見出し画像

父の存在

父は無類のクラシカル・ミュージック好きだった。CDの所有枚数は優に千枚を超え、在宅している時は、常にBGMとしてかけていた。車で往復三時間の通勤時間中には、CDからカセットテープに録音したものをカーステレオで聴いていた。私たち家族にとってそれはごく日常の風景のひとつだった。

 高校時代のある日曜日、私の友人が家に遊びに来て、父も含めた私たち家族と一緒に三時のおやつを食べたことがあった。コーヒーと、父が好きで買ってきたケーキが、白いテーブルクロスの上に赤いランチョンマットが敷かれたダイニングテーブルに並んだ。部屋にはコーヒーの香と一緒にモーツアルトの調べが漂っていた。この時のことを、よほど印象が強かったのか、友人は四十年以上が経った今でも、感嘆の声で話してくれる。木製のドアの鈴が来客の合図になっている、昔懐かしい音楽喫茶のような雰囲気があったと言うのだ。

 コーヒー好きでもあった父は、神戸にしむら珈琲店から豆をわざわざ取り寄せていた。もちろん、コーヒーを淹れるのも父の役割だ。

 父はこだわりが強く、一旦こうと決めたことはよほどのことがないかぎり変えない人だった。コーヒータイムも日曜日の午後三時と決まっていた。母と娘四人の家族もそれに合わせて、時間が近づいてくると、食器を並べたりお湯を沸かしたりして準備を始めた。それまでばらばらに家のどこかで過ごしていた家族が、自然と集まってくる。父は、みんなが賑やかなおしゃべりに花を咲かせている様子を時々にやっとしながら観察している方だった。ほんの短い時間だったが、このコーヒータイムのおかげで家族間のつながりが保たれていたように思う。

 そんな父が亡くなって八年が経つ。もう今では家族がひとつ屋根の下に集まることはなくなってしまった。それでも、何か機会があれば、やっぱり、にしむらのコーヒーにその時々のスイーツを添えたコーヒータイムは健在だ。一人になった母も父の遺したCDに囲まれて暮らしている。

 今は結婚して母と離れて暮らす私の朝もコーヒーとクラシカル・ミュージックで始まる。不思議と心が落ち着き、頭がすっきりする。 父が亡くなって、その喪失感に慣れるのにかなりの時間がかかったが、やっとこの頃、共存することができるようになった気がする。朝の短いこの時間がこんなにも自分を慰めてくれるのは、父とのあのコーヒータイムの記憶がそうさせるのかも知れない。

 父はいなくなったのではなく、肉体を持った存在から、私の心の中の存在に変化しただけなのだ。

 そう実感した途端、熱い思いが目にあふれそうになり、冬のやわらかい朝日をまぶたに感じながらそっと目を閉じた。

もし心を動かされたら、サポートをよろしくお願いします。いただいたサポートは美味しいコーヒーを飲みながら、次の記事を考える時間に活用させて頂きます。