ごっこ
自己流でギターを弾く。始めてから10年は経つ。最初は父親が持っていたギターを勝手にもらって弾いていたが、それが壊れて中古ギターを買った。シェアハウスに住むとき、共同生活で楽器はタブーだろうと持ってこなかったが、前の住人が置いていったギターが、リビングでほこりをかぶっていたのを見つけて貰い受けた。弦を張るネジが6つのうち2つ壊れていたので、部品を買って来て修理した。
特にこだわりなく、音が鳴れば満足。同居人に配慮して音は小さめ。大きな音で思いっきりかき鳴らすのに慣れていないため、たまにライブハウスにある、勝手に弾いていいギターを触ると、音がこもっている。遠くに音を飛ばすには、遠くに音を飛ばす練習が必要だ。公園に持っていって弾く、などしたらその練習になるのだろう。
始めてから10年くらい経つが、弾いたり弾かなかったりで、ずっと上達しない。上達を目指していないし、カラオケ代わりになれば満足。
誰かがギターを弾いているのを見たり、弾きやすそうな曲を聞くと調べて弾きたくなる。弾きたくなったタイミングでギターを触る。ゆるゆる楽しい。
映画館で「ぼくのお日さま」を観て、エンディングのハンバートハンバートの曲に、ぐわっと、心臓を掴まれた。曲名は映画のタイトルと同じ「ぼくのお日さま」。取り憑かれて、ハモリの音程を耳コピして(コードは調べたけど)スラスラできるように繰り返し練習した。1人ではハモれないので、iPhoneの標準で入っている音楽アプリのGarageBandに録音した。冷房が窓に嵌め込むタイプで、ごおおおと音がうるさくて録音に入ってしまうので、録音中は電源オフにして暑かった。練習と録音に半日かかった。そうして完成したものを聴くと
まったくのへたくそである
ギター・ハモリ1・ハモリ2・ギターのボディを叩いてパーカッション、の4つの音を重ねてみたが、それぞれバラバラで、音程は外れて、ギターはこもってノイズが多い。
完成したものを書き出してデータにする。聴くに耐えんながらも愛着が湧き、何回か聴いてみる。
作っている時間は頭フル回転で楽しい。完成イメージと程遠いものができて、プロの凄さが改めて感じられる。あまり器用ではない自分がわかる。
頭いっぱいのイメージになるくらい好きになったら、イメージだけにとどめておくのはもったいない。それが絵でも、立体物でも、音でも、料理でも、文章でも、映像でも、少しでも近づく(形にする)手段はいくらでもある。立体物なら、百均で紙粘土でも買ってくるし、映像作品ならスマホで撮るし。近づきたいものに近づく手段がなくなってしまわないために、普段からあらゆることが知りたい。そのための知的好奇心なのかも。
あのきれいなものに近づきたいって気持ちが私をワクワクさせる。し、作っている間は救済されている感じ。
一方、作るのが楽しい時は、人間に対してうまく振る舞えなくなる、ような気がするのです。