美談とその裏側 - 東大阪市
生徒が、無償の清掃をしました。
美談である、と多くの人に賞賛されました。
東大阪市教育委員会は、この清掃奉仕を企画しました。
でも、市役所は、その施設の運営管理を、民間業者に有償で委託していたのです。
市役所は、施設の運営管理をしてください、と業者に有償で委託をしておきながら、市の機関である教育委員会は、生徒を組織し、その施設で無償で働かせたのです。業者は儲かった、という図式になります。
美談として成立するのかな?
概要
2022年12月25日(日)に、東大阪市花園ラグビー場で、東大阪市立日新高等学校のラグビー部の生徒と指導者が無償で清掃活動をしました。
この清掃活動は、スタジアム管理スタッフから「鳥のふんなどが多く、清掃が大変だ」と聞いた、市の教育委員会高等学校課課長が企画し、ラグビー部の生徒と指導者計25人が参加しました。
清掃された施設は、東大阪市花園ラグビー場です。東大阪市が所有する公共施設で、運営・管理を民間の業者に委託しています。
美談の詳細は次の記事をご覧ください。
この記事に関するネットでの書込みは次のとおりです。
上の「コメント」の「鳥の糞は菌が多い」ゆえに「専門家に任せる」という発言は論理的です。
仮にこれに反論するのであれば、例えば、「有害な菌は少ない」とか「工夫すれば素人でも安全にできる」という論法になります。
しかし、ラグビー愛好者だと思われる人々は、次のように反論しています。
「良い行いをする人を良く思わない人が必ずいる」
「妬み嫉み恨みで満ち溢れている」
「はあ、こんなコメントする人がいるからダメなんだよなー。」
「心に余裕が無い」
人格への攻撃をしているのです。
上記の出来事は、何故、メディアで取り上げられたのでしょうか。
教育者が生徒の成長のみを願うのであれば、生徒の活動をメディアを通じて広報をする必要はありません。
実は、日新高校の名前を広く知らしめるという広報戦略は、市役所の方針なのです。
私はいくつか疑問を抱きましたので、2023年1月4日付けで市長及び市教委あて「市民の声」を文書で提出しました。
市は、2023年2月3日付けで、文書で私に回答をしました。丁寧で良いと思います。
以下は、そのやりとりの一部です。
1.事業の委託について
(1)業務管理
ア.私の質問
イ.市からの回答
ウ.私の感想
私は、評価を問うたのです。
回答は、清掃の実施状況だけでした。
清掃を一定程度行っていますが、それでも汚れているのであれば、例えば、「良くないので、今後、どうするのか」といった回答になるべきです。
(2)業者への便宜供与
ア.私の質問
イ.市からの回答
ウ.私の感想
市の回答では「ボランティア活動の趣旨から適切」としています。
ボランティア活動の部分だけを根拠に判断するのであれば、そのように言えるかもしれません。
しかし、それ以外の事象も考慮すべきです。
ボランティアと言いつつ、市教委が組織化したのですから、生徒の自発的な意思に基づく自主的な活動とは言えません。
教育・評価をする者とされる者という社会的関係なのですから、生徒には自身への評価を高めようとする動機が生じることになります。実態としては、他者の意思で動くことになります。
委託業者の立場から見れば清掃のための戦力になっていますし、また、そのようにあらねば清掃活動の意味はありません。
市役所の某部署では委託契約を結び、別の某部署では無償の支援をしているのです。
この場合、市役所として、無償による支援活動を無視することは不当です。
無償の支援は、契約の相手方にとって、明らかに有益なのです。
市役所として、組織全体のあり方や、契約の相手方との関わり方を包括的に考慮すべきです。
市教委高等学校課の回答によると、支援を今後も継続する意思があるため、なおさらです。
以上のことから私は不適切であると考えました。
市役所は「ボランティア活動の趣旨」だけに限定して判断することにより、何も問題はない、としているのです。
市役所組織全体として委託契約を締結・履行すべきであるから、無償による支援分を差し引いた形で、委託契約額を算出・支払いをすべきです。
市からの回答では、委託額からの「返還は不要と考えます」とのことでした。
2.教育方針について
(1)ボランティア活動への誘導
ア.私の質問
(2)無償作業
ア.私の質問
イ.(1)と(2)を併せた市からの回答
ウ.私の感想
「花園ラグビー場には、ボランティア活動の場所の提供をいただいた」と記していますが、花園ラグビー場側にも鳥のフンで困っていたという事情があります。
お互いに win - win の関係なのに、主従の関係であるかのように表現しています。
「活動で学んだ経験」とは、無償で清掃をしたことです。
これにどのような価値があるのでしょうか。
合理性が無いのですから、正味の教育的価値は無いと思います。
この価値を精神論で説くならば何とでも言えるでしょう。
もっとも、精神論に教育的価値はありません。
教育的価値は、清掃という技術を学んだ、というのでしょうか。
そういうことであるならば有意義であったと思います。
しかし、それであれば、学校でもできることです。
学校では清掃を教えないので、ラグビー場で教えるということでしょうか。
これでは、学校の教育力が低いということなので、学校の教育力を高めるようにすべきではないでしょうか。
現状では、ラグビー部員限定のようです。教育的価値があるのであれば、ラグビー部員ではない生徒にも勧てはどうでしょうか。
市教委は、生徒を選び、差別的に優遇教育をしている、ということになります。
ラグビーを神格化させる教育を行い、生徒を広報の道具として使い、美談を作り上げているように見えます。
(3)教育委員会の職員
ア.私の質問
イ.市からの回答
(4)目標設定
学校で何を学ぶのか?という学校教育の本質への問です。
合理的に考えさせず、ある意味で生徒が非合理な考えを持っていても放置するのですか?、という問いです。
ア.私の質問
イ.市からの回答
ウ.私の感想
上記の私の質問は、「学校は、生徒の非合理的な考え方にどこまで踏み込んで教育をするべきか」という議論です。
東京大学に進学する、という目標を立てた場合、失敗するのは本人のみです。たいがいは目標を立てる時点で過ちに気が付きますが、人生設計のあり方を考えるきっかけになるかもしれません。
でも、部活動での集団活動では、他の生徒も巻き込みます。そして、団体競技に敗退した場合、方法(How to)に絞った形でしか反省をしません。そもそも何故競技するのか(Why)という発想はしません。
Whyの議論で有名なのが、「あなたは、何故、山に登るのか?」「そこに山があるからだ」です。
でも、とても残念なことに、この問いはWhyであるのにも関わらず、この回答はWhyを考えていません。
何故「そこに山があるからだ」という回答になるのでしょうか?
それは、山のことしか知らないからです。
一般論として、Whyへの回答は、他の事象との比較を論じることが多いと思います。
Whyの思慮ができれば、「趣味・娯楽に資源を使うのではなく、SDGsなど他の方面でもっと有効に使う」という発想の転換が出てきます。
How toしかできないのであれば、いつまで経っても、山登りの方法論しか考えないことになります。
Why Japanese people!?(なぜなんだ日本人!?)おかしいだろ!」(厚切りジェイソン)がお笑いネタになるのは、気が付かなかった無意味な行為や勘違いを思い知らされるからですね。
(5)今後
ア.私の質問
イ.市からの回答
ウ.私の感想
「指定管理者のニーズ」とは、鳥のフンなどで汚れた場合です。
指定管理者が清掃すべきです。
3.制服の値段
これは、本題とは関係のない質問ですが重要です。
公立の学校では、価格の高い制服の着用を義務化することは不適切です。それに関して懸念を持ちました。
ア.私の質問
デザインするのにカネがかかっていると思います。そのデザイン料金は制服の価格に上乗せされます。デザインを手がけた業者のサイトは次のとおりです。
イ.市からの回答
ウ.私の感想
この新しい制服は、入学志願者を増加させるための切り札のように、頻繁に紹介されています。
制服の改良は、中学生の歓心を買い、入学志願者数の増加だけを目的としている、と感じます。
私立の学校であれば制服の改良を宣伝するのはアリだと思います。
しかし、日新高校は公立なのですから、このような見た目よりも、教育内容の充実に重点を置くべきであると思います。
回答は2月3日付けですが、この時点で価格が決まっていないのは遅いと思います。
美談について
小学生であれば、学校の方針に沿って奉仕活動をすれば、褒めてあげれば良いと思います。未だ十分な思考能力が育っていないと想定されますので。
高校生の場合は、社会的背景も含め、奉仕の意義について、合理的に考えるように教育をした方が良いと思います。
日新高校の清掃奉仕は、ラグビーへの崇拝の念を植え付ける、という狙いがあるように感じます。物事を合理的に考える教育のようには思えません。
対価が発生する作業であるにも関わらず、その作業を、無償で行うことが賞賛される行為だ、と学習させています。
社会人になって様々な学習経験を経ると、あの学校教育に騙された、と感じるかもしれません。
もっとも、目が覚めないように、しっかり・きっちり教育するのでしょう。
不当な伝統や教育があっても、在校生や卒業生が声を挙げることは、ほぼありません。
むしろ、不当な伝統を受け継いだ者が、部活動の顧問として、母校に戻ってくる例があります。
より深刻なのは、そのような教育方針を積極的に支持する保護者がいることです。
「シメ」が美談になっているのです。
最後に
今は生徒という立ち位置なので無償の清掃に従事しますが、この生徒達が社会人になった場合、どのように考え方を改めるのでしょうか。
それとも、何も変わらず、何も知らず、何も学習せず、何も成長せず、美談であり続けるのでしょうか。
少なくとも、学校の教育者は、そのまま、何の変化もなく、学校教育者であり続けるのですから、美談を今後も創作し続けるでしょう。
日本ラグビー協会は、高校のラグビー部に5億円を支出するようですが、その目的は、ラグビーの普及であって、ラグビーのHow toの教育であって、生徒の全人格的な成長(Whyを考えること)のためではありません。
高校生は主体性の確立が重要です。(高校生に限らず、全ての年代で言えますが。)
美談に流されず、客観的に観察し、合理的に考えるようにして頂きたいです。
(参考)次の記事も読んで頂ければ幸いです。
以上