ものを大事にする
お盆が近づいてきて、先日の日曜日にお墓の掃除に行ってきた。
うちのお墓は、八柱霊園という巨大な霊園の施設の中にある。
毎度、迷路のような霊園内をなんとなくの勘でたどり着くのだが、そろそろ一度明確にしておかないと老いとともにたどり着けなくなるかもw
霊園の近くにたどり着くと、まずふなば家さんに伺う。
こちらで仏花とお線香を購入し、バケツと塵取りを借りる。
お墓につくとまずはお墓全体に水をかける。
なぜならば暑いから、作業場であるお墓周りを冷やして。
そしてスタート。
雑草の取り除け。
軍手をし、根っこから抜く。
毎年同じところから生えてくるのが不思議。
次に墓石の黒住などを磨いていく。
名前の掘り込みのところの黒いのが全然取れない。
そして仏花を入れる花立と香炉などを掃除し、ここで再度水を全体にかける。
最後に花を活けて、線香を灯し、優しく墓石の上から水をかける。
最後に拝んでいる時にふとおじいちゃん家のことを思い出した。
80坪くらいの土地に瓦葺の屋根の平屋、納屋、車庫が建っていた。
中央にはお手製の池と大きな柿の木。
小学生の時なんかは夏休みの大体をここで過ごしていた。
父親が小さなときに建った家だったので決して新しいわけではないが、いつも綺麗だった。
廊下のフローリングは軋みもなく輝いていたし、窓も汚れていた記憶は一切ない。
お風呂もトイレも納屋も整理整頓され磨かれていた。
瓦の屋根も輝いていた記憶がある。
おそらく、おじいちゃんとおばあちゃんが当たり前に磨き、メンテナンスし生活していただけなんだろうけど、すべてが完璧だったな、と今更ながら思う。
考えてみれば、二人の持っているものや道具もいつも輝いていたんじゃないかな。
時計にしてもバッグにしても。
たまにおじいちゃんが時計の掃除をしていたり、お財布にクリームを塗っていたり、帽子の形を直していたりしていたなぁと思い返す。
その時の表情は、決してめんどくさそうな顔でもなく、どちらかというと愛でるような目でその「もの」を見ていたように思う。
さて自分はできているだろうか?
ものを大事にするという意味は、無くさないようにするということだけではない。
普段身の回りにあるものもメンテナンスという行為をすることで大事にするということになると思う。
言い換えれば愛着を持つということ。
そうすることで意識がそこに向く。
つまりは、お金は極端に言えば封筒でも用は足せる。
けども愛着のある財布にいれたお金と、封筒のお金。
どちらが無くさないか。
普段使っているipadも、中身のメンテも大事だが、
定期的にアルコールで拭く、入れるカバーをこだわる、表面のシートも変える、などしていくとipadを使って効率的に仕事をしたくなる、かもしれない。
道具を大事にするということは、その中身やその用途までをも大事にできる気がする。
改めて、
おじいちゃんの財布のように、自分の財布にも革にクリームを塗ってメンテナンスをしてみようと思う。