検査終わって頭もクリアになった今、それすんの!?と鬼軍曹に問いつめたかった。
地獄から生還して車椅子に乗って病室へ。
どうやら入院するらしい。
母は車椅子を押すのが壊滅的に下手くそで全身に響いて痛かったから父とチェンジ。
父はなかなか上手かった。
ベッドに横になって手鏡で顔を見たら、どえらい事になってた。
顔面、傷だらけであちこち腫れてる。
打ち身も酷くて全身が痛い。
えぐれた膝と手足もボロボロ。
お見舞いに来た甥っ子に泣かれたらどうしようと焦る馬鹿叔母。
その後、職場の上司がお見舞いに来てくれて、私が事故ってる時に一緒にシフトに入ってたバイトの子が私がなかなか来ないので社員に電話して電話口でレジの操作を聞いて何とかレジを開けれたとの事。しごでき。
会社には親が連絡済みだった。
ウトウト寝てる時に事故の相手が上司と来てたらしく、枕元にお見舞いと手紙が置かれてた。
どうやら相手は社用車で営業に出かけるところやったとか。
救急車やパトカーを呼んでくれたのも事故相手。
轢き逃げじゃなくて本当に良かった。
1泊の入院が終わり、そこで聞いた衝撃の事実。
骨折はおろか(これは自覚あり)、脳波も全く異常なくてほんまは入院は必要なかったとの事。
でも全身打撲が酷くて心配した親が主治医に頼んで1泊入院を決行。
我ながら頑丈すぎる。
中学の時の部活(バドミントン部)でランニング中に足を捻ってヒビが入ったのは何だったのか?
兎にも角にも無事退院。
当時の私の家は二階建て。
そして姉と同じ部屋で2段ベッドの上。
壁伝いにしか歩けない要介護者爆誕。
後で左のおしりを見たら蒙古斑も裸足で逃げ出すほど、めちゃくちゃ真っ青になってた。
「そうか、ここに車がぶつかったのか」と思いを馳せる。
おしりが衝撃吸収してくれたらしい。
リアルエアバッグ。
その後、詳しく事故当時の話しを聞いたら左から来たワゴンとぶつかって、吹っ飛んだ私は近くの民家の塀に右半身を激突。
そして反動で跳ね返って左を下にして倒れたらしい。
左からぶつかられて何で右ではなく左を下にして倒れてたのか疑問やったけど、答え合わせが出来た。
点と点が繋がった瞬間だった。
その、壁に激突した時に顔面をいってしまって右目の下に刺青状の傷跡が残り、形成外科に行くも「目に違いからレーザーで消せない」と言われ、顔面に不格好な刺青を抱えて生きることを余儀なくされてしまった(今はファンデーションで隠れる程度)。
でも私はあの時、何故助かったんだろうか?
全く分からないが、「事故相手がすぐ救急車をよんでくれたから」「私が異様に頑丈だったから」「打ちどころが良かった」としか思えない。
鬼軍曹に掻き回された傷跡は今は萎んで梅干しみたいになっている。
他にもちょいちょい傷は残ってるけど、生きてるだけで丸儲け。
皆さんは車やバイクや自転車に乗る時はくれぐれも気をつけて下さいね。⬅お前にだけは言われたくない。
長々とお付き合いありがとうございました🌸
(ちなみに現場検証には立ち合えなかったけど事故は4:6で処理されたらしい。私4。1やと思ってたのに。)
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