「優しい音楽」
先日読んだ「おしまいのデート」。
この読後感が良かったので、また瀬尾さんの作品を読みたいと、たまたま目に入った「優しい音楽」を手に取りました。
優しい音楽
タイムラグ
がらくた効果
の三章からなる今作も、瀬尾ワールド全開の「優しい」世界観です。
今回はその中から、「がらくた効果」を紹介します。
物をなるべく少なくして、部屋が片付いていないと落ち着かない私は、がらくたに効果があるとは思えず、若干、否定モードで読み始めました。
登場人物は、同棲しているはな子と章太郎、それに、はな子が拾ってきた佐々木さんというおじさん。
えっ、拾ってきた?
おじさんを?
仕事から帰宅したら目の前におじさんがいたときの章太郎の驚きに少し想像がついたでしょうか。
はな子は好奇心旺盛で気が変わりやすい性格。その時々で興味のあるものを手当たり次第に買ってきたり拾ってきたりするのです。
つまり、がらくた集めの張本人です。
そしてついに、おじさんを拾ってきたというわけです。
って、全く納得はできません。
ここから、おかしくも暖かい瀬尾ワールドが展開されます。
それは実際に読んで味わって頂きたいと思います。
ここで紹介したいのは、その佐々木さんとの一週間ほどの生活で交わされた会話です。
佐々木さんは、元々、言語学の大学教授でした。とても穏やかで気品のある雰囲気を持っていて、言葉づかいもとても丁寧です。ちびまる子ちゃんに登場する佐々木のじいさんの穏やかさに通じるものがあります。
それがある事情から、あれよあれよという間にホームレスになってしまいました。
言語学の教授であっただけに、言葉の知識はとても抱負です。年賀状を書いていた章太郎に、佐々木さんはこんな知識を教えてくれます。
普通、二文字や一文字の賀詞は目上から目下に使われるもので、そのような賀詞を目上に対して出すのは適切ではない。
そんなことを全く知らなかった章太郎は、自分の無知に落ち込みます。
佐々木さんは佐々木さんで、何の、誰の、役に立つのかわからない知識を学生達に教えて続けてきた今までの自分がばからしく思えてきていました。
章太郎も、自分の意思などどこにも反映されていない、IT関係の会社で営業をしている今の仕事がしっくりきていませんでした。
こんな会話を交わしながら、章太郎と佐々木さんは、それぞれが抱えていた心のもつれを、少しずつほどいていきます。
佐々木さんと同居したことによって、はな子と章太郎もお互いへの思いを素直に表現できるようになっていきます。
ある日、駅伝の繰り上げスタート*の意味を章太郎から聞いた佐々木さんはつぶやきます。
それは、全てをなくしてしまっても、先に向かわなくてはいけないということ。
ホームレスになってしまった元言語学の大学教授の佐々木さんが走るべきレースは、きっと公園で生活しながらごみを拾うことではない。
章太郎はそう思います。
そして、佐々木さん自身もそのことに気づいていたはずです。
そうしてある朝、佐々木さんはいなくなっていました。
人は言葉を交わすことによって、自分の心の中のわだかまりや、相手との関係のもつれをほどいていくことができます。
もちろん、言葉だけで全てが解決できるわけではありません。でも、言葉がなければ、解決の糸口すらつかめません。
ただ、どんな言葉にもその力があるわけではありません。
知識に裏打ちされた言葉、暖かく素直な思いやりの気持ちが乗った言葉にしか、その力はないのだということを、胆に銘じていたいです。
暖かい思いやりでふっくらした心になって初めて、わだかまりがほどけていく準備ができます。
*駅伝の繰り上げスタートとは、交通規制などへの配慮から、先頭チームに一定以上の差をつけられたチームについて、前の区間の走者が中継所へ到着しないうちに次の区間の走者を出発させることです。これによって、チームとしては、たすきをつなげられないことになります。