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うれしくても、悲しくてもとりあえず走っておく。(なぜ人は走るのか)

2020年4月30日

 定期的な頭痛が襲ってきた。
 クライミングジムに行けないし、走るだけ走る。今月は200km走れた。もしかしたら、300kmまで行けるかな、と気合を入れたものの頭痛がやってきた最終週になった。この4日間、まともに走れなかった。今月は223km。
 普段の倍は走ったけれど、体への負担は少ない。クライミングジムへ行けば、数時間は登っている。運動時間を考えると今月は圧倒的に少ない。営業で外回りをする歩数も考えると、さらに少ない。アプリのデータだけは突出して運動強度は高い。データを見たってよくわからない。

 223kmはどのくらいか。
 フルマラソンは42.195km。最速のランナーは2時間切る。というか、こないだ切った。すごいな。そのペースなら、10時間あれば200kmを超える。
 ギリシャで行われるウルトラマラソンの伝統的な大会、スパルタスロンの走行距離は245km。私の月間走行距離を早くも超える。最速記録は20時間、一日よりも短い。イタリアの山岳レース、トルデジアンは距離330km、累積標高24,000m。優勝者は70時間で走っている。私なら1ヶ月半分。いいつもなら3ヶ月分。給料なら結婚指輪が買える。
 日本のトランスジャパンアルプスレースは距離415km、累積標高26,662m。最速記録は120時間を切る(5日間)。2ヶ月分。いつもなら4ヶ月分。敷金礼金を払える。

 大学時代はそれなりに走ってたから、一度忘れてしまおう。
 就職してから走ったレースの最長距離は78km
、奥武蔵ウルトラマラソン。優勝タイムは5時間31分。私は約9時間。最も累積標高が高いレースは、OSJ奥久慈トレイル、距離59km、累積標高4200m。優勝タイムは7時間30分を切っている。私のタイムは12時間12分。フルマラソンは、キプチョゲがこないだ2時間を切ったのにたいして、3時間30分ほど。

 ボードリヤールなら、そんなもの辞めてしまえ、と言うだろう。勝てもしないレースで、最初から勝つことをやめたレースなんて醜悪極まりない、と。マラソンランナーのフランク・ショーターならボードリヤールにこう言い返せるかもしれない。”ゴールは自分より遅い人々を踏みつけ、スパイクで相手を蹴散らすこところだなんて考えているのか?”って。
ああ、たぶん、学生時代の私だったらボードリヤールといっしょだったな。スパイクで蹴散らすことだって思ってた。勝てないレースを走って何の意味がある?勝てないな、と思ったから、マラソンユーズを玄関に脱ぎっぱなしにしたこともあった。
 今なら何て答える?”レースに勝てなかったから、ジョギングしてくる”っていうだろう。怪我してたら?"走れないならジョギングしてくる"と。

 ララムリのことはボードリヤールだって知っていたはずだ。1926年、60マイル走がオリンピック競技になることを望んだメキシコは、60マイルの国際大会を主催する。その大会に二人のララムリを走らせる。彼らが走る民族であることをメキシコはすでに知っていた。優勝タイムは9時間37分。二人のララムリが優勝した。ララムリの存在に世界は驚いた。
 ララムリならボードリヤールにきっとこう答える。「我々が強いのは外で暮らしているからだ。尊敬をえることで我々の足には翼が生える。そうして初めて人間は幸せになれる」と。
 スコット・ジュレックなら?ボードリヤールが醜悪な姿として捉えた、最も遅いランナーにはこう伝えるはずだ。”僕にも経験がある。かなりの経験がある。速く走るよりも、もっと勇気が必要なことだ”って。
  
 ボードリヤールは太っちょのおじさまだから、きっと走ったことがないだろう。彼は一日中ベランダに座って、朝から夜まで全開にしたラジオをつけっぱなしにしたまんま、ハエをたたいたりしている。そうさ、とっても太い脚をして、血管が目立ってて。籐椅子に座ってんの。そして、そうじゃない人間なんかこの世にいるだろうか。太っちょのおじさまじゃない人間なんかこの世に一人もいないんだ。僕らはみんなボードリヤールさ。

 私はボードリヤールの著作を1冊たりとも読んではいない。ボードリヤールがその気なら、私だってその気さ。椅子に座って、ボッドキャストを全開にして、窓から入ってくるハエを叩きながら、家の中で仕事をしている。

『なぜ人は走るのか』 トル・ゴダス 楡井浩一 訳 筑摩書房 

マラソンやランニングが好きでも、ランニングの歴史を追う人は少ないと思う。オリンピックがどうして生まれたのか、マラソンがどうやって生まれたのか、歴史に残るレーサーたちの話など、古今東西、ランニングの歴史が書かれているユニークな本。千日回峰行のことも書かれている。

プロフェッショナルレーサーに辟易してアマチュアイズムが生まれ、そこからオリンピックへと思想が流転していく。今のランニングブームの先駆けとなる、ニューヨークシティーマラソン。市民ランナーの登場とボードリヤールのマラソンへの鋭い批評。速さへの渇望、薬物使用。書籍では最後に少しだけ触れたエクストリームマラソンについて。
 
 ボードリヤールは、それ以後のエクストリームマラソンへの関心の高まりをどう批評したのだろうか。2003年にはじまったUTMBや1986年のサハラマラソン。バッドウォーター、トルデジアン、バークレイマラソン…。市民ランナーだって泣いたっていいよ、って言ってくれるんじゃないだろうか。

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