言葉に頼りすぎない方がいいよ、について(あね)
そうか、フォア文庫かぁ。たしかに。私が雑多に覚えている記憶をいつも整理してくれてありがとう。薄紫の枠が装丁のフォア文庫。ページのざらっとした質感が大好きだった。ポプラ社のシリーズも懐かしいな。はりきりダレルも大好きだった。絶版だし、高値ついてるね…。
魔女になりたいわたし、は、感想文のために選んだ本。なぜなら感想文を書くことを理由に、本が一冊買ってもらえるから!抜け目ないです、そういうところは。なんて書いたかは、覚えてないもんだねぇ。でもそれが親子読書感想文コンクールだったのに、決して母には見せなかったということは鮮明に覚えている。自分の書いたものを見せるだなんて、プライバシーに関わる問題だと思ったわ。とんでもないって。見せて、っていう母に、とんでもないっ!って思った。当時は、嫌だとしか言えなかったけれど。
感想文について、その何が好きなのかと言えば、気持ちを言葉にするという作業だったのだと思う。漠然としている気持ちがかたちになるときに、すうっと心の中が落ち着く感覚がいい。そういえば、高校生の時、小論文のテスト時間もそうだったなぁ!テストなのに、ワクワクする感じがあった。どんなことを聞いてくるのかなって。起承転結だとかの、点数をとるための決まりは守ったけれども。そうか、私は書くことが好きなんだね…(気づき)。それなのに、高校に入って、受験に必要な数学とか化学とか世界史とかに時間とられて、本は全く読まなくなった。自分の気持ちと向き合って書くことも、あの感想文が最後だったように思う。卒業してしばらくしてから、クラスメイトだった男の子に、「〇〇さん(私)が書いたあの感想文を読んで、すげぇと思ったけど、今は俺も書けるようになったよ。」と言われたことがあって。ほめられたのか、挑戦的だったのかはわからなかったけど、彼にそう思わせたことがあったとはびっくりした。彼は、知識が豊富だし、成績優秀だし、休み時間に英語の本なんて読んじゃって、数学に四苦八苦している私とは時間の使い方が全然違ったんだろうな、と思った。本もたくさん読んで、文章もたくさん書いたのかもしれない。あるいは、書かなくても書けちゃうようになったのかもしれない。
おとうとの「言葉に頼りすぎない方がいいよ」という言葉について。たしかにそうだね。言葉も気持ちも揺らぐから、相手へ伝える言葉には責任を持たなければならない。そして数式のように、きちんとした言葉はもちろんあり、それを使われる安心感というのもある。NHKのニュース番組なんかがそう。事実のみを、たんたんと話す。それからお役所の対応も。ルールに沿って、きっちりと。安心安全。無味乾燥。カウンセリングなんかも、こちらにそっと寄り添ってくれるのに、カウンセラーさんの本音は見えないのが、プロ!って思う。でもほろっとその人の言葉がこぼれたときに、ぐっとくるんだよねぇ。聞き流していたニュースの最後に、今日もお元気で、なんて言われると、反射的にテレビを見てしまうこと、ない?
さて、ここまでの往復書簡では主に私の問いかけについて答えてもらう形になりました。だいぶ、自分のことが見えてきた気がします。忘れられていた創造性を、掘り下げているように思います。それで提案なのですが、次はあなたからテーマを振ってほしいなと思って。きっと私も読んだであろう本の感想文でも面白そうだし、本屋の仕事についても聞きたい。どうかしら。