父の暴力の理由
怒る時になんでも暴力で解決しようとした父。
反抗する子供を抑えつけようとする父。
最近までそう感じていた。
「おまえ」と言ったら殴られた。
「ご飯作ってやるから台所に来い」と言われたのを無視したら胸ぐらを掴まれた。
苛立ったから扉を強く閉めたら鬼の形相で追いかけてきた。
暴力を受けたと感じた出来事、これ全部、「社会に出てやったらまずい事」なんだなって。
数年後の今になって気づいた。
あの時の私は反抗期で荒れてて、何をしたら父の逆鱗に触れるのか分からなくて、反抗をしたら暴力を振るう父だと思い込んでいた。
その認識が間違っていたんだなと今となっては思う。
それを言葉で一切教えず、黙って暴力を振るうものだから、当時の私は暴力を振るう父に怯えて知りようがなかった。
何を怒っているのか、なにが悪かったのか、なにを改善したらいいか。
それをしっかり言葉で教えてくれても良かったんじゃないか、と大人になった今思う。
今まで父に対する恐怖、憎しみや怒りで精神が削られてきたというのに。
今までの恐怖などは子どもの私の勘違い。
勘違いした馬鹿な私が勝手に病んでいっただけなのだ。
そう考えると心からなにかが抜け落ちる。
今まで恨んだ父はやはり虚構で、私の作り出したフィクション。
そしてそのフィクションの姿に怯えて泣いた私。
我ながら愚かな子どもだった。
そこまで愚かなら社会に出たところでお荷物になるのだからそのまま死ねばよかったのだ。
我が身のかわいさ故に死ぬことも碌にしなかった過大な自己愛を、最近になって自覚した。
醜悪な、私を生き長らえさせた自己愛。
自分が愚かなことに蓋をして向き合ってこなかっただけであろう。
隠れたところで肥大化した自己愛を私は捻り潰してそのまま潰れたい。
愚かな自己愛ごとゴミ箱に捨てられていたい。
しかし、過大な自己愛がそれを邪魔する。
膨大な自己愛を私は自覚しながら生き延びていくのだろう。
せめて周りには迷惑をかけぬように、自己愛が適度に萎むように、自分を内省する。
それが私にできることである。
ひたむきに我が子を思う親を、それを自分勝手に貶す私の醜さを自戒として残す。