狂人たちの時代
2020年5月7日
いつも通りの目覚め。昨日と違うのは、空が曇り空だったこと。ゴールデンウィークも最終日になった。妻は、仕事がある、と言って6時半に起きて準備をしていた。久しぶりにめざましテレビを見る。コーヒーを淹れて、朝ご飯を作る。妻が行ってしまうと、長男と次男が残される。愛すべきわが鬼たち。リビングは地獄と化す。
Wii Sportsのチャンバラを次男と対戦する。相変わらず勝てない。長男とは自転車競走をする。長男と次男にコントローラーを渡すと、ずっと遊んでいる。すきを見て『犬の人生』を読む。かつて犬だった男の告白。「お父さん」とは逆のパターン。
長男が一人でswitchをしはじめたので次男が私のもとへやってくる。外は今にも雨が降りそう。ベランダにHENSHIN BIKEとスケボーを持ち込み、二人で遊ぶ。次男は30分くらいで飽きた。家に入り、長男が遊ぶswitchを見ている。しばらくして、また飽きた次男は、アニメが見たいという。この一か月でクレヨンしんちゃんもドラえもんも見飽きてしまった。鬼滅の刃も飽きはじめた。どうしたものか、と思っていたところにワンパンマンがツボに入ったらしい。ワンパンマンが見たいという。なんでもワンパンで倒す最強のヒーロー。いいよね、ワンパンマン。努力も友情も勝利もほんの少し。スパイス程度。心地よいね。見た目はクリリンみたいなのに。
クリリンみたいな一発パンチャーと言えば、元ミドル級王者のピーター・クイリン。手数の少なさはワンパンマンとほぼ同じ。戦略は右、戦術も右。小細工はなし、とにかく右の射程距離までつめて、右を顔面にぶち込む。相手が10発撃とうが20発撃とうが、1発ぶち込めば、KO勝ち。とんでもないボクサーだった。どんなに鍛えてもパンチがあるかないかは天性のもの。
彼のリングネームは”キッドチョコレート”。”キッドチョコレート”は1930年代にキューバの伝説的なボクサーエルヒオ・サルディーニャス・モンタルボのニックネームだったもの。見た目がチョコレートみたいだったからそう名付けられたらしい。リングネームは、キューバ・ボンボン。キューバの甘いものらしい。当時のキューバの産業の一つに精糖産業があったので、それから来ているのかもしれない。
1930年代のキューバは欧米の支配からようやく独立した年でもある。1929年の世界恐慌を発端とし、フランクリン・ルーズヴェルトは中南米へ中小拡大の政策をとった。1936年にヘンシオ・バティスタが政治の表舞台へ上がる。一度大統領選に敗れると、アメリカへ亡命、1952年にクーデターを起こし政権を奪取。その後独裁政治が始まり、キューバの富は、バティスタ、アメリカ、マフィアで分けられる。
1959年、カストロとチェ・ゲバラがキューバ革命に成功する。アメリカにとって都合のよかったバティスタ政権を倒したことで、キューバはアメリカとの国交を断絶、社会主義国であったソ連からの支援を受け国を運営するようになる。1962年のキューバ危機は若者たちのチキンレースそのものだった。かつて原子爆弾をつくった数学者たちが、核のボタンを押すべきか押さないべきか数学的な妥当性を討論する。
チキンレースにおいて、熟練のプレーヤーは、お酒を飲み酒のボトルを何本も窓の外へ放り投げる。周囲は彼が酔っ払って理性がなくなっていると感じる。対戦相手は理性のない相手におびえる。1962年のソ連とアメリカはチキンレースで相手を打ち負かそうと必死だった。アメリカはいつでもそうだ。キューバでもイラクでも、チリでもベトナムでもカンボジアでもイスラエルでも。彼らは本当に狂っているのかもしれない。狂っているから問題が複雑になってしまう。重要なのはがけから転落しないことだ。相手を突き落とすことではない。転落せずに勝負を決めることのはずなのに。
雷もおさまり、夜に走りに出かける。西の空に稲光が5回ほどなったので、家に帰ることを決める。また雷がやってくるようだ。
2kmの恐怖ラン。心拍数だけはインターバルトレーニングみたいに上がっていた。雷、怖い。
家に帰って、1時間のサーキットトレーニングをする。窓の外は再び雷が光り、雨が降る。雨の中の練習もしておきたいのだけど、免疫力は下げたくない時期なので自粛する。といういいわけ。
『アメリカ大陸のナチ文学』 ロベルト・ボラーニョ 野谷文昭訳 白水社
第二次世界大戦が終わった後に生まれた私にとって、ナチは世紀の大悪党でしかなかった。戦後、アイヒマンが南米に逃げたとしても、すぐに捕まるものなのに、などと思っていた。人は難しい。
1960年からチリにはビジャ・バビエラというナチの残党によるドイツ系移民を中心とした集落にコロニア・ディグニダというコロニーには、ナチ残党による軍事組織があったらしい。
『アメリカ大陸のナチ文学』は、架空の小説家の名簿。文学はプロパガンダになる。逃亡したナチの温床となった南米にはナチを支持するものは多いらしい。彼らには彼らを突き動かした文学がきっとあったはずだ。間違いなく、それは世界の表舞台には立たない。それでも一定数の読者がそれを手にし、また、ナチ文学を作り上げて、ナチは生き残る。そんな想像をさせる本の一つ。