散漫をもったいないと言うな
やりたいことがあったのに、時間があったのに、何もしなかった時に、散漫をもったいないと言うな、私らしいと言え。でも今後は家で何かできると思わない方がいい。初めからカフェに行くべきだった。夕飯を何にするか迷っているうちに家に着いてしまった。家で軽く食べて出ようとしたけど、雨が降ってて出るのが億劫になり、そのままこたつで動けなくなった。
やりたいことがあるならば、生活は一瞬一瞬の判断が勝負だ。迷っていたら流れていく。
本を読まない人が、読んだ方がいいから何か読みたいと言っていた。「読んだ方がいいから」なら、読まなくてもいいのではないか、と思った。運動した方がいいけど運動してない私から言わせれば。いや、運動はしたほうがいい。体重が増えている。今朝は自分のイビキで目を覚ました。私って、イビキかくんだ。というか、世の中の人は大音量のイビキで起きないのが不思議だ。車に酔いやすい人が、他人の運転なら酔うけど、自分で運転していると酔わないと言っていた。それと同じで自分の呼吸に音が連動するからうるさいと思わないのか。
構造と力を読んでいるが、難しい。わけがわからな過ぎて楽しい。
本をパラパラめくってテキトーに抜粋すると
エントロピーの増大による一様化・無秩序化に抗しつつ、「ネゲントロピーを食べる」こと、即ち「エントロピーを捨てる」ことによって秩序を維持している局所系。「エントロピーの大海の只中のネゲントロピーの小島」。これが生命である。このことが意味するのは、生命が動的開放系であり、自らの構造と内外の諸過程を情報によって制御しているということに他ならない。
この文章、とりあえず単語の意味でわからない「ネゲントロピー」を調べる。
ネゲントロピー
生命などの系が、エントロピーの増大の法則に逆らうように、エントロピーの低い状態が保たれていることを指す用語である。
つまりエントロピーの逆ということか。
そのほかに動的開放系もよくわからないが、これは調べても辞書的な意味は出てこない。動いていて開けている傾向がある、ということだろうか。
「ネゲントロピーを食べる」どうして食べると表現したかったんだろう。生命の維持のためには食料を摂取しなければいけない。食料を消化してエントロピーを下げながら生きているからか。
世界は無限だからエントロピー、これに対して生命は無限では生きていけないからネゲントロピーを局所的に維持している、これはわかった。でもこのことが意味するのは、のあとがわからない。動的開放系という言葉が出てくるのはどうしてだ。生命だから動くのはわかる。開放がわからない。系をつけたのもわからない。情報によって制御している、も唐突だ。どうつながったらそうなるのか。エントロピーという言葉自体に情報が含まれているということか。
こんな感じで
①単語がわからない
②つながりがわからない
文章が延々と続くのを、単語なら意味を調べたり、調べなかったり。難しい単語が多くて意味を逐一調べていたらキリがない。つながりがわからないのはツッコミを入れたり、スルーしたりで読んでいる。
あとは関係なさそうだけど思いついたものをくっつけながら読む。(これが1番楽しめているところ。これをしているととりあえず眠くならず長いこと読んでいられる。)
例えば、生命で動的開放系ならミトコンドリアが浮かんでくる。生命の内部にいる生命で、ミトコンドリアは閉じてなくて開けて機能しているから、細胞がうまいこと働けている。ミトコンドリアは生命か?昔は独立して生きていたらしいから生命では。
だからどうした、言いたいことはなんだ、と言ってはいけない。淡々と受け止める。たぶん大きい像過ぎて足しか見えない状態。足が見えたら手が見えるようになるかもしれない、そしたら顔も。部分がつながればぼんやりとでも言いたいことが見えるようになるかもしれない。この本を長い時間をかけて読んでいきたい。
そうすると何が起こるか。職場で「エントロピーが」と口走ってしまい「何それ?」と言われてしまう。ゲシュタルト崩壊でさえ、何それだった。だから、「読んだ方がいいから」本を読む人には読まなくていいのではと思った。浮いてしまうかもですよ。
よくわからないけど、怖いことがあったら、目を逸らさないで見るようにした。見ないようにするから怖いのかもしれない。夜の廊下など、暗いところが怖いけど、恐怖を抑えてじっと見る。何もない。怖いってなんだろう。