あ〜、自分が優秀になり過ぎちゃったんだな
なんと心が軽くなる本なのでしょう!
こんなことなら、早く年を取れば良かったと思うほど。
まあ、それは冗談にしても、人の脳は、それぞれの年代でちゃんと行く先を見すえて、その時々の年齢に合わせて働いてくれているようなのです。
ジタバタせずとも、脳という大船に乗って人生を謳歌すればいいのだということが腹落ちするから、心が軽くなるのだと思います。
その腹落ちをさせてくれた言葉はたくさんあります。
挙げていけばキリがないのですが、現実的に今の私に一番役に立つと感じたのは次のくだりです。
この「五十代までは」というのがポイントです。
生殖の役割を終えた六十代以降は、その必要がないということなのです。
つまり、もっとお互いに対して優しくなっていいのです。
たとえば、男性は、ことの是非を言いつのる傾向にあります。妻が悲しんでいるのに、「きみも、こうするべきだった」とか「向こうの言うことにも一理ある」と理詰めで責めがちです。要するに、解答を求めがちです。
でも、一方の悲しんでいる妻にしてみれば、理屈はすでに自分でも分かっていたりします。分かっているけど、気持ちがついていかなくて、まだ悲しんでいる。
男性からすれば、それがグズグズしていて非論理的に見えてイライラしてしまうのでしょうが、そこはことの是非はひとまず置いておいて、「つらかったね。頑張ったね」と言って欲しいのです。
この行き違いこそが生殖のプログラムの中身なのだそうです。それを必要としない年代に入ったら、お互いもっと幸せに楽に生きられるようにしたいと思いませんか。
その方法は、男性も女性も、ことの是非をぶつける前に、相手の感情を大事にすること。
自分に起こったつらかったことを相手が訴えたら、「それはつらかったね」と言ってあげる。
その内容が同意できないことだったら、「そうなんだ、そんなこと、あるんだなぁ」と受け止めてあげる。
女性も、夫の言葉を裏読みしないたしなみが必要なようです。
こんな例が挙げられていました。
だから、それしきりのことに、いちいち目くじらを立てても何の特にもならないということなのです。あっさり微笑んで流してしまえば、それでお互い楽に過ごせるなら、それでいいじゃないですか。
ただ、そこまでの余裕がまだ自分にはないと思う気持ちもわかります。
その対処方としては、二つあります。
ひとつは、自分を楽しませることができる趣味を複数もつこと。その趣味に没頭する時間を確保すれば心に余裕ができて、小さな諍いや違いなどどうでもよくなってきます。
もうひとつは、自分は何の達人になったのか、棚卸しをしてみるのがいいかも知れません。
何も大きなことでなくていいのです。自分にしかできない小さなことを拾ってみるのです。
自分は勘がいいとか、廊下を歩きながら、同時進行でいろんなことを片づけたり考えたり行動したり、効率よく動くのが得意とか、そんな小さなことでいいのです。
そうすれば、長く生きてきたことに誇りも持てるようになってきます。まさに、塵も積もれば山となるです。自分という山を好きになれるなら、こんないいことはありません。
「六十歳、バンザイ!」
この本のエッセンスは、この一行に尽きます。